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2024/4/18-6/16開催の

「茶の湯の美学-利休・織部・遠州の茶道具-」

三井記念美術館に行ってきました。

 

 

 

わび茶の師
千利休が師と仰いだ村田珠光・北向道陣・武野紹鴎。
 

 

古田織部の美意識=「破格の美」
 

 

小堀遠州の美意識=「綺麗さび」

 

 

千利休の美意識=「わび・さびの美」

 

一部、撮影することができました。

 

 

武野紹鷗消息(卯月二日付 林兵部宛)
室町時代・16世紀
北三井家旧蔵

某年の4月1日の茶会で、岡部殿の鯉の食べっぷりが話題となり、壬生忠見の古歌「恋すてふ我名はまだき立にけり 人知れずこそ思ひ初めしか」をもじった狂歌を詠んだが、亭主が「その歌ならば「ただみ」の歌だが、骨まで食ったのはいかが」と突っみ、座中どっと大笑いと楽しそうな茶会の様子が知れる。

 

関係ないけれど、この「恋すてふ…」は「エースをねらえ」に出てきて、友人と覚えた歌です。

鯉の食べっぷりに登場するとは!

 

 

小倉色紙「うかりける・・・」
藤原定家の和歌色紙
鎌倉時代・13世紀


「うかりける 人を初瀬(はつせ)の 山おろしよ
はげしかれとは 祈らぬものを」
『千載和歌集』にある源俊頼の歌で、藤原定家が小倉百人一首に撰んだ。
京都、嵯峨野の小倉山荘に貼られた小倉色紙は、定家晩年の書。

武野紹鷗が小倉色紙を茶室の床に掛けてから、茶席に掛けられるように。

この色紙は前田利家・伊達政宗が所持し、柳生家を経て北三井家に。

 

この歌も私の百人一首の得意札。

「年寄うっかりはげ」なんて不謹慎な覚え方をしたかも。

 

 

千利休筆消息
小田原陣中からの利休の手紙
橋立狂歌入
桃山時代・天正18年(1590)
北三井家所蔵


天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めに利休も従軍。
小田原陣中から石清水八幡宮の社僧瀧本坊実乗に宛てた消息。

従軍の様子や、小田原の哀れな様子が記され、未尾に秀吉との確執の原因になったともいわれる精笠の茶壺の狂歌「橋立狂歌」が添えられる。

翌年の秀吉との破局を暗示する歌。

 

 

有馬湯山茶会記
(天正十八年十月四日・五日)
伝千利休筆
桃山時代・天正18年(1590)
北三井家旧蔵

豊臣秀吉が小田原攻めの後、天正18年10月に有馬温泉で行った茶会の記録。

裏千家四代仙曳が箱書で利休筆と極めている。

利休が茶会を仕切り、有馬湯山の阿弥陀堂で茶会を催した。

亡くなる4か月余り前の茶会

 

参加するメンバーや、使うお道具などを記載。

 

お菓子とかは書かないのですね笑

 

 

向弥陀堂袋(大)

有馬温泉の阿弥陀堂
伝与次郎作
桃山時代・16~17世紀
北三井家旧歳
表千家四代逢源斎(江岑)が記した『江岑夏書』によれば、利休が有馬温泉の阿弥陀堂の僧に依頼され、与次郎に作らせたもので、利休自らも用い、さらに同じ器形の釜が多く作られたという。

肩から胴の曲線には長次郎の楽茶碗に通じるものがある。

 

 

聚楽第図屏風
桃山時代・16世紀
新町三井家旧藏


聚楽第は、天正15年(1587)9月に秀吉の屋敷を兼ねた居城として建てられ、その記念に北野大茶湯がせ行われた。

利休の聚楽屋敷 濠の外、葭屋町(現在の晴明神社の辺り)にあったという。

秀吉から切腹を命じられ、天正19年(1591)2月28日に、ここで自害して果てたとされる。

聚楽第はその年の12月に関白となった豊臣秀次に与えられたが、文禄4年(1595)7月秀次の高野山追放と自刃により、8月には解体・破却され、わずか8年間しか存在しなかった。

 

 

 

 

千利休画像(表千家伝来の利休像写し)
啐啄斎利休遺偈
面像=三井高祐筆
遺偈=啐啄斎筆
江戸時代・寛政6年(1794)
北三井家旧蔵

表千家に伝わる長谷川等伯筆とされる千利休像を、北三井家六代三井高祐が写したもので、上部に表千家八代啐啄斎が利休遺偈を記している。

高祐は円山応挙の門人に名を連ね、この画像も円山派の筆法によって描かれている。

寛政元年(1789)が利休200年忌の年であり、その影響下での制作か。

 

 

・左上「黒中棗 金砂文字入」

千利休直書・随流斎直書在判 桃山時代 北三井家旧蔵
黒漆塗りの中棗。

底に「金砂」の文字が墨書される。

これを表千家五代随流斎が蓋裏に「利休」と極め、花押を朱漆で直書している。

「金砂」は金の粉・砂金・金砂子などの意味があるが、抹茶の粉を金の粉に見立てた趣向なのであろうか。秀吉の茶頭であった利休の周辺では、砂金は身近なものだったであろう。

 

 

・右上「黒中棗 追銘 影沄飾」
千利休在判-千宗旦直書在判 桃山時代・16世紀 室町三井家旧蔵
黒漆塗りの中棗。

蓋裏に墨書で利休の花掃(ケラ判)が記されているが、光線の角度でようやく判別できる程度かすかに残り、その脇に千宗旦が「利休」と極め、花押を朱漆で直書している。

表千家五代隨流斎が箱書でこれらを極め、さらに「カケ法師(影法師)」と追銘をつけている。

 

・左下「町棗」

千利休在判 桃山時代・16世紀 室町三井家旧蔵
無名の塗師の手になる棗を町棗といい、利休が選び所持したものが伝わる。

この棗もその一つで、蓋裏に利休の花押(ケラ判)が記されている。

箱書きと添状などから、利休の所持品を豊臣家から長持3棹に入れて千家に戻されたなかの品であると記されている。

 

・右下「黒楽茶碗 メントリ」


 

竹茶杓 共筒
千利休作・筒在判
桃山時代・16世紀
北三井家旧蔵

中節の竹茶杓で、節裏が削り込まれて蟻腰となっている。

共筒で利休の花押(ケラ判)を〆印としている。

筒の背面に細川幽斎(1532~1610)が「打捨てる物にはあらでくれ竹を代々の笑いのーふしとなれ」と狂歌を直書している。

表千家五代隨流斎の箱書では、幽斎が下削りをしたことが記されている。

 

 

霰釜

伝千利休所持

与次郎作
桃山時代・16世紀
北三井家旧蔵

姥口だが、口造りが少し立ち上がりのある「輪口」となっている。

口の立ち上がりまで霰が鋳出されている。

この釜には表千家六代覚々斎・七代如心斎・八代啐啄斎の箱書があり、それらの記事を総合すると、この釜が利休所持の霰釜で、底が朽ちたため五代随流斎が好みに仕替えたという。

 

 

 南蛮内渋建水
千利休在判

16世紀

北三井家旧蔵
東南アジアのどこかで焼かれた南蛮物で、建水に見立てたもの。

見込みに利休の花押(ケラ判)が黒漆で記されている。

内側に鉄渋(鉄釉)が流し掛けられて黒っぽい灰色を呈しており、これを「南蛮内渋」と呼んでいる。

表千家十一代碌々斎の箱書には「南蛮カメフタ建水」とあり、これももとは瓶の蓋であったらしい。

 

 

釜環 
伝千利休所持
桃山時代・16世紀
北三井家旧蔵

釜を持ち上げる金輪。鉄と唐銅の釜環。

釜環は釜の鐶付に通して釜を運ぶ金属製の輪。

表千家五代随流斎の箱書があり、2組とも利休所持と記している。

また、別筆の箱書では、千利休・千少庵・千宗旦と伝わり、随流斎から笹屋へ伝わったことが記されている。

なお、北三井家に伝わった時期については判然としない。

 

 

桑柄灰匙(灰をすくうサジ)
伝千利休所持
桃山時代・16世紀
北三井家旧歲

桑の木の柄のついた灰。

銅と亜鉛の合金である真鍮製と思われ、緑青が吹いて古色が出ている。

表千家六代覚々斎(1678~1730)の箱書では「利休所持灰杓子」と記されている。

北三井家六代三井高祐が、寛政12年(1800)に入手したようで、千家に持参して見せたことが日記に記されている。

 

 

沢栗炉縁(利休の規格)
伝千利休所持
啐啄斎直書在判
桃山~江戸時代・16~17世紀
北三井家旧蔵

茶席の炉は、古くは二尺(約60cm)前後の大きさであったが、利休の晩年に一尺四寸の炉が定着したとされる。

この炉縁も外寸が42.4✕42.4cmで、一尺四寸の大きさである。

底面には、表千家八代啐啄斎(1744~1808)が「利休」と書している。

利休所持ということであろうか。

木地の炉縁は沢栗が本来のものとされている。

 

 

雲龍釜(大)利休の好きな簡形
与次郎作
桃山時代・16世紀
室町三井家旧蔵

利休好とされる雲龍釜には大小があり、この釜は大。

筒形・皆口の特異な形であるが、かつて利休が同形で松鞠鐶付の芦屋釜を所持しており、その釜を与次郎に写させたといわれている。

利休好の雲龍釜は、胴に雲龍が鋳出され、共蓋の掛け合わせ蓋で、鈕に掻立鐶が付いている。

千宗旦の箱書がある。

 

 

素燒灰器(南蛮物を写したか)
伝長次郎作
桃山時代・16世紀
北三井家旧藏

長次郎作と伝えられる素焼の灰器。

灰器は炭点前の際に灰を入れて持ち出す容器で、炉用には湿灰を入れる大振りの素焼きのものが用いられる。

長次郎の灰器も利休の指導によるものと思われるが、水指や建水のような南蛮物の「瓶の蓋」と呼ばれる平らな鉢に倣ったものと思われる。

 

 

黒塗一文字椀(利休形のお椀)
5客
伝盛阿弥作(利休の塗師)
桃山~江戸時代・16~17世紀
室町三井家旧蔵

蓋の甲と高台周辺が平らになっているため一文字と呼ばれる。

添状の箱書に、「利休形一文字椀」とあり、表千家の久田家伝来と記載。

利休好の椀を知る上では重要な作品。

 

 

大満足の展示でした。

利休時代の物がいくつもあったり、小ネタ的に飲み会で笑った話などもあり、いろんな角度で面白かったです。

 

撮影できない所にもっとすごい物が沢山あったのは言うまでもなく、今回はこれだけのコレクションが蔵に眠っている三井家のすごさをひしひしと感じた展示でもありました。

 

 

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