優勝は和田 浩平 選手

おめでとうございます‼



ケイリンメールマガジンを軽く読んで参考に………


平成28年熊本地震被災地支援・小田原競輪開設67周年記念「北条早雲杯争奪戦(G3)」が
8月20日~8月24日(3日目順延)の日程で開催された。激戦を勝ち抜いた9名による決勝戦は、
地元の郡司浩平が優勝。山中秀将の番手から稲垣裕之にスイッチし、番手まくりで2度目の
記念Vを手にした。また、第9レースに一発勝負で争われた「熊本地震災害復興支援レース」は、
先行した久米康平の番手から、西川親幸が追い込んで勝利。2着にも馬場勇がきっちり続き、
熊本ワンツー決着となった。

オールスターから中3日での参戦となった郡司浩平。それでも、「気持ちは切れていません」と
気合いを入れて初の小田原記念に臨んだ。連日、強豪らを相手に立ち向かってファイナル行きの
切符を手にすると、決勝では冷静な状況判断で地元記念を制覇した。
「すかさず、稲垣さんがきて対応できなかったです。でも、山中さんがこらえてくれていて。
椎木尾さんのところで勝負しようと思ったら、1車だったので(切り替えた)。
地元で優勝しないといけない使命感もあるし、最悪、武田さんとどちらかが獲れればと。
それで、最後は武田さんと力勝負できるような仕掛けにしました」
南関の3車が各自役割を果たし、絆の力で手に入れた優勝だった。今や南関の主軸を担う
存在までに成長を遂げて、今後は強い責任感を持って戦いに挑む。
「山中さんの気持ちが伝わってきて、嬉しかったです。次は僕が前でも戦えるように。
中部、近畿も強いけど、南関も負けないで、僕が引っ張っていくような気持ちで頑張りたいです」
2度目の記念優勝を手にして、更なる高みへ。今後控えるビッグに向けて気を引き締める。
「(今後は短走路のビッグが続くが)33の競走形態というのもだんだん分かってきたかなって
思うので。今後はそこ(共同通信社杯、寬仁親王牌)に標準を向けて。こうやってG1を
獲るような選手と戦えているんで、僕も今後加われるように」

武田憲祐は直線で郡司に迫ったが、交わせず準V。しかし、競輪祭の権利を獲得して、
さらなる飛翔を誓う。
「ペースが上がっていて、脚が溜まらなかったです。もう少し迫りたかったですね。
でも、ワンツーだったので、よしとして。今後は差せるように練習をします。
これで、競輪祭にはつながったし、モチベーションも上がって練習にも身が入ると思います」

高橋陽介が直線を伸びて3着。「迷いながら内にいったけど、遅かった」と瞬時の
判断を誤って優勝を逃した。
「何が何でもと思っていたけど。優勝コースだったし、もう少し早く突っ込めれば。
確実に優勝のチャンスはありましたね。今思えば、みんな外を踏む選手だし、
それを頭に入れていればよかったですね。(3着だけど)喜べないです」

稲垣裕之は南関ラインに真っ向勝負を挑むも、7着に終わった。
「南関の2段駆けに挑みにいきたい気持ちもありました。叩けたまでは良かったけど、
すんなり番手に入られてしまって、きつかったですね。でも、今回も収穫はあったし、
今後のレース(短走路のビッグ)に生かしていきたいです」

山中秀将は大役を終えて、ホッと胸をなでおろす。
「(郡司が優勝で)本当に良かった。でも、(稲垣を)出させるつもりはなかったし、
出させてはダメですね。(和田)真久留も準決勝で気持ちを押し殺して走ってくれたし、
郡司もチャンスを生かして勝ち切れたし。(南関の)みんなのこれからにつながったと思います」

レース経過
号砲で椎木尾拓哉が勢いよく飛び出してスタートを取った。稲垣裕之を迎え入れると、
初手は稲垣-椎木尾、山中秀将-郡司浩平-武田憲祐、原田研太朗、高橋陽介-佐藤康紀、
吉田敏洋の順で隊列が整う。
レースは早めに動いた。まずは青板前から高橋が上昇していき、誘導の後ろが入れ替わる。
すると、今度は山中が押さえて誘導を降ろし、青板バックで先頭に立つ。
しかし、稲垣の巻き返しは早かった。赤板前から動いた稲垣は一旦中団で止まったのち、
再度踏み上げ南関勢に襲い掛かる。打鐘が入り、山中も懸命に前に踏んでいくと両者で
モガキ合いに。稲垣は力でこれを制したが、椎木尾が離れたため、郡司が俊敏に番手に
スイッチする展開に。さすがの稲垣ももう余力はなし。そこから吉田がまくってくると、
郡司が合わせて番手まくりを敢行し、先頭でゴール線を駆け抜けた。武田が吉田を止めて
しっかり2着をキープ。高橋が後方からコース取り良く迫って3着に入る。



次回は明日 豊橋記念




ではまたおねがいおねがいおねがいおねがい