競輪と言うと普通の人は『自転車で競争するんでしょ。あまり見たことないね』と返事がくる。
競輪を覚えるとこれ程面白く推理する事により勝負しやすいギャンブルはないと思うが、毎日日本全国何処かで開催が行われている。
競馬は小学校《煮詰めれば大学院なみに難しい》競艇は中学校 オートレース 地方競馬は高校 競輪は大学にあたる位のレベルで理解して頂きたい。
釣りに『鮒に始まり鮒に終わる』とあるが賭事においては私は『競馬に始まり競馬に終わる』と思うが競輪と麻雀は大変面白い。
作家の阿佐田徹夜をご存じの方も多いと思いますが、博打小説の第一人者もそういっていた。
私が競輪を始めるきっかけになったのは当時パチンコとパチスロのプロで毎日パチンコ屋で他のプロや攻略プロと情報交換や儲かるネタを探していた時に仲間の知り合いが**私は20歳でかれは30歳-約20年前の話**今日小田原競輪場で勝負レースがあるんだけど行かないかと誘われた。
私が当たるかどうか解らないギャンブルをしに、小田原まで交通費を掛けてまで行きたくないと思っていたら経費は俺が出すから一人は退屈みたいだったので、初めての競輪に行くことになった。
小田原競輪場は三三バンクと言われていて一周が333メートルのバンクを六周するとゴールで9人の選手たちがラインと言う仲間どうしで協力しあい決められたルールにもとづいて一着を目指して駆け引きをもってレースをするみたいだ。
知り合いは新幹線の中でだいたい買い目は300円以上はつくそうで逃げの戦法の新人のラインを買うと説明された。
昼の1時を少し過ぎ電車は小田原駅に到着しタクシーて競輪場に向かった。競輪場に着くと田舎の博打場らしく殺伐とした雰囲気で客は年寄りばかりで若者は居なく女性と言えば入口のコンパニオンか売り子と食堂の叔母さん位しか見当たらない。鐘《ジャン》の音がなり響いている回りがざわついている?バンク内でレースをしているみたいだ。熱狂的なファンがレース終了後の選手に罵声を浴びせている『バカ野郎コノ野郎八百長野郎』と多分ハズレたのだろう?また選手の健闘を讃えて称賛をいってるファンもいる。私は暑いさなか競輪のファンは熱狂的で目が肥えていると肌で感じていた。
知り合いが地乗りと言う選手紹介を見て選手の並び方を確認し終えると買い目のオッズを確認して『3ー5 5ー3 表で350円 裏目 750円で配当金は大丈夫だ。』当時の競輪は枠単がメインだった。知り合いは3ー5に10万5ー3に2万 私は3ー5に 2万 5ー3 3千円を買い目に入れた。
締め切りのベルが鳴り響き9人の選手たちがスタートラインに整列しピストルの号砲と共にゆっくり9人の選手が各自の作戦通りに位置を取り合いし始める。折り合いがつき、たんたんと一列棒状のまま周回をかせね後二周位から後方に位置していた赤い帽子と黄色の帽子のラインが徐々に上昇しはじめると鐘が鳴り響く、心臓がドキドキし鐘の音が興奮を掻き立てる。買い目の新人の赤い帽子の選手は一瞬のうちに前方のラインの選手たちを呑み込み後一周を力の限り逃げている。観ている限り後方から別の選手たちは追い込んでくる気配は感じられない、私はなんだか清々し気分で不安を全く感じられなかった。『大丈夫そうだな! そのままそのまま我慢 我慢』と知り合いが叫んでゴールフラッグ
赤い帽子と黄色い帽子でゴールしたみたいだ。
確定放送と共に確定盤に配当金が発表され
枠単 3ー5 330円
私たちは勝利して帰路についた。勝ち逃げが博打の必勝法だ
帰り道競輪は覚えるのが大変だそうだ。競馬みたいにたまにやる程度だと約一人前になるのに三年かかると教わり私はこの後知り合いに誘われ時はなるべく競輪場に遊びに行った。知り合いは競輪が玄人肌だった。私は14戦13勝で一回は観ていた。自分で予想していないので知り合いが単に上手だった。
私は競馬から競艇 オートレースとはまり最後に競輪に今は嵌まっている 競輪が麻雀と一緒で飽きないし勝負しやすいし楽しい。
競輪は難しいと言う思いは今はないができる限り、初心者本に解りやすい競輪を徐々にテーマに挙げて説明していきたいと思ってます。