やばい、前に記録してから一年近く経ってる…
最近というか、去年の4月〜6月くらいまでに読んだ本のまとめになります。自分用の記録且つ完全に私の趣味の世界です。深センとか駐妻とか関係なくてすみません。
毎度ながら各作品のネタバレを盛大に含みます。超長文なのでお暇な方のみどうぞ。。。
☆ターザン
エドガー・ライス・バローズ/厚木淳訳/創元SF文庫
ターザンは子どもの頃にも読みましたが、なんだか久しぶりに読みたくなったので原作に近そうなこちらを読みました。訳者あとがきでも解説されている通り、本書の基本的な骨格は貴種流離譚です。ディズニー映画ですとターザンの両親はヒョウ?に殺されてしまうようですが、原作ではこのあたりの顛末は少し異なっています。まず、若き英国貴族であるクレイトン夫妻(ターザンの両親でターザンの母親はこの時妊娠中)が植民地に赴任するために乗った船で水夫達による反乱が起こり、夫妻の口から事件が発覚することを恐れた反乱の首謀者達は夫妻をアフリカ大陸の浜辺に置き去りにしてしまいます。グレイストーク卿(ターザンの父親)は凄まじいサバイバル能力を発揮し、数ヶ月かけて安全で快適な小屋を建設します。クレイトン夫人(ターザンの母親)は健気に夫に付き従いますが、ある日類人猿に襲われ、恐怖とショックのあまり精神に異常をきたしてしまいます。その夜ターザンを出産しますが、回復することなく一年後に亡くなってしまいます(´;ω;`) かわいそう…(´;ω;`) グレイストーク卿も、妻を亡くしたその日に類人猿の群れの長であるカーチャクに殺されてしまいます。ターザンは後にカーチャクとの死闘に勝利することにより、自分ではそうと気付くことなく父親の仇を討つことになります。
奇しくも同じ日、類人猿のカーラは自分の子どもを不幸な事故で亡くしてしまいます。グレイストーク卿殺害の現場に居合わせたカーラは、小屋の中に取り残された人間の赤ん坊を見つけ、母性本能から彼を守り育てることにします。皮肉なことに、この時カーラが小屋のベビーベッドに自分の子どもの遺体を置いたことから、ターザンが自分の正体を知るのが遅れることになります。。。
ターザンは絶世の美男子ですが、それはあくまで人間の基準での話で、成長するにしたがって他の類人猿達とは違う自分の容姿にコンプレックスを持つようになります。そんな時、ターザンはかつて自分と両親が暮らしていた小屋に侵入することに成功します。ターザンが、彼自身はそうと気付かずに、自分の両親が自分の為に揃えてくれていた英語の本で言葉を勉強するのが切なくて泣けます…。彼は英語の発音は全くわからないものの、数年かけて全くの独学で自在に読み書きができるレベルまで英語をマスターします。彼は勉強することにより、自分が類人猿ではなく人間であることを知り、自分の無毛の躰や人間の顔立ちを恥ずかしいと思わなくなります。ターザン賢すぎwwwwwと思いつつ目の奥が熱くなりました…。
ターザンが原住民を快楽的にコロコロするシーンは私が昔読んだ本にはなかったですね。人間の秩序の外にいる存在であるターザンが何故か始めから黒人を蔑視していて、さすがに差別表現が露骨だと感じました。作品が書かれた当時の時代を反映しているのかもしれませんが…。
“ターザン”は類人猿達が彼につけた名前で、“白い肌”を意味します。訳者あとがきの中で、「英語の発音のわからないターザンが、何故自分の名前のターザンにTarzanというアルファベットを当てることができたのか」と突っ込まれていて笑ってしまいました。
ターザンは絶世の美男子で身体能力抜群で高知能で血筋も良くて一見完璧な超絶ハイスペック野郎ですが、性格は内省的で複雑です。野蛮さと高貴さ、残酷さと優しさ、こういった一見相反する性質を有し、たまにそれらの間で苦しんだりする姿が人間らしく、物語全体を面白くしていると感じました。そしてジェーンへ向ける愛情のひたむきなこと。最初はストーカーちっくだけど ジェーンはターザンに心惹かれながらも、いざ人間の世界へ戻ってみると自分の感情が恋心なのか自信がなくなったり、彼のような人物を家族や友人に紹介したら彼らはどんな反応をするのか心配したりするんですよね。そしてウィリアム(グレイストーク卿。ターザンのいとこ)を愛せるか理性的に考えたりします。このあたりの女心の描写はなんだかリアルだなあと思いました。また、ターザンと育ての親であるカーラの絆も感動的です。カーラの無私の献身的な愛情は、本文にも書かれている通り人間の母親でもかなわないと思わせるほどのもので、またターザンも、ふつうのイギリス人の青年が母親に対して抱く敬意と愛情のすべてを無意識のうちに惜しみなくカーラに注いできたのでした。ターザンの実の父親の仇は類人猿で、育ての親の仇は人間なんですよね… まさに複雑な愛憎模様です。
本作品にはもう一つ面白いエピソードがあって、当時雑誌に掲載された際はトラが登場しており、作者も編集者も、アフリカにトラは生息していないという読者からの指摘を受けるまでそのことに気がつかなかったそうなんですね。アフリカに植民地を持たなかったアメリカ人の盲点だったといえると訳者の厚木氏は述べています。単行本化された際はトラが出てくるシーンはすべて雌ライオンとヒョウに置き換えられたのだそうです。
この巻ではターザンとジェーンはまだ結ばれないので、時間ができたら次巻も読みたいです。
☆死のドレスを花婿に
ピエール・ルメートル/吉田恒雄訳/文春文庫
ヴェルーヴェン警部3部作を読み終わりまして、この作者さんにハマってしまったので他の作品も読んでみました。最初の方はソフィーがメンヘラすぎて引きながら読んだのですが、彼女が経験した身も凍るような恐ろしい出来事の数々が明らかになるとそりゃおかしくなるわ…と納得しました。最後の方のソフィーの父ちゃん仕事しすぎwwwww あとラストでわざわざ奴にドレスを着せる意味はあったのか? 邦題はネタバレ自重してほしいです… 直訳じゃ売れにくいのかなあ…? あと、フランツにコロコロされてしまった男の子の事件については投げっぱなしのまま物語は終わってしまいますが、その後どうなったんですかね…? あの男の子もかわいそうでした(>_<) こんな感想ですみません。この作家さんの作品は鬱耐性・グロ耐性のある方なら大いに楽しめると思います。そういえばその女アレックスの映画化の話はどこまで進んだのかしら? 何気に楽しみにしてるんだけど…
☆陋巷に在り 1 儒の巻
酒見賢一/新潮文庫
この作品は諸星大二郎先生の『孔子暗黒伝』の影響を受けているらしく、カバーイラストも諸星先生によるものです。お恥ずかしながら私は読んだことありませんが(>_<) 泣き虫〜のようなぶっ飛んだノリかと思いきや、語り口は案外普通でした。しかしこちらも薀蓄たっぷりで読み応えがあります。でも物語としての展開はややテンポが悪いかなあと思いました(>_<) 顔回のキャラは萌えます。かわいい。
私はこの本を読むのに異常に時間がかかってしまったのですが、理由を考えてみたところ、本書に書かれている「儒」と「礼」と「巫」の関係性が最初はよくわからなかったからだということに気がつきました。こちら(中国語)を読んだらなんとなく理解できましたし、中国でも殷商の「儒」と《周礼》や《論語》等に書かれている「儒」は区別して論じられていることがわかってからはすんなり受け入れることができました。 本書を読んでいらっしゃならない方は「何のこっちゃ」という感じですよねすみません!!!
《说文解字》の“儒”に対する解説は「儒,柔也,术士之称(儒は柔なり。術師の呼称である)。」とあります。殷商の頃は占いや呪い、祈祷を行う(当時は病気を治す時も巫師が祈祷したりしていたので医者さえも兼ねていたと言えます)人は儒/巫/術等と呼ばれ、これらは区別がなかったといいます。祭政一致の政を行っていた殷商においては「儒」は知識分子と見做され、当時は社会的地位の高い職業だったようです。時代を経るにつれて儒の社会的地位は低下していったようですが…。百度百科によりますと、周の時代を経て春秋の頃には巫、史、祝、卜等から分化し、詩書礼楽に通じ貴族に対して(礼に関する)サービスを行う人を「儒」と呼ぶようになったと書かれています。しかし、本書における礼は未だ雑駁すぎる内容を持つものでした。本作品における孔子は、礼を“巫儒の業”から“君子の学”に革めるために試行錯誤を繰り返すことになります。「一口に礼とは言うがその範囲は非常に広範囲に及ぶ。(中略)礼とはマナーであり祭祀儀礼であり、呪詛呪術であり、伝統である。この極めて雑然としたものを蒸留精製する必要がある。社会に害のあるような礼は不純物としてきっぱり排除する勇気を持たねばならない。」
夹谷の会のくだりは不気味さがすごかったです。そして何人死ぬねん…。この場面については《史記》の《斉太公世家》には「(景公)四十八年,与鲁定公好会夹谷。犁鉏曰:“孔丘知礼而怯,请令莱人为乐,因执鲁君,可得志。”景公害孔丘相鲁,惧其霸,故从犁鉏之计。方会,进莱乐,孔子历阶上,使有司执莱人斩之,以礼让景公。景公惭,乃归鲁侵地以谢,而罢去。是岁,晏婴卒。」とあり、現代のイメージとは異なる中々ワイルドな孔子の一面を垣間見ることができます。孔子は背丈が十尺あるいは九尺六寸あったといい、孔子の父親も名のある武人でした(孔子が幼い頃に亡くなっていますが)。また、馬術や弓術は特に秀でていたといいます。そんな孔子を何故犁鉏は「礼は知っているけど勇気がない」と判断したのかは謎です。ちなみにこの“进莱乐”という表現についてはマニアックで素敵な論文(中国語)を見つけました。晏子も莱の人だったそうです。《春秋左伝》定公十年の記述では流血表現(?)は控えられており、孔子の毅然とした、また君子然とした沈着な態度と卓越した外交手腕が印象に残ります。《史記》《孔子世家》では下のように記載があります。めんどくさいので画像うp
また、《春秋公羊伝注疏》に「注:颊谷之会,齐侯作侏儒之乐,欲以执定公。孔子曰:“匹夫而荧惑于诸侯者诛”,于是诛侏儒,首足异处,齐侯大惧,曲节从教,得意故致也。」とあり、酒見先生は優倡侏儒の登場シーンを描写する際この辺りを参考にされたと思われます。孔子が(役人に命じて)侏儒を殺したのかそれとも「手足処を異にす」に留めたのかは各史料の記述がばらばらすぎて議論の余地があるようです。
全巻購入して今2巻目を読んでいるのですが、全巻読み終わるのはかなり先になりそうです… しかし、今学期は論語の授業を取っているので、前よりも読むのが楽しくなっています(//∇//)