息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

涙が出て仕方なかった。 共同通信記者の石川記者が、九州海星高校の生徒が自死したことを追っていくうちに、高校側が、それをひた隠し、遺族に「転校したことにしてほしい」などを提案、真相究明のために設置された第三者委員会が、いじめがあったと報告したにもかかわらず、高校側が認めない、などをつきとめる。さらに地元の長崎新聞が、真相を記事にしないことも知る。海星高校は、長崎新聞に頻繁に広告を出す「大切なお得意様」だからだ。そんな馴れ合いの関係を、記事にし、その詳細を出版する。

長崎新聞は、共同通信社に抗議。本来ならば、通信側は、ジャーナリズムの本来の精神に基づいて、それを跳ね返すはずだが、反対に陳謝する。これも、長崎新聞は共同通信社にとり「大切なスポンサー」であったからだ。

石川氏は、共同通信の幹部から、執拗な査問を受けることになる。著書を読めば分かるが、幹部は査問の理由、石川氏がなぜいけないことをしたのかを、説明できない。

記事の役を剥奪され、資料収集の閑職に、そして馘首に追いやられる。 

現在も、裁判で争っている石川氏。

ジャーナリズムの本来の役割と、資本主義の利益追求とが、ぶつかり合った裁判とも言える。



素朴に我が国を愛している、一国民の私である。だから、だからこそ、かつての侵略のシンボルであった「日の丸」「君が代」には、違和感を覚え、できる限りの拒否の姿勢を貫いている(つもり)だ。

現在の国旗、国歌を礼讃することは、「戦争につながるものには、さりげなく拒否する」という私の、安っぽい信念から外れるもの。

この法律が成立したら、破壊はしないまでも、あらゆる機会で拒否していくことだろう。

私は「非国民」なのか。けっこう愛国者だと思うけどなあ。

法律を作り、強制的に「愛国心」を植え付ける勢力のほうが、卑怯な「エセ愛国者」ではないのかなと思えてならない。

 なりふりかまわぬアメリカの暴挙に、なにも抗議することもなく、「愛するドナルド」如き、媚び諂いをする我が国の代表よりも、ずっと我が国を愛していると自負している。

1994年生まれの作者?

40年も若い彼の作品に、涙を流すなんて。悔しく、シャクなのだが。

こんな恋愛をしたかったなあ、いや、できたはずなのに。私は自ら、それを取り逃してしまった。自業自得。手遅れ。

21歳の私を、叩き潰したい。


私的に祝日ではない1日。西村賢太の「苦役列車」を読み耽けて、半日が過ぎました。

私の中にもある、厄介な自意識や、不安定な希望は、私そのものかもしれない。