今日は叔父さんの月命日だった。
叔父さんは父の弟。
鹿児島の鹿屋で昭和20年の今日
特攻隊でわずか16才で命の日が消えた。
出動日を幹部に言われたら、出動3日前に
三角小屋籠り、遺書を書くそうだ。
どんな心境だっただろうか?
やりたいことがいっぱいあったと思う。
まだ死にたくなかったと思う。
その日の朝6時に3人乗りの零戦に乗ったそうだ。
その時に2機飛び立ったが、
叔父さんの乗らなかった零戦は調子が悪く、
基地に帰ったそうだ。
別な零戦なら人生は変わったかもしれない。
戦死を知ったお婆ちゃんや父達は
どう思っただろうか?
父も戦場にいたから、連絡は後からだった
だろう。
明日死ぬのが分かっていたら、私は何を
するだろう。
家族と美味しい物を食べ、沢山話をする
だろう。
寿命のタイムリミットが分かれば、
もっと1日を大切にするだろう。
今コロナの事で不安だか、その当時は
もっと不安だっただろう。
毎日アメリカのB29が飛び、爆弾を投下され、
びくびくして、心から休めなかっただろう。
食べる物もなく、家族とバラバラになったり、
住む所もなく、想像を絶するものだったと思う。
私達は夜は休め、食べる物や住む所も在る。
日中だけコロナの事を考えるが…
尊い命を捧げて今の平和を築いてくださった
方々と生かされいる事に感謝し、
今出来ることを一生懸命にし、過ごしたいと
思う。