翌日、例によって朝も早よから病院へ。
いつも時間帯的に看護師さんが奥さんの朝の検診に回ってる頃に着くので、邪魔にならないよに病室の外で待つ、、
看護師さんがいいですよーつったら
奥さんにおはよー\(^o^)/
……………
今日はお母さんと会う。
何気ない普段の会話の中から滲む奥さんの心境…顔には出さないが、自分には奥さんの心が"ひきつっている"のが分かった。
緊張、不安、畏怖、、
今この時も胃が萎縮してるだろう。
もちろんそれだけで容態としてよくない。
ホントに会わしていいものだろうか。
正直、治験参加を決めてから
奥さんはアドバイスを受けて無理せず戻さずご飯を食べてた結果、少しずつ食べれる量も増えてきていたし、ちゃんと排泄としても出てきており、順調やった♪
この調子なら治験を受ける前に退院して、兼ねてからの願いだったおうちで生活を送れる
.。゜+.(・∀・)゜+.゜
ふたりで心ときめかしておりました☆
…なにも心身ともに悪影響と分かってて会わして、奥さんが調子を崩せば治験の話どころか
病状悪化すらなきにしもあらず、、
会わないほうがいいという本音は奥さんを想う気持ち、
家族なんだから会ったほうがいいという建前はばぁちゃん、ご両親を想う気持ちから。
善し悪しに鈍る判断力と重圧。
…もしかしたら、自分のこんな心境も同じように、実は奥さんに見透かされていたかもしれない(汗
定刻が迫り、いったん奥さんにバイバイして
じっちゃんばっちゃん宅に帰る。
お父さんお母さんも一度じっちゃんばっちゃん宅に寄って合流してから病院へ行く予定になってたから。
………
じっちゃんばっちゃん宅に着くと玄関先ではなんとも慌ただしくなっていた。
退院予定にさきがけ奥さんが帰ってくる準備をしているようだ。
実際、今の住まいは借家なのだが
なかなかの年代物であったため病的患者が住むにはあまりに不便かつ危険な家やった。
ゆえに、退院後化学療法に慣れるまでは
じっちゃんばっちゃん宅に奥さんを預かってほしいとばぁちゃんには相談していたのだ。
御高齢のおうちはなにかと物で溢れているもの。(個人的見解)奥さんの両親がこれを期に片付けようとしているようでもあった。
一際元気にちゃっちゃか動いて片付けしてる後ろ姿が見えた。
「お義母さん、お久しぶりです!」
(*´ー`*)
「ユーレイちゃん!?」
(o゚Д゚ノ)ノ
振り返ったお母さんはおよそ10年ぶりに再会したというのにお変わりなく元気そうだった。
任していただいていた奥さんがこんな事になってしまったお詫びを申し上げると自分のせいじゃないわよ、と抱擁してくださった。。
粗方片付けた後、奥さんのベッドを買いにホームセンターまで行くらしい。
誘いもあり自分も同行することとなった。
……………
流れた歳月もあり、ひと昔前に比べ少し印象が変わった気もしたが、奥さんに会わせていいものかどうかは正直まだ判断し兼ねた。
あの言葉を聞くまでは。
ベッドを選ぶ際の店員さんとのやりとりの中、お母さんは何の気なしにだろうが自分には耳を疑うような言葉を放った。
あえてここでは書かない。それだけで悲しくなる。
おそらくお母さんは昔となにも変わってない。
奥さんが逃げるようにして家を出るに至ったあの頃と、、
それからは会わせないほうがいいという確信を持てたものの、今更やっぱ会わせられませんなんて道理が通るはずもない。
一際再会してからの奥さんの事が心配でならなかった…
……………
ベッドを購入し後日配送してもらうようにして、その脚で病院へ向かうことに。
…前日お母さんと会うに際し、じっちゃんばっちゃん含め事前に奥さんに根回ししておいた。
たとえいかな理由であろうと黙って家を出た奥さんの"非"があるのも事実。
会ったら先にその事を謝りなさいとじじばばは言う。そうすれば向こうは己のした事を悔い哀れになりおまえが(人として)輝るから、と。
奥さんは頑なに嫌がっていたが、
自分もそうしたほうがいいと説得するとなんとか了承してくれた。
先に病室へ戻った自分、奥さんはベッドに横になっていたが明らかに落ち着きがない。
じじばばや両親が来る前に深呼吸をさせ、
どうやって謝ればいいか軽いリハーサルもした。
しばらくするとみんなが病室に着いた。
仕切りカーテンの外から奥さんの名を呼びながら入ってくる。
ふと奥さんとお母さんの視線が交わる。
第一声、奥さんはお母さんにちゃんと謝れた。
.。゜+.(・∀・`)゜+.゜
お母さんも今までの事を謝り?ふたりとも涙ながらにハグして和解できた…
それからは空白の10年を埋めるように家族水入らずでたくさんお話した。
んー、自分はお邪魔だたかな?(笑
……………
しばらくしてお母さんも交えて色々お話。
お母さんも薬剤師という顔があり、医療の基礎知識や薬科学にも精通してらっさるお方。
今後奥さんの味方になる…はずだ。
どれくらいおられたか覚えていないが、
話し出したら停まらない方で奥さんが終始質問責m…受け答えするよな形になって少々、、いや。かなりお疲れの様子(汗
ばぁちゃんもそれを横で見ててちょっと、いやかなり心配そうだった。
…日も暮れお父さんお母さんがじぃばぁを連れて帰られた後、奥さんは張っていた緊張の"綱"がハチ切れたようでぐったりだった。
聞けば、お母さんのあの一問一答の中にも
不備のない解答を頭フル回転で模索しながらの受け答えをしていたそう。
今回の事に至った経緯ひとつとっても
日頃ちゃんと検査類は受けていて良かったと胸を撫で下ろしていた。
…だろうな。あそこでまだ若いし検査類なんて受けてなかったなんて言ったアカツキにゃ責める言葉で攻められ奥さんは"ハチの巣"だったろう。
終始そんな状態でいたことが身体にどれほどのダメージを与えてしまったろう。
面会時間終了間近の帰り際、奥さんは頭痛を訴えていた。。
……………
翌日から奥さんの調子がおかしくなりだした。
あんなに順調に食事もできていたのに、朝も昼も食が進まない。
やはり昨日の応接が心身ともに堪えているのか…ストレス厳禁の奥さんに今会わすのは早すぎた?…むしろ会わすべきではなかった?
………
夕方から栄養管理の先生のお話があり、退院後の食事の在り方の説明。
奥さんにいたっては体型・体重を考慮して
1400キロ㌍/日が目安だという。
健全な身体ならなんてことないこの摂取量、
むしろオーバーしてしまうのが普通くらいだが
現在の病院食3食を完食(摂取)してだいたいそれくらいなのだから、今の奥さんにしてみればかなり厳しい目標数値だ。
退院後はヨーグルト・プリン・ゼリーといった「詰まらない食物」をメインに
バターやクリーム等、糖分・油を効率よく。
つまり"少量高カロリー"を積極的に摂取せねばならんようだ。
ドラッグストア等にある栄養補助食品もひとつの手らしい。
言葉を反せば、治療が始まるまで詰まり予防と出血予防のため固形物はまだ控えたほうが良い。というわけだ。
治療が始まり、副作用による吐き気があるような時も無理はしない。
胃への刺激は厳禁と言われいるが、多少の酸味はOK(レモンでもまるかじりせんきゃ良さげ)。
コーヒーのようなカフェインモンスターを避ければだいたいの飲料はOK。
…なんかどれも制約として甘めに感じてしまうが、何度でも言おう。胃を患ってしまった者にとってはかなり厳しい制約だ。
とりわけ、コーヒーをこよなく愛する奥さんにこれはかなり堪える。
そしてなんにせよ脱水症が恐い。
脱水症は体液の不足。体の実に60%を占める水分、ミネラル(電解質)、ナトリウム(塩)、そしてタンパク質。
胃液もこの体液の類であり、戻してしまえば大きく損なわれるというのは上司の奥様にも教えていだだいたが、
注意すべくは「高張性脱水 」…
体内の水分だけが不足する状態で発熱や激しい口渇、意識混濁といった症状をもたらす。
(正直、奥さんの最期はこの症状であったと言えるがそれはまだ後の話。。)
人は目に見える発汗の他に無意識に失う水分が存在するが、量にして1000ml/日(体重50㎏くらいの人で)
チャプチャプになるからと経口での水分補給を躊躇してる奥さん、充分な水分摂取もできないのに無条件で失われていく水分、、
現時点で心配でしかない。
ここで例によって質疑応答タイム。
……………………………………………………………………………
Q1…経口での食事がままならぬことに困惑している
今はまだ病院にいるからなにかあっても即対処できる環境下にあるためいいが、退院してからもこの調子では説明に聞いた食事法すらも実行できるかあやしい…という不安から。
A…明後日退院予定だが、
もし食事がままならぬようなら大学病院にかかるまでなら当病院が24時間体制で引き受けてもいいと受け入れを約束してくださった。
……………………………………………………………………………
Q2…検査前は半食(固形物)も食べれていたのに今そんなに食べれないのは絶食が要因?
要は胃カメラ検査するのに空白期間ができた胃が以降食事を受け付けてくれなくなったのか?と思うのはごく自然な疑問。
A…それもある。あとは奥さんが自分自身でセーブしてしまっている可能性もある(メンタル)、とのこと。
…頑張り過ぎて1度胃をパンパンにして全戻ししたことがトラウマになってしまっているのかもしれない。
もしくは、、自分の胃の中にあんな異質・異形なモノが在るのだと自覚してしまったら無理もない気もするが、生きるために食べなきゃならないのも事実。。
……………………………………………………………………………
Q3…お腹がすかない違和感に困惑している
あれだけチョコチョコしか食べれておらず、あまつさえ戻してしまう時があるにもかかわらず空腹感というモノが一切ないことに気持ち悪さすら感じているという奥さんの訴えから。(代弁
A…点滴中は空腹にならない←なぬ!?Σ(゜Д゜)
そもそも空腹というのは、血液中の糖分濃度(血糖値)の低下を脳が感じて生じる。
奥さんのように四六時中栄養点滴を受けてる場合は、常に満たされている状態なので感じないのだという。…なるほど。
しかし、それなら経口での水分・栄養摂取しなくとも点滴さえしていればなんとかなるのでは?という疑問も出てくるが
やはりそんな簡単な話でもないらしい、、
……………………………………………………………………………
あとは、体重が落ちないように維持することに気をつけるよう指導された。
……………
お話が終わり病室へ戻ると晩ごはん。
食欲も湧かない中のごはんはもはや拷問のそれでしかないのかもしれない。
5口、6口、手をつけて箸をおく。
無理をさせても仕方ないので食後のお薬を飲まして30分は体を起こしておく…
しかし、、
「おとぅちゃん…!」
即ビニール袋を準備。
薄い白濁色のコンビニ袋から透けて見えた内容物の色にギョッとした。
これまで見たこともない黒い吐瀉物。
内心動揺していたが平常を装い介抱していた。
戻した本人が一番驚くやろし不安やろし。
戻した内容物を見て悲しそうな顔の奥さん…自分の顔を見るなり
「ごめんなさい…(゚-゚`)」
その一言に胸が締めつけられた。
治験を目標にせっかく順調に頑張れてたのに、
この大事な時にここにきてこの事態は、意味する事はショック以外のなにものでもない。
「いいんだよ(⌒‐⌒)大丈夫やから…」
看護師さんに報告して内容物の処理をお願いする。
看護師さんの説明では
鉄剤を飲んでいるためと、胃中の出血があるがその血が酸化して黒くなったものが溜まっていたのが出てきたのでしょうとのこと。
その後奥さんはつかえてたモノを戻した事でスッキリした表情でいたが、直後疲れてしまった様子…
その日はもぅ休ませて帰る事に。。
……………
翌日、退院予定日だったが、先生から退院先伸ばしの通告が。
残念、でも仕方ない…
今朝も少し戻した。
ただし、外出・外泊という形でお家に帰ってもいいことに♪明日一旦帰る許可を得た★
.。゜+.(・∀・)゜+.゜
…それともぅひとつ。
"CVポート"なるモノの埋め込み手術を検討しているとのこと。
CVポート…中心静脈から薬や栄養を点滴するための医療機器。胸(鎖骨の下あたり)の皮下にそれを埋めたいらしい。
…経口での充分な栄養摂取が事実上不可であると判断し、より栄養濃度の高い輸液を点滴したいが、それは腕の細い血管からでは難しいという。
メリットは患者への負担は少ないということ
デメリットはあくまで「機器」であり身体の一部ではないので感染する可能性もある(ポートに免疫のような抵抗力はないため)
なので、感染症に細心の注意が必要。
ただし、抗がん剤によっては施術後の傷が化膿状態では使用できないモノもあるため、大学病院の先生のお返事しだいで施術したいという。
その説明を受け心配したのは、
治験的に中心静脈栄養患者は条件外になってしまい参加できないのではないかということ。
なにより、奥さんを想うと
おなのこの身体にキズつけ人工的なモノを入れることに抵抗があった。。
しかし、先生がこんな話を持ち込む理由は
現状そうしなければ今後の生活じたい困難を極めるという意味が込められてるんだと悟った。
……………
翌日、
お家帰る前に大学病院へ受診。
先生から預かった書状を提出。
待合場でしばし待った後、診察室へ。
結論から言うと、
CVポート埋め込み云々以前に食事ができてないことの条件を満たせてないため、残念ながら治験患者候補としては無理だという。
そして貧血改善も見られない。
まず出血を止めんことにゃ闘えない。
場合によっては胃切除、もしくは放射線を用いて出血改善してからでないと抗がん剤治療に移れないようだ。
その辺の方針をチームで話し合って決めていくそうだ。
もちろん、CVポート施術を拒む理由もないのだろう。先生へのお返事の封書を預かったが、中を見ずともお答えは分かった。。
……………
大学病院を出た車中。
治験参加成らず、ふたりとも落胆のあまり車内の空気はゼラチンで固められたのではないかというほど重苦しく負のオーラで満ちていた…
じっちゃんばっちゃん宅への帰り道、奥さんの意向でちょっと寄り道してほしいという。
…?
言われるがままショッピングセンターへ。。
どうやら転院にさけがけ新しい下着を買っておきたいらしい。
あー、なるほど。そうか。気がきかなかった…
奥さんのじっちゃんの教え?のひとつにこんなのがある。
"どんなボロを纏っても下着だけはいつもキレイな物を身につけよ"
その心はー
歳をとってくるといつなんどきどんな災難があるかわからない。
自宅で倒れるにしろ、事故に遭うにしろ、
病院へ運ばれる機会は突然やってくる。
救急処置の際に上着だとそのままザックリ切り開かれたりするからボロであってもいいが、その時に下に身につけてるモノがボロだったらこれほど情けないことはない!
という、じっちゃんの紳士的美学?がある。
事実、物を捨てられないじっちゃんは纏う物もほつれや傷み等があっても平気で着るが、
パンツだけはいつもピシッとキレイなモノを着用していた。(センスも若年層の自分らが見てもイケてたw)
奥さんもその教え?を守っているのだ。
さすがに下着選びまで付いて回るわけにもいかず最寄りのソファに腰をかけ休憩。
(自分も別に女性下着売場を一緒に彷徨くことに抵抗もないし特別な意識も感情すら持ち合わせないが、周りのお客さんは売場に男性がいたら嫌な思いをされるかもしれないから。コンプライアンス←)
待っているとばっちゃんから電話が。
外泊予定でじっちゃんばっちゃん宅に帰ってくるから待っているのに、いっこうに帰ってこないし連絡もないからと心配でかけてきた様子。
あー、連絡もせず申し訳ないm(_ _)m
が、正直ふたりともそんな心の余裕もゆとりといったものは微塵もなかった。
今どこにいるのか尋ねられてバカ正直にスーパーと答えてしまた自分(あちゃー…
ばっちゃんはケータイごしでも少々ご立腹なのが伝わってきた(汗
お母さんも来ているらしく早く帰ってこいとの事。
…マジですか。これ以上奥さんにどんだけストレスあたえるつもりですか。
下着を買い終え自分のもとに帰ってきた奥さんに事情説明をすると明らかに顔色が曇った。
追い打ちのような重い空気を抱えて家へ帰る。。
……………
じっちゃんばっちゃん宅の前に車をつけるなり
ばっちゃんとお母さんがお出迎え。
しばらくお家に入ってからのやりとりがあったが割愛。治験参加がダメだったことやCVポート施術をしなくてはならないこと、それに対する反応をだ。
そしてお母さんが帰られた後、奥さんとばっちゃんが衝突。
お母さんには極力干渉したくないという奥さんの想い。
再会の時の"茶番"で仲直りできたと思い込んでるばっちゃんの想い。
じぃばぁには奥さんとお母さんの関係の洗いざらいを説明してはいたが、自分から見てばっちゃんはその全てを理解しているようには思えなかった。
ぶつかり合うその言葉を横で聞いてた自分。
いつもなら双方をなだめて事を穏便に済ますのだが、
自分も治験の事やらお母さんの事やらで冷静な判断ができないでいたんでしょかね…
大好きな奥さんがこんなに苦しんでるのに、母親にも変わらぬ愛情を注ぐ孫がこんなにも訴えているのに!
その想いは衝動となり、普段は決してどちらかに肩入れしない自分は奥さんの肩をもち「ばぁちゃんはなにも分かってない!」と大きな声を放ってしまった。
それからが大変。自分はその一言を放った後、我に返ったが
もともとヒステリアというか、癇癪持ちのばっちゃんは自分が責められてるものだと受け取り精神爆発した。
ばぁちゃんからすれば自分は孫婿という赤の他人…
この時放たれた悲しい暴言は根底にある本音なのかもしれないし、怒り衝動から並べ出たモノかもしれないが傷ついている暇はなかった。
今奥さんには家族の支えが必要。
支える"柱"のどれが失われてもいけない。自分もそうだしじぃばぁが欠けても奥さんを支えられない。
それにばぁちゃんは頭に"爆弾"を抱えている。
急激に頭に血が昇ると血管がその負荷に耐えられず命の危険すらあることを理解していた自分は奥さんと一緒にばぁちゃんを必死でなだめた…
どれだけの時間かかったろうか。
結局、奥さんがお母さんの事を我慢して受け入れると説得して事態はおさまった。。
奥さんは自分とばぁちゃんの仲を取り持ち仲直りさせてくれた(これは茶番ではない)が、それだけに奥さんの命が削れる音を聴いた想いだった。
この日は奥さんをじっちゃんばっちゃん宅に預け、自分は自宅へ帰ることに…
……………
自分はなにをしているのだ。
衝動に任せて軽卒な発言をし、結果奥さんに心的ストレスをあたえてしまった。
事を辿っても、全てが狂い出してたし空回りしている感じだった。
いつから?
その"分岐"を想った時、やはり真っ先に思い当たったのは「お母さんと会わした事」において他考えられなかった。
奥さんの命が懸かった選択をひとつも間違ってはいけないのに、自分は奥さんを…す気か?
奥さんの今ある余生と、後に遺される家族の想いを汲むことと、今どちらを考えるべきか分かっているだろう!
今日の事を明日以降落ち込んでても、悔いていてもなんの救いにもならない。
治験とは縁がなかったのだ。
治験が閉ざされた今、改めて向かうべき道を奥さんに示してやらなきゃならない。自分が強く導いてあげなきゃならぬ。
そう自分に言い聞かせ奮い起たせた。
真っ暗な自宅の部屋の中ー。
ふと上司の言葉を思い出した。
「間違っても奥さんの前では絶対泣くなよ?
泣くときは帰って布団の中で泣き明かして、次奥さんに会うときまでには渇らしとけ!」
別に泣くつもりはサラサラなかったが
自分自身、奥さんの病気発覚から今日にいたるまで、胸中脳内に吐き出さなくてはならない"毒"が溜まっていたのは自覚していた。
ふらふらっと寝室へ。掛け布団を頭から被り
さらにまくらを口元に当て、想いの丈を声の限り叫んだ。
何度も叫んだ。
3、4回叫んだだろうか。自分自身気づいてびっくりした。
僕は泣き叫んでいた。
…僕は泣いていたんだ。。