こんばんは、薫馬(たくま)です。

 今日は初めて、誰かに見られる場所に、自分の性について書いてみます。

 

 私は、女性としてこの世に生を享けた、Xジェンダーです。

 Xジェンダーは、日本独特のジェンダーの概念で、男女の枠に当てはまらない性別の在り方を指します。私の場合は、現状、男性よりの中性です。

 

 薫馬という名前は、母が今の私がもし男性として生まれていたら、を想像してつけてくれた名前です。気に入っています。

 

 

 明確に、自分は女として見られたくない、と感じ始めたのは、中学2,3年生のころでした。

 

 それまでは、プリンセスに憧れて、周りが好きと言っている、流行りの可愛い服を選んできた人生でした。いわゆる、普通の女の子。

 

 プリンセスが好きだったのは本当だったと、今でも言い切れます。母は、おしゃれで、他の子とは違うものを着せたがったけれど、私は他の女の子と同じがよかった。メゾピアノや、ちょっと大きくなるとラブトキシックといった年頃の女の子向けのものが好きになりました。

 

 けれども、その一方で、玩具売り場のプラレールの展示をじっと見ていたり、母が時折、コンビニで売っている飛行機の組み立てキットを買ってきてくれるとうれしかったり、小学校高学年になるとFPSを男の子に交じってやるようになったりしました。

 

 そして、中学生に半ばに差し掛かるころには、「自分は、トランスジェンダーなのではないか?」と考えるようになりました。

 自分の遊びの趣向に限らず、カジュアルな文脈で「私」ということに違和感を覚えたり、「俺」に心地よさを感じたり、「かわいい」よりも、「かっこいい」のほうが嬉しかったり。

 

 今思い返すと、一種反動的なものであったような気もします。女の子として見られたくないから、自分は男だと主張していたような。「中性だ」と言うと、「結局は女だ」と付け入られる隙を作るような気がしていたのだと。今は、そういう風に思います。

 

 自分のことを「俺」と言っているのを、クラスメイトの男の子に聞かれて、「なんで女なのに『俺』って言ってんの?」と言われてしまったこともありました。友達は、割と自然に受け入れてくれていました。まだ確信が持てていない、小学生の頃の話です。

 

 小学6年生の夏、月経がはじまり、月一で「お前はどうやっても女だ」と言われているような気がしました。だいたい月の四分の一、人生の四分の一損しているんだと、無駄にしているんだと、悲しくて悲しくてたまらなくて、母に感情のまま訴えてしまったこともありました。叫んでもどうしようもないこと。朝起きて、どうしようもならない自分の性別が嫌で、嫌で、死んでしまいたいと思ったことが何度もありました。

 

 自分がXジェンダーではないかと考えるようになったのは、本当にここ半年くらいの話です。

 

 いざ、「自分はトランスジェンダーなんだ。男として扱ってほしいんだ。」と声に出してみると、それはそれで、なんだか違和感がありました。ちゃん付けよりはくん付けがいいし、女の子よりも男の子といる方が落ち着いたし、かわいいよりもかっこいいがいいけれど、何だか完全に俺は男なんだ、は違った。

 

 女性ではないけれど、男性であるとも言い切れない。それが、今の自分の心の内側。

 

 高校に入ってから、制服ではスラックスが選べるようになって、自分の恰好は理想に近づいた。けれども、どんなにかっこよく、頼られる存在であろうとしても、「かわいい」と言われてしまったり、ちゃん付けで呼ばれてしまったり、自分が見てほしいように見てもらえないのが現実です。心を許した友達とは、恋愛の話はできるようになりました。別に、女性でも男性でも好きになるけどね、と告げても、誰も気持ち悪がらないでいてくれます。

 

 両親とは、少しづつ私のジェンダーやセクシュアリティのことを話しています。父は「かわいい女の子を連れてきてくれた方が嬉しいまである」と冗談気味に言ってくれたり、母もからかいつつも、私が自分のことを「俺」と呼ぶこと、スカートやワンピースは好きではないこと、女性として扱われたくないことを受け入れていてくれていたりします。

 

 まだままならないことが多くて、自分が将来、どう性と付き合っていくのかは分かりません。もしかしたら、やっぱりFtMでした!となるかもしれないし、結局女でいたいと思うかもしれない。すべての可能性を打ち捨てたくなる日が来るかもしれない。ただ、今の思いは、もっとジェンダーやセクシュアリティのことを大学で学びたい、研究したい。もっと世の中にSOGI教育を広めたい、それだけです。

 

 時系列が前後しましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。では、またどこかで。