最近というか、去年の夏頃に読んだ本のまとめになります。いつになったら今年に入ってから読んだ本の感想を書けるんだびっくりもう4月やんけ/(^o^)\  自分用の記録且つ完全に私の趣味の世界です。深センとか駐妻とか全く関係なくて本当にすみません。
毎度ながら作品のネタバレを盛大に含みます。あまりに長くなったので他の作品の感想と分けましたがそれでも尚超長文なので本当にお暇な方のみどうぞ。。。


☆泣き虫弱虫諸葛孔明  第伍部
酒見賢一/文芸春秋

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ついに完結してしまいました.˚‧º·(´ฅωฅ`)‧º·˚.    去年の一時帰国の際、息子と本屋さんに行ったところ息子が「ママ!  泣き虫弱虫諸葛孔明の新しい本が出てるよ!」と教えてくれました(*´꒳`*)  でかしたぞ息子よ(//∇//)  息子は私が好んで読んでいる本をよく覚えているみたいです。おかげでおちおちエロ本も読めませんわ笑

こちらのシリーズは正史と演義のハイブリッドで、酒見先生の鋭いツッコミには何度となく笑わされました。三国志は登場人物皆キャラが立っててすごく美味しいんですが、時々更にキャラの濃いとんだフェチ野郎(鄭泉とかw)が登場してほんまにおもろいです。しかし本作も他の三国志作品と同じく、北伐あたりから全体的にしんみりとした雰囲気が漂ってきます。
本書では、濡れた目つきでまとわりつくように鄧芝を口説いたり、劉禅にいかがわしい雰囲気を受信されたり、舐めるような視線で鄂煥をぞくりとさせたり等、孔明先生の変態性と気持ち悪さ(※いずれも褒め言葉です)がいっそう強調されています。なんか描写が深読みさせる感じなので、私はうっかり腐女子向けの同人誌を買ってしまったのかと何度も錯覚しましたwww

南征のくだりは安定の面白さです。七擒七縦は嘘であるという説に対し「『どうして?みんななんで孔明を信じてあげないの。ひどいよ、孔明はちゃんと、七擒七縦したんだよ。わたしだけは信じているから!』といういたいけな少女の心を踏みにじっていいのか。」と書かれていますが、こんなこと言ういたいけな少女なんているわけないだろwwwwwwwと心の中で突っ込んだ読者は私の他にもたくさんいると思います。あと、伏波将軍(馬援)の廟でご老人に何をしたんだ孔明びっくりびっくりびっくり

一気に飛びまして(なにせ長い。笑)、五丈原へ赴く前に姜維と一緒に昭烈皇帝(劉備)の廟に詣でた孔明。姜維は孔明の忠義の厚さに感動しますが、孔明の脳裏に浮かんでいたのは三顧の礼以来劉備と過ごした愉快な日々の思い出でした.˚‧º·(´ฅωฅ`)‧º·˚.   うっかり吹き出しそうになっちゃうところが酒見孔明だよね。でもそこがまた泣ける.˚‧º·(´ฅωฅ`)‧º·˚.    第壱部〜第弐部の劉備軍団は最高にキ○ガイじみてて(※褒め言葉です)本当に笑えたなあ。(張飛と趙雲以外は)皆仲良しだし萌えます(*´꒳`*)♡


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「託孤遺命」(中国語では“永安托孤”)は、『三国志』『三国志演義』において劉備と諸葛亮との厚い信頼関係を体現した場面として記述され、読者に深い感動を与え(ることもあり)ます。しかし、「君自ら取る可し」という遺言に託された劉備の真意については古くから議論が起こっていたようです。第四部の劉備の臨終のシーンでは、「皆の前で『君が取ってかわれ』などと言われたら、さすがの孔明も、『国をくれるなんて、親切な人だと思った』とは言えない(いや、言ってもいいけど)。(中略)これぞ劉備の魔性の遺言、孔明を金縛りにする頓知であった、とも言える。」と書かれており、また、渡邉義浩氏の『三国志』(中公新書)では以下のように解説されています。「明の遺臣である王夫之(王船山)は、劉備の遺言を、出してはいけない『乱命』であるとし、『この遺言から、劉備が諸葛亮を、関羽のように全面的には信頼していないことが分かる』と述べている。(中略)劉禅に才能がなければ自分が即位することは、劉備の命令である。かと言って、命令に従えば、亮を父と慕う劉禅を裏切り、漢の復興という志を捨てることになる。このように臣下が従うことのできない君主の命令を『乱命』と呼ぶ。(中略)こうした遺言を劉備が残した理由は、陳寿が強調する忠のベールを剥がすと見えてくる、劉備と諸葛亮の間の緊張関係にある。(中略)関羽・張飛のみならず、夷陵の戦いで挙兵以来の軍勢を失った劉備は、『乱命』により諸葛亮の即位に釘をさすことでしか、劉禅の未来を守れない、と考えたのであろう。」  ちなみに渡邉氏は他の著書でも劉備と諸葛亮とのせめぎ合いについて詳しく解説なさっています。
《易中天品三国》第36集においてもこの問題が取り上げられ、詳しく解説されています。 《易中天品三国》は、中国で放送された《百家论坛》というテレビ番組のシリーズの一つで、厦門大学の易中天教授(当時。すでに退職なさっているようなので以下易元教授と表記します)によって三国志が解説されています。易元教授は、もし劉備が本当に、自分の子が不才だった場合、股肱の臣とはいえ姓の異なる他人に皇帝の地位を譲ると本心から言ったのであるならば、中々できることではないからこそ貴いし率直に言って偉大であると述べながらも、ではそれは果たしてあり得るのかというと、あり得ないとしています。

私にとってはかなり目から鱗でしたので、以下易元教授の解説を抜粋してふんわり訳してみます。誰も興味ないと思うけど

中国の伝統的な政治制度は君主世襲制であり、この世襲制は少なくとも夏商周の時代には始まっていた。秦以降は君主は世襲、官僚は非世襲で、秦より前は君主も官僚も皆世襲制であった。このような長きに渡る世襲制の伝統の中で、思いがけず1人の人物がこの伝統を破り、国を安んじ定めることのできる者に(皇位を)譲るというのは、当然公正無私(の行い)である。何故ならこれは、彼が国家と国民の利益を至高の地位に置き、国家と国民の利益の為に、自分達皇族の利益と(伝統観念に照らし合わせると)天が彼に与えた天賦の神権を放棄することを惜しまないことを意味するからである。周知の通り、中国の古代政治制度では君権は天から授かったもの、神から授かったものである。天と神が自分に授けてくれたものを賢明で能力のある人に譲るなんて、なんて偉大なんだ!

問題は、これは可能なのか?ということだ。 私の結論は、不可能である。どうして不可能なのか?  第一に、歴史上前例がない。中国の歴史上、自分と自分の子孫の皇位を、姓の異なる他人に喜んで譲った皇帝などいない。すべての皇帝は自分の家族の末永い統治を望んだ。たとえ彼の息子が愚かだったり、頭が弱かったり、身体に障害があったとしても、決して他人に譲ったりしなかった。どうして1人の例外が出てこようものか?  第ニに、たとえ仮に劉備が例外だったとして、彼の思想がどこからきたものか私にもわからない。古代中国では王朝を替えるしか代を替える方法がなかったので、(国を治める資格と能力のあるものが)代わる代わる国を治める民主思想などなかった。もし劉備にこの思想があったとして、古代中国のワシントンにでもなるというのだろうか?  第三に、もし仮に劉備がワシントンになりたかったとして(※訳注  この仮定もたいがいおかしいが。笑)、諸葛亮にはアダムズになる勇気はない。当時がどんな状況だったか考えてみてほしい。曹操は皇帝の実権を失わせたに過ぎないにもかかわらず漢賊の誹りを免れなかったのに、諸葛亮がもし本当に阿斗に成り代わったら、どのように罵られるだろうか?どうしてこんなことができるだろうか?

これらの見解を説明した後、私達は問題の鍵がどこにあるか気付かされると思う。キーは何処にあるか?“如其不才,君可自取” (如し其れ不才ならば、君自ら取る可し) この8字は何を意味しているのか?  これについて、四川大学歴史学部の方北辰教授が別の見方を示している。方先生によると、“自ら取る”は“これに取って代わる”ではない。この「取る」は諸葛亮が劉禅の皇位を奪い取るという意味ではない。ではどういう意味なのか。これは「自ら選び取る」という意味である。つまりこの「取る」は「取って代わる」ではなく、「選び取る」の「取る」である。あなたは自分で選んで良い。何を選ぶのか?別の皇帝を選ぶのだ。どこから選ぶのか?劉備の他の息子達の中から選ぶのだ。つまり、“如其不才,君可自取”の8字はこういう意味である。もし劉禅が駄目ならば、彼の弟達の中から再び(皇帝を)選んで良い。即ち、劉備が諸葛亮に与えたのは皇帝の廃立の権利であって、諸葛亮にこれに取って代わらせるわけではない。
この説なら説明がつく。どうして説明がつくのか?三つの理由がある。一点目、劉備には3人の息子がいた。劉禅、劉永、劉理、では長男が駄目ならば次男、次男が駄目ならば三男がやれば良い。二点目、劉備は彼の息子に二通の詔書を残していた。一通目は劉禅宛で、丞相に父事するようにと書いてある。もう一通は劉永宛で、お前達兄弟は丞相に父事するようにと書いてある。二通の詔書は、劉備が劉永を二軍として考えていた可能性が高いことを説明している。三点目、廃立の権利はすでにとても大きな権力である。この時代の帝王として、話の程度がここまで及ぶことはすでにとても重いことであり、君がこれに取って代われという言葉を言った可能性は高くない。私はどちらかというと方先生の説に賛成である。それ故私は前に述べた説明の中で“君可自取”をどのように訳したかーー先生がその事を自分で進めても良い。


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なんやかんやで色々ありましたが、結局諸葛亮は劉禅に誠心誠意仕え続けました。出師表は一見格調高く堅苦しい文章ですが、劉禅に喝を入れたり諭したり、ところどころ口うるさいオカン感が滲み出ています。こんなことまで言われるなんて、劉禅はやっぱりダメな子だったんだなあ、と思う部分もありますが…タラー  それでも結局孔明先生は劉禅に取って代わることはもちろん、他の太子を皇帝に立てることもしませんでした。

頼りになる仲間がどんどん自分を置いて死んでいってしまう中、自らも数々のジレンマを抱えていたにもかかわらず、限られた条件の中でベストを尽くし、過労死するまで働いて漢復興の為に戦い続けた孔明先生は本当に高潔で清廉な人物だったと思います。普通の人はこんなひたむきな生き方できないよ。。。本作の孔明が北伐を続けた理由は少し違っていたようですが…。また、吉川英治先生は諸葛亮のことを清廉で正直な偉大なる凡人と評していらっしゃいますね。

ジレンマとは。主君との政治的なせめぎ合いとか主君が途中から漢復興の理想を忘れてしまっていたっぽいこととか自分の反対を押し切って戦争したあげく大敗北を喫して国の重要な人材や物資を大いに損なった主君の尻拭いをしなければならなかったこととか丞相でありながら全軍を指揮しなければならなかったこととか色々あったと思います。というかこう書くとやっぱり全部劉備が悪いですね。北伐は素人目から見ても無理ゲーですし、国民に強いる負担も大きいものでした。しかし、もし北伐を行わなかったならば蜀漢の存在意義は筋が通らなくなり、後の時代に蜀漢正統論が唱えられることもなかったかも知れません。第四部の冒頭では、「劉備は大きな禍根を残して死ぬが、そのせいで諸葛亮ははなはだ苦労して、アリ一匹の身ながら、カブトムシの大きさの魏に挑み、挑むだけではなく、噛みついて殺さなければならなくなった。蜀漢とは、滅魏復漢という究極目標が無ければ、根無し集団、存在の意味が不明のおかしな地方政権にならざるを得ないのである。」と述べられていますが、私も大いに賛成です。


「げえっ。孔明!」孔明に異常に怯える司馬懿かわいい😇   私は横山三国志はちょろっとしか読んでいないのですが、「げえっ」は日本の三国志作品においてはすでに様式美と化しているんですよね( ´ ▽ ` )

孔明先生が主人公のお話なので感想も孔明先生中心になってしまいました(>_<)  私は魏だとぴぃ様が好きですପ(⑅ˊᵕˋ⑅)ଓ  あと、ヤ○ザで広島弁の呉は本当に私得でしたありがとうございます(੭ु ˃̶͈̀ ω ˂̶͈́)੭ु⁾⁾  毎回蜀の話ばかりしているので魏と呉についてはまた改めて考察をうpしたいです。

三国志をご存知ない方には「何のこっちゃ」って感じですよね、本当にすみませんアセアセ  三国志は、主にオッサン同士が互いに騙し合ったり陥れ合ったり殺し合ったりするお話です。この時代に亡くなった人の数の多さを思うと単純に面白がるのは不謹慎かもしれませんが、それでも三国志には人の英明さ、愚かさ、強さ、弱さ、愛情、友情、慈愛、嫉妬、信頼、忠義、裏切り、三角関係(?)等、ありとあらゆる人間ドラマが詰まっています。三国志にハマったら人と人の関係性の素晴らしさに浸れるよ…彼らには本当に、尊いという言葉が似合うんだ…!
陳寿先生羅貫中先生酒見先生を始め、すべての三国志作家様ありがとうございます!!!!!  なんだこの〆びっくりびっくりびっくり


最後までお読みいただきありがとうございました。


おわし