前記事で奥さんとバイバイした後、
奥さんのじっちゃんばっちゃん宅に帰る。
⊂( ―ω―)⊃
奥さんが入院してからは晩ごはんを呼ばれに帰ってた。
自炊のいろはは基本程度心得ているからいいと言ってたんやけど、奥さんが心配してたこともあるし、ばっちゃんが食べにおいでと言ってくれたこともあり…
甘えて呼ばれに行ってた♪(´ω`)ゞ
帰ってはごはんいただきながら日毎奥さんの様子を教えてた。
ごちそうさましてシャワーまでいただいた後、
少し座談会。。
ばぁちゃんは奥さんの事が発覚してからずっと消沈している、無理もない…ばぁちゃんは母親も同然の存在だったからだ。
四六時中、なにをしてても奥さんの顔が過るという、、
「なんでこんなことになったんかねぇ、、
代われるもんなら代わりたいょお…。」
時に涙ながらに、ばぁちゃんの想いは度々口から溢れていた。
しばらくしてじっちゃんが自分に胸の内を話してくれた。
「ユーレイ、なんで大学病院に行ったんや?
今おる病院でも抗がん剤治療はできるんじゃろが?」
…じぃちゃんが言わんとする事はすぐ分かった。
今いる病院は自分宅やじぃばぁ宅からも近く、交通アクセスもよくいつでも会いに行けた。
でも、大学病院となれば少々遠く交通アクセスがかなり制限されるため、足腰の弱った御高齢には相当しんどいし、そう頻繁に会いに行けないからだ。
続けて、核心をつく言葉を口にする
「ユーレイ、"治るんなら"それでもえぇ。〇〇(名前・以下奥さん)は"治らん"のじゃろが。苦しむだけじゃないか!それなのn…」
「なんでそんなことゆぅんね!?ヽ(♯`Д´)ノwーッ
wWwwWwWWww💢(言葉にならない怒り)」
言葉を遮ってばぁちゃんの怒号がじぃちゃんを砲火する。
じぃちゃんには今から参加せんとする治験の説明をして、ばっちゃんはなんとか宥めてその場を収めた。。
「でもユーレイ、"覚悟"しとけよ?奥さんはどの道、助からn…」
「!!? まだゆぅかこのっ!ヽ(♯`Д´)ノwーッ
wWwwWwWWww💢(表現事故な怒り)」
奥さんの知らない"水面下"では希望と絶望が混沌としている(汗
………
じっちゃんばっちゃんにバイバイして自宅に帰るまでの間、いろいろ考えてた。
今から頑張ろうて時にあんな事を言うじぃちゃんにばぁちゃんが憤る気持ちもわかるが、
自分にはじぃちゃんの気持ちもよく分かるから腹立たしさはなかった。
…じぃちゃんは若かりし頃、戦争に行ってた。
歩兵団として野戦?(やせん、言葉でしか聞いたことないからたぶんこの漢字でいい?)に参加するため海を渡り満州まで行ってたらしい。
それこそ生きる死ぬの世界でじぃちゃんは生き残れたが、仲間をたくさん失ったようだ。
一聴、目にいれても痛くないほど可愛がってる奥さんに対して"耳には"なんと冷徹で非情な言葉を放つんだと思う。
けど、「戦争」というモノをその身で体験したじぃちゃんなりの"命の尊厳"であり、奥さんを想えばこその"愛"なんだと
自分の"胸には"そう響いたから。
せめて苦しまず…じぃちゃんにそれは自分も同じだよ、て伝えた時、じぃちゃんは静かに引き下がってくれた。。
家に帰ってからはもぅひとつの"水面下"について頭を悩ませていた。
それはばぁちゃんから聞かされたのだが。
奥さんのお母さんが会いたがっているという…
宣告の時、お父さんには来ていただいた。
お母さんは呼ばなかった。いや、呼べなかった。
…………………………
もとより、家族間で仲が拗れ奥さんが家を出るに至ったのも多くはお母さんとの衝突…んー、衝突とはちょっと違うかな?
奥さんがお母さんに求めた"想い"と
お母さんが親として奥さんに与えた"想い"とで
断裂するほどの"ズレ"が生じ行き違ってしまった、だな。
かなりオブラートに包んだ表現だが
当時、彼氏として第三者の観点から冷静に見た率直な感想、
正直な話、奥さんの辛さ苦しさ悲しさは無論、お母さんの想いも分からないでもあった。
ただ、奥さんとお母さんの相性は最悪なのは火を見るより明らか。
奥さんが家を出る決断をしたのはそうだが、
お母さんから引き剥がすよう計らったのは自分でして、、後悔はしてませんが。
それから自分と一緒になるまではじっちゃんばっちゃん宅で暮らすように。。
…………………………
以来10余年、自分含め奥さんがお母さんを完全拒絶の姿勢でいたためずっと疎遠になっていたのですが
今回の事で奥さんをめぐってお父さんとお母さんが衝突してるらしい。お母さんはお母さんで会いたいのだ。
詳しくは知らないばぁちゃんは事が事だから会わせた方がいいんじゃないか、と言うが
ばぁちゃん…自分だって双方を想いそうしてあげたい。でも事は簡単じゃない。
例によってこの「がん」という病状容態はメンタルというか、心的ストレスに大きく関係するのは知っていた。
健全な時でさえその存在に恐怖嫌悪を抱いていたのに、今会わせた所で傷口に塩を塗り込むような悪影響でしかない気がしていた。
かといって、このままお母さんとこんな関係でいいとも思えない。
葛藤との闘いだった。
ばぁちゃんには判断がつくまで少し待ってもらったが、早々に決断せねばなるまいて、、
メールで上司とやりとり。
明日、上司の奥様と会う約束をした!
奥さんと会う前に自分と少し事前に内密な話がしたいとのことで、、嗚呼…また奥さんに隠し事が(胃痛
一応奥さんにはその日の内に奥様が面会にいらっさるからねと伝え夜は更けていく。。
……………
翌日、いつものように病院へ通う♪
昼過ぎにおやじが面会に来た。
病気が発覚してから連絡はしていたが、
「人によっては弱ってる時に弱ってる姿は見られたくないだろうし、会いたくないもんだ。」
という持論の基、今日に至るまで会いに来なかった。
まぁ確かに女性やし、化粧もしてないすっぴん病み顔を旦那のお父さんに見られたくない人もいるだろうて。
けど、事前に奥さんにおやじがそう言ってると告げると「気にせんでええよ~、だって普段からほぼすっぴんだし(爆」
…て、言うてるから四の五の言わず来ーい!!と呼んでやっと来た。
団体部屋なので談話室まで移動し状況や方針を説明。
ふたりで決めた方針なので口を挟むようなことはしなかったが、奥さんへの励ましの言葉とプレゼントを渡して帰っていった。。
おやじも奥さんの事可愛がってたからなぁ、、
やっぱショックだったろうなぁ…
夕方、奥様との約束の定刻がせまり奥さんに
「ちょっと入口まで迎えに行ってくるわ。」
(。・_・。)ノ
と告げ、病院玄関まで降りる。
下降するエレベーターの中、
あ。そういえばどんな方(容姿)か詳しく聞いてないな…分かるかな(汗
て思たけどエレベーターが開いた瞬間、
目の前に(あ!この人だ!…な?)と妙な直感が働き、その方が奥様だった(w
なんてゆーか、容姿がどーとかじゃなく
理屈じゃないけど醸し出す雰囲気というか上司と同じ空気を纏っててw
"仲の良い夫婦は似てくる"なんて言葉があるけど、まさにそれだと思った(w
互いに挨拶した後、奥さんに会っていただく前に談話室で少しお話。
聞かれた事は、
「奥さんが自身の病状をどれほど知ってて、どこまで知らないのか。」
「上司との電話・メールのやりとりを受けて
旦那さんの意向はよく分かったが、奥さん自身はどう思っているのか、病気と向き合ってどうしたいのか。」
後は治療方針(希望)とか家族の事も聞かれ、自分方と奥さん方の家族事情も洗いざらい説明した。
そして最後に、
「奥さんを前にして触れてはならない物事はあるか。」
奥さんは自身が末期がんで転移もあることを知るに至ってしまったが、余命に関しては自分含め聞いてないし知らないほうが絶対良いので
余命に事関する、もしくは繋がるような言動だけは避けていただくようお願いし、
奥さんを病室まで迎えに行った。
………
「奥さん、奥様いらっさったよ!」←ややこしい
⊂( ^ω^)⊃
奥さんと一緒に談話室へ。
挨拶を済ませ奥様は上司の奥様としてではなく、1人の看護師として自分らとこの病気と向き合う話を始められた。
話の内容は多岐に渡り、順序まで覚えてないし、一語一句正しいか定かではないが
以下ニュアンス。
まず、「奥さんが自身の置かれた状況にびっくりされただろうけど…中略…あなたはどうしたいの?」と
奥さんに心境を打ち明けてもらい、胸につかえてる不安や病気に対する恐さを吐露することで
当人の心の整理するお手伝いをしてくださり、またその不安や恐さに駆られる心に寄り添い優しく…★
それは横で聞いてる自分も心地良い気持ちになれた。…すげぃ(*´ー`*)
旦那さんの意向はよく分かったんだけれど、
あなたはどうしたいの?
奥さんは返答に少し困ったようだったが、
おうちに帰りたい。元気になっておうちで過ごしたい。と、ちゃんと自分の口で自分の想いが伝えれた。
奥様は優しく微笑んで寄り添い言葉を続ける…
「旦那さんと奥さんの御家族構成は?遠いとこにいるの?」
なかなか複雑な構成であるから、もし奥さんが言葉に詰まるようならフォローも必要かとも思ったが
奥さんはちゃんと自分の口で家族事情のことも話せた。
家族構成、遠方か近場か、その質問の真意は
「奥さんを支える方々、これは勿論なんだけど
大事なのは奥さんを支える旦那さん、"を支えてくれる人がいる環境・態勢"が重要なのよ。」という訳で。
病気と闘う奥さんは大変、それを支える旦那さんも等しく大変。看病の末、疲れ果て身も心もボロボロになる人も少なく無いという。
現状旦那さんはじっちゃんばっちゃんに支えてもらってる。けど、御高齢な事を考えたらそれも大変、やっぱり両親の助けも必要になるんじゃないかしら。と、
そう諭され奥さんも少し考え込んでいるようだった…
そして、治験に向けて一応食事も戻さず順調に食べられてるということで
がんと向き合う患者の心得を教わった。
「まず退院した後、在宅になってから注意すべくは脱水による免疫低下。」
脱水症を起こすと必要な栄養素が体に行き渡らなくなり、免疫低下に繋がる。
免疫力の低下すなわち人が生まれ持った自己防衛システムが脆弱する→細菌や病原体に対する抵抗力がなくなる。
ただでさえ抗がん剤治療が始まればその副作用で免疫力が低下してしまうとこに、脱水症が加われば合併症を引き起こし
普段はなんでもない弱っちぃ細菌にやられてしまう危険さえある。
とりわけ人は戻す際、食べたモノ+体液(胃液)を出すので水分が大いに失われてしまう。
もし在宅になってから嘔吐等、経口での栄養・水分摂取が困難になった時は点滴を打てるよう環境を整えておく必要があるというのだ。
仮に大学病院にかかってるとしたら、なにかあった時大学病院まで車をとばさなきゃならんてことか?救急に際しそれはちょっと遠いぞ…!?
という主旨の不安を奥様に打ち明けると、
大学病院と「地域医療連携」なるモノに登録されている病院を最寄りで探してみてはという。
なにかあった際、飛び込みで行っても迅速に対応し、大きな病院にかかる必要があると判断された場合も病院同士が連携して速やかに対処できる「かかりつけ医」のことだそうだ。
最寄りの病院、もしくは在宅介護を利用するという選択もあると教えてくださった。
そして、なにより大切なのが
「決してガマンをしてはダメ。」ということ。
我慢は体力を消耗するだけでなく、痛み自体にバリアを張ってしまう。
いざそれを打ち崩そうとするには常用の2~3
割増で余計な力が必要になるそうな。
奥さんの性格からしたら我慢しぃの無理しぃやから、この言葉を真摯に受け止めてもらいたい。
( ̄^ ̄)
我慢せずなんでも周りを頼ってお姫様になりなさい。だって(w
どうしてほしいか周りに伝われば、周りも動きやすいし心労が軽減されるのよ。と奥様
それから、
「なにより本人が前向きでなければならない。」
がんにおける生存率はメンタルに比例する。
これはもぅ統計に裏打ちされた真理ともいえる。
そもそもこの"がん"という生き物は人の中に在って、人間の持つ"負の感情"をエサに覚醒し浸潤していくのではと勝手に思ってる(個人的見解)
奥様が言うには、
「1日を思い起こしププッ(*>m<)=зと笑ったり、楽しかったことを考えたり、心穏やかでいることがいいの。」という。
そう、そうであってほしい…(u_u*). 。.:*・
奥さんも病気が病気やからそうあるのは難しいやろけど、悲しみに沈んだままいるよりはやっぱ笑っていてほしいもん。
おんなのこから笑顔を取っちゃ、ダメだよ。。
最後に、上司からの伝言で
「高額医療制度申請をしたほうがいい。」とアドバイスをくださった。
若くしてがん保険なんかも入ってなかったし
今回の入院だけでもウン十万程度かかるとふんでいた自分。
それがその制度を使えば、
月単位で医療費の自己負担額がある条件に沿って一定額を超えたらその分は戻ってくるというなんとも夢のようなありがた~い制度らしい。
会社の健康保険事務所で発行できるから、退院までに手続きしときなさいとのことだった。
まぁ~何から何まで助かりますm(_ _)m
…どれくらい話しただろう。
たくさんのアドバイスをいただき、夫婦ともども一時でも張りつめていた何かを緩められた気がした♪
とても著名な方で、大変お忙しい中自分ら夫婦のために時間を割いてくださって感謝の念を伝えても伝えきれなかったm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m
別れ際、「もし今入院している病院で困った時は地域連携科にいる誰某を訪ねて。力になってくれるわ。」と教えてくださり、見送った。。
談話室に戻ってから奥さんと話したが、
なんとゆーか、優しくて温かいお母さんみたいな人だったねぇ…と★
(´ω`)(´ω`)
さて、奥さんにはまだ躊躇してることがあった。
それは友人に病気の事を知らせてないこと、、
奥さん的には治るつもりでいるから別に…みたいな様子だったけど、大まかなシナリオが見えてしまっている自分的には
「ちゃんと伝えておいたほうがいいよ。」と促してはいたんだが。。
「奥さん、万が一病状が悪化して身体の自由が効利かなくなったりしてからじゃどうしようもないよ?」と、
半ば脅しっぽくて心的ストレスになっちゃうかなぁ…と不安だたけど、
「…かけてみる。(電話を)」
と、とりあえず長年仲良くしている一番近しい友人数人に電話をして、事の経緯を告げた。。
隣に座っていても電話の向こうで驚き、泣いている子がいるのも分かった。
突然、親しくしていた友人が末期がんにおかされたと知って落ち着いてられる人なんかいやしない。
それを告げる奥さんもとてもつらかったと思う。けど、これもとても大切な事だよ。
…電話を切った後、
奥さんの頭をわちゃわちゃ撫でてやった♪
( ε 。*)ヾ(´ω`*)
そして、ばぁちゃんから聞いたお母さんの事を奥さんに告げる。
今日の奥様との話もあって自分も考えた末、お父さんお母さんにも奥さんを支えてもらわないと正直無理だと思うとも付け加えた。
奥さん沈黙、、
即拒絶したりせず、しばらく考えて
しぶしぶ小さく「うん。」と呟いた。
……………
病院からじっちゃんばっちゃん宅に帰って
奥さんが承諾したと伝えると、ばぁちゃんは安堵の表情を見せた。。
自分の家に帰ってから今度はお父さんにも電話して、事の経緯を話し、奥さんとお母さんを会わせてみようと思うと伝えると
お父さんは賛成してくれた。
お父さんもつらい立場にあったんです。
宣告日に会った時、お母さんは会わせられんよねぇ…?と自分に訪ねてきたお父さん。
娘の気持ちを知ればこそ、そのほうがいいと割り切ってはいたものの、やっぱどこかでこのままではいけないと思っていたに違いないんです。
だって、家族なんだから。。
さっそく、明日会いに行くと聞いて電話を切った。
ここも奥さんの余生を左右する分岐だった。
正直現在(いま)でもこの判断が正しかったのか、誤りだったのかは分からない…
想いはぐるぐる…堂々巡る。