ー あとがき? ー


本編は終わったモノと考えていただいて結構なんですが🤗💦


こっから書いてくのは整理もつかない想いがとっ散らかってるだけの、読みにくーいユーレイの想いのカケラたちですw


気が向いたら流し読んでみてください🙇



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地下から上がりお外に出ると辺りはすっかり暗くなっとった。


グーグル先生でホテルの位置だけ確認して歩き出す🚶‍♂️



想うことはたくさんあったなぁ…😌


Hangjam🍯という特別な音楽を、

これまた特別なビルボードという上質な空間で

メイさんの持てる"今"を解き放った彼女の魅力溢れるライブは"極上の音楽"だった🎵✨💕



シンガー·ボーカリストとしてはもちろん、

ミュージカル経験も積み重ねアーティスト·表現者としても飛躍的に成長してて✨(pq¨*)+。゜


これまで歩んできた道の上で得た経体験も、

積み重ねてきた努力やがんばりも全部全部

夢の道として血肉モノにし、すべてつながってる💞


そう強く感じられる内容やった✨



初曲からみんなをたくさん感じてくれて😌


変わらないで変わりつづけるおとなの女性·人としての魅力にあふれてて🥰



いつだったか、どこで知ったかも忘れてしまったが。


メイさんが役者の心得として教わった、

「舞台演技は"自分の解放"からのスタート。」…


今ライ部にもミュージカルで得た"生きる"ということを。曲々にあらためて向き合い直して💓



…この度のシェリル曲のどれもが凄まじいほど"ハネた"背景には、間違いなくミュージカルを経てあらためてシェリルと向き合い、想いや理解を深められたことが大きいと見ている💗🫂


無論。あくまで本業は歌手であり、舞台女優はそうでないとしても…。もしこの先もミュージカルで生きる機会やご縁があるのなら、、


長期間拘束されるし💦メイさん自身、身も心も精も根も尽き果てるほど大変なのも承知の上やけども😵💫

これからも積極的に続けるべきやと。。


まだ舞台女優3~4ちゃい👶

しんどいぶん得られるモノはたくさんあるし、


彼女の想うことの強さや歌属性は舞台に近いモノもあるし、舞台経験は本業に必ず活きる💞と想ったり、


想ったり、


想ってるよ😌✨



曲中のモノモノや人物を想い、曲々に自分自身の想いを全身全霊で解き放ち、様々な試みにも挑戦してくれたとも思うし🔥



想いをだいじに、想うことをたいせつに、

これまで以上に心に寄り添う音を届けてくれて…彼女がいつでも音楽とともに心のそばにいてくれてるようにも感じた✨


ビルボードツアーの始まりから最後まで気持ちを深めつづけ、楽曲の中を力強く生き、想いを解き放った熱く烈しく命削りながら輝かせた魂の歌💔💥


時にこの心を揺さぶられ💓

時にこの心を打ち震え奮えた💓



そしてTEAM ONGAKUSHITSUとのjamセッション🎶


メイさんが"タクト"となってチーム音楽室との調和が成ってて✨


その日の気分、その瞬間にある感情で呼吸(テンポ)も自由🎵でも、メイさんが仲間を信じて音楽に身も心も預け、想いの共鳴ができてたから"みんなが主役でみんながメイン"と、


どの楽曲をとってもそれぞれが主旋律を張っているかと思えるほどの存在感と音力を引き出されてて💓


その日の音でさえ、1stと2ndとで劇的に変わる、更新~進化してくる興奮😳✨熱狂🔥


公演ごとにみんなの動き、表情、呼吸、音、熱を…そんな瞬間瞬間を感じて生まれた一体感に観客の感情や音、熱も合わさってつくられた音楽🎵🎶


それはまさに"キセキの連続"だった✨


言葉で尽くせない感動につぐ感動…😭

素晴らしいライブやった🤗💕



………………………


アコースティックを想う…


…個人的偏見?で、

アコースティックにおけるアレンジてのは、

生身の人間の衝動や感性からなる生演奏🎶としても


メロディやテンポを変化させたり、足したりが主流と思っていた。事実、これまでそういった音楽しかふれてこなかったように思える。


やから、今アコースティックライブでのメイさんや音楽室のアレンジは自分の心に風を吹かせた🌬️😳✨



原曲よりあえて表現·表情を引いた、というか

おおきく"間、呼吸"を使ったおとなの音楽。。


あれやこれやの楽曲に観られた、"聴かれた"、

静寂の"間"に在る音なき想いが溢れてる…それが感じ受け取れるという静かな驚きがあったなぁ😳


あの瞬間、自分も息を潜めて?殺して?"聴き魅入って"しまってたもんね💓😌(間の静寂を聴くて変な感覚でしょw)


不思議体験やったw今思い出しても高揚してくる💓




そして…そやね。


この生演奏アコースティックが、Hangjam🍯というシリーズがナンバリングして継がれていく届ける側も届けられる側も魅了し惹きつけるモノ😍それはなんなのか。。


振り返るちうにも少しふれたが、

アコースティックはより音楽の原点に近いモノであり、ルーツなのではないかと思う。



今でこそ様々な機器材を駆使し、その音源音色"無限の可能性"ともいえる近代音楽は、尽きることなく新たな音楽の価値を生み続けている🎵


だがどうだ?

10曲めに披露された「ふぉろふぁん🐉」、

民謡を想わせる楽曲を限られた鳴り物とその声ひとつで生演奏·生合奏されたそれは、


いうなれば時代から"逆向ギャッコウ·退行タイコウ"してる音のはずなのに、心を激しく揺さぶる衝動であったり魂を熱く焦がす感動を生んだ💓🔥


もちろん、ふぉろふぁんだけやない。

今ビルボードライブのすべて…これまでやってきたHangjam🍯アコースティックライブや、ライブコンサートでのバラードコーナー·アコースティックコーナーで生まれた音達すべてが。


ルールがなく自由ゆえ同様に音楽の"無限の可能性"を有した生物の音になぜ人はこんなに心を動かすのだろう?



そこには"音楽"のルーツと起源いうモノがあるのかな。


その発祥は時代や様々な地で大小差異はあれど、

同時多発的に生まれたのではないだろうか。



それはとある楽曲にある通り、

はじまりは命懸けの狩りなどに出かける民が

その恐怖を打ち砕き奮い立たせるために発した声であったかもしれないし、


村に残りその狩りへ行く男衆の無事を祈り待つ者の願いが、不安や心配を払う声や音だったかもしれない。


または様々な土地に住まう民が、自然と共存してくなかで自然の恩恵を受け、敬い崇め、森羅万象…八百万ヤオヨロズに宿る神をかかげ、五穀豊穣の祈りや感謝に捧げ奉った歌や音だったのかもしれない。


または、カーストやヒエラルキーといったモノが存在する以前より奴隷であったり貧しい身であった"持たざる者"が唯一慰めに楽しめたのが音鳴らしだったかもしれない。



まだまだたくさんあるんやろけど、

その幾道ものルーツを辿り行き着く音楽の起源。。


みなさんは考えたことはあるだろうか?



…まだ言語や言葉なんてモノすら存在しない時代に、

動物にほど近い自分らの祖先はそれこそ生きるために音を認識するに至った。。


最初は様々な鳴き声を聴いてやりとりしたり、

獲物の足音を聴き分けたり、または危険を知らせる物音に警戒するため耳を傾けていたかもしれない。



しだいに風が体をさらう音、草花や木々が擦り当たる音、水が流れたり雫が地に落ちる音、雷なんかはびっくりしたんじゃないかなw


自然界にあふれるいろんな音を意識的に感じるようになったんじゃないかな。不思議だったろうね♪



…そのうち、その辺に転がってる動物の骨や木の枝、石なんかで意志的にモノを叩くと音が出る♪しかも叩くモノや叩かれるモノが違えば異なる音色や音階が生まれることに気づいた🎵


そしてそれが感動だったお猿さんがいたんだと思うんよ🙈💕


はじめは一匹で。そのうち仲間に教えて広めてみんなで合奏して🎵


きっとリズムやテンポなんて皆無、一度鳴らしてみた音を再現できないししようとも思わないw


2度もおんなじ音は生まれないメロディとも呼べないお粗末な音鳴りの雑音ノイズやったかもしれん🎶


でもそれが音を楽しむ、音楽の起源やと想うんです😌



原点回帰。


どんなに便利で多様性にあふれる近未来音楽時代になっても、人はきっと自らの衝動や感性からなる独創で生きた音をつくることを決してやめない、


その楽しさを遺伝子レベルの本能で知ってる🎵🎶


このアコースティックは届ける側も聴く側も、その本能に近いとこで音を楽しめる🎵


生演奏だけがもつ音楽の魅力💖✨



同じ音楽なんてひとつもなく、

その会場ごとその空間にある雰囲気や空気に身を委ね預けて…その日の気分や呼吸でも変わるし、周りや誰かの瞬間瞬間を想い感じてまた新たな音が生まれてくる✨


だから音楽はおもしろい✨やめられない😆



これからもこのシリーズはつづけていってほしい🥰



…終わり…