1983年5月26日
三日坊主少年は朝起きて……
母親の作ってくれた弁当を持ち会社へ……
仕事は建築塗装。
親方の運転で片道20キロほどの山間部の病院へ……
午前中の仕事に区切りがつき早めの昼食…
弁当も食べ終わり…
乗用車にて昼寝…
そして…正午過ぎ…
乗用車がユラユラ…
そのうち前後に動き出したかと思ったら…
現場の病院内からはガシャガシャとガラスが割れたりする音が…
周りの林は木がぶつかり合うバキバキ音…
そう…
『日本海中部地震』
現場の病院では大きな被害がないので(ガラスは割れましたが)
まずは家族へ連絡を取ろうにも電話はつながらず(携帯なんてありません)
親方と会社へ向かうも道路が割れたり盛り上がったりで寸断され…
迂回迂回を繰り返し走行中に…
沿岸部への津波警報発令前に津波襲来とのラジオ放送…
母親は港湾建設の事務員…
祖母は海の家の経営者。
自宅へ帰ったら母親も無事。
ただ…母親の勤める会社の従業員は10数人…亡くなりました…
祖母は地震のあと
津波がくると判断し裏山へ……
祖母の家の前は岩場が続き台風で大荒れになっても何ら危険とは程遠いくらいの場所にある海の家。
でも祖母は道のない裏山に登り…
自宅二階の屋根より高いところで力尽き座っていると……
見たことの無いような海のうねりが迫り…
祖母の足下を濡らしながら自宅の裏庭で渦を巻きながら波が引いていったそうです……
海の家は全壊…
祖母の判断で危機一髪で助かりました…
今でも忘れられない1日です。
あっ…弟は中学校の修学旅行で北海道にいて無事でした。
この地震以来、秋田県内の学校の修学旅行ではテレビで…
『○○中学校一行は2日目の日程も終わり無事に○○ホテルに到着しました』ってCMが流れるようになりました…
今はどうか知りませんが……
Android携帯からの投稿
三日坊主少年は朝起きて……
母親の作ってくれた弁当を持ち会社へ……
仕事は建築塗装。
親方の運転で片道20キロほどの山間部の病院へ……
午前中の仕事に区切りがつき早めの昼食…
弁当も食べ終わり…
乗用車にて昼寝…
そして…正午過ぎ…
乗用車がユラユラ…
そのうち前後に動き出したかと思ったら…
現場の病院内からはガシャガシャとガラスが割れたりする音が…
周りの林は木がぶつかり合うバキバキ音…
そう…
『日本海中部地震』
現場の病院では大きな被害がないので(ガラスは割れましたが)
まずは家族へ連絡を取ろうにも電話はつながらず(携帯なんてありません)
親方と会社へ向かうも道路が割れたり盛り上がったりで寸断され…
迂回迂回を繰り返し走行中に…
沿岸部への津波警報発令前に津波襲来とのラジオ放送…
母親は港湾建設の事務員…
祖母は海の家の経営者。
自宅へ帰ったら母親も無事。
ただ…母親の勤める会社の従業員は10数人…亡くなりました…
祖母は地震のあと
津波がくると判断し裏山へ……
祖母の家の前は岩場が続き台風で大荒れになっても何ら危険とは程遠いくらいの場所にある海の家。
でも祖母は道のない裏山に登り…
自宅二階の屋根より高いところで力尽き座っていると……
見たことの無いような海のうねりが迫り…
祖母の足下を濡らしながら自宅の裏庭で渦を巻きながら波が引いていったそうです……
海の家は全壊…
祖母の判断で危機一髪で助かりました…
今でも忘れられない1日です。
あっ…弟は中学校の修学旅行で北海道にいて無事でした。
この地震以来、秋田県内の学校の修学旅行ではテレビで…
『○○中学校一行は2日目の日程も終わり無事に○○ホテルに到着しました』ってCMが流れるようになりました…
今はどうか知りませんが……
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