どうにかこうにか、猛暑の8月9月が終わり、秋到来。

 

 

朝晩は、ひんやりしてきて、急な朝晩な冷え込みに、焦ってホッカロンを上着の内側に貼って懲りの痛みを防いだりして。

 

 記録更新が続いた酷暑の夏。

 

父の介護の時間制限が無くなり、盆も関係無く仕事しながらも、待ちに待っていた映画公開や、初の孫とのリクエストもあり、何度も映画館へ(映画鑑賞記は次回に)、テレビでも、ドラマ鑑賞や、スポーツ観戦などで、なんとかパワー充電しておりました。

 

秋といえば、芸術の秋。

 

情緒、感覚が、敏感になっているのか、雲一つ無い青空を見上げて、突然ウルッとしたり、「シモーヌ」を映画館で見た時は、途中から涙止まらず焦ったり。(歳と共に涙腺が緩んでしまっているだけ⁉︎)

 

そして、スポーツの秋。

 

アジア大会、ワールドカップなど、選手たちの熱戦を応援。近づいて来た、父との最後の秋田(納骨)旅行で、ざわざわしている気持ちを、まぎらして、パワー貰っていました。

 

 

久しぶり、読書の秋も。

 

久しぶりに手に取ったのは、おすすめいただいた、児童書、エーリッヒ・ケストナー作、「飛ぶ教室」。

 

間違えて児童版のおおきな文字の本が届き、あっという間に読み終えたものの、翻訳本が見たくなり再度、文庫本購入、通勤電車でこちょこちょよみしました。

 

児童書と言えば、「星の王子様」が愛読書。

読み返すたびに新しい感動があるのですが、こちらも、独特の始まり方で、少年たちの世界に、すぐ惹き込まれてしまいました。

 

話は、作者が書き出すところから始まり、登場人物の中の一人の少年の生い立ち、そして、男子校の寄宿舎で過ごす生徒たちが、題名の「飛ぶ教室」というお芝居を、クリスマスのお祝いに上演する為の稽古の場面へ。

 

少年たちが巻き起こす事件、決闘、そしてそれを見守るお大人たち。

古き良き世界と言ってしまえばそれまでですが、今も変わらぬ思春期の生徒たちの感情がじんじん伝わってきて、何度もウルウル。少年の心を持ち続け(忘れないように努力して)少年たちを見守る大人たちの振る舞いにも、胸が熱くなりました。

 

発表会成功から、クリスマス休暇へ。そして最後に作者が再登場、爽やかな余韻で絞めてくれます。鮮やかな情景描写に、何度もウルウルさせられ、電車で読んでいて参りました。

 

大人の振る舞いと言えば……

 

先日、シッティングで、3歳のお姉さん成り立ての女の子が、シッターの頭をポカリ。シッ

ターは、氷を出して頭を冷やし、帰り際に、お母さまにストレスがあるようだから、荒っぽいテレビは控えたほうがいいと伝えた話を聞いて、ショック受けた。

 

ベビーシッターは、子供の気持ち状況を想像し、ストレスを抱えていることを理解し注意深く見守り、叩く前に対処するのが、当たり前と考えています。自分の不注意を、お子様のストレスのせいにし、好きなテレビを見せずにさらに、急にお姉さんになったストレスの発散場を奪うことになれば、彼女の溜まった思いは、お母様や赤ちゃんに行く可能性も高くなる。

 

実際、赤ちゃんが生まれて、一時的に性格が変わってビックリしましたと、話すお母様もいらっしゃるくらいで、この話、なんとも言えない思いで、聞いてしまいました。

 

シッターを頼むというのは、それだけでお子様には、負荷がかかっているわけで、それを軽減させてあげることを優先に考えて、笑顔、笑い声がたくさん出るように心がけているのですが、お姉様が可愛いそうに、なりました。

 

「飛ぶ教室」に出てくる教師たちは、本当に、よく子供たちの話を聞き、観察し、認めて、その上自分たちの力の足りなさを反省し、生徒たちに寄り添います。

 

それは、子育て卒業して(反省ばかりの子育てです)、お母様の手助けできたらと、シッターという仕事をはじめ、何度も失敗繰り返した自分にとって、教えを頂いた諸先輩と重なる、理想の大人の姿でした。

 

何度も、読み返したくなる本がまた一冊、出来ました。

 

すぐには見えてこないものを、理解しようとすることは、難しいけれど、その気持ちはいつも持っていたいし、みんなが傷ついていることを、感じられる心を持ちたい。他人の気持に鈍感だった自分を、戒めながら。

 

目の前に見えていることだけで、判断しようとする大人の多い事を、最近テレビを見るたびに感じています。(まるで公開イジメしているように感じ始めて、見るのをやめました)

 

大人たちの行いが、子供たちの夢や希望、笑顔を、奪ってしまうことにもっと敏感になってほしいと、願わずにはいられません。

 

秋は、特に、情緒的になってしまう自分です。