「自分を変える」心の磨き方 マークネポ 野口嘉則訳
を読んでいて、自分らくし生きるためには、勇気を持って
向き合わないといけない課題だなと感じました。
「自分の気持ちを表現することで生じる摩擦」 外部との対立
「自分の気持ちを表現しないために生じる摩擦」 内面での対立
「自分を変える」心の磨き方 マークネポ 野口嘉則訳
を読んでいて、自分らくし生きるためには、勇気を持って
向き合わないといけない課題だなと感じました。
「自分の気持ちを表現することで生じる摩擦」 外部との対立
「自分の気持ちを表現しないために生じる摩擦」 内面での対立
「教えないスキル」
ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術 佐伯友利子著
をコーチ仲間から紹介頂き、読んでみて、考えたことをシェア
させて頂きます。
なお、著者の佐伯友利子氏は、スペインのサッカーリーグで、
監督や指導者の経験を積まれた後、20年3月からは、Jリーグ
の常勤理事を務められている方です。
特に、印象に残ったのは、
・「指導者は、選手の学びの機会を創出するファシリテーター
に過ぎない」
・「失敗できる環境を提供することこそが、選手にとっての学び
のチャンスとなる」
・「フットボーラーを育てればいいわけじゃない。”人”を育てる
のだ」
という箇所です。
なぜなら、小学校からサッカーを始めた私が、高校時代に受けた
指導が、人生の後半を迎える年代になった私にとって、ネガティブ
に作用していると、感じ出しているからです。
その指導内容とは、練習でも、試合でも、結果を出した者のみ
が、尊重されるという、ドライな文化です。
結果としては、2つ上の先輩は、インターハイに出場して、全国
ベスト16になったり、私の代は大阪府の新人戦で優勝したり、
(ちなみに私は残念ながら、レギュラーにはなれませんでした)
と公立高校のチームとしての成果は、輝かしいものでしたが、
当時の、結果を出せない者は、価値がない、ダメなヤツという
価値観が、私自身がその後の人生を送っていく上で、苦しみを
生んでいると感じます。
・仕事で結果を出せないヤツはダメなヤツ
・出世できないヤツは価値がないヤツ
もし、「教えないスキル」に書かれているような指導を育成期に
受けていれば、
・失敗しながらでも、その中から学びを得て、一歩一歩成長する
・目に見える結果だけでない、貢献の仕方を考える
・うまく行くかどうか分からないけど、自分の頭で考えてチャレンジ
してみる
という発想で、より前向きで、クリエイティブな人生を送っていけた
のではないかと。
これから社会に出ていく方へ、指導・教育・育成を行う方には、
是非、学んで頂きたい内容です。
「代表的日本人」 内村鑑三著
二宮尊徳 より
労働者のなかに、年老いて
一人前の仕事はほどんと
できない別の男がいました。
この男は、終始切り株を
取り除く仕事をしていました。
その作業は骨の折れる仕事
であるうえ、見栄えもしません
でした。
男はみずから選んだ役に
甘んじて、他人の休んでいる
間も働いていました。
「根っこ堀り」といわれ、
たいして注目もひきません
でした。
ところが、わが指導者の目は
その男のうえにとまっていま
した。
ある賃金支払い日のこと、
いつものように、労働者
一人一人、その成績と
働き分に応じて報酬が
与えられました。
そのなかで、もっとも高い
栄誉と報酬をえる者として
呼びあげられた人こそ、
ほかでもなく、
その「根っこ堀り」の男で
あったのです。
(中略)
わが指導者は重々しい
口ぶりで告げました。
「おまえは、他のだれもが
したがらない仕事をしたの
である。
人目を気にせず、まことに、
村民のためになることだけ
を考えてしたのだ。
おまえが切り株を取り除いた
お陰で、邪魔者は片づけられ、
我々の仕事は、たいへん
しやすくなった。
おまえのような人間に報賞を
与えなかったら、わが前途に
ある仕事を、
とうてい遂行することはでき
ないだろう。
おまえの誠実に報いる
天からの御褒美である。
感謝して受け取り、老後の
安楽な生活の足しにするため
役立てるがよい。
おまえのような誠実な人間を
知って、私はとても嬉しい」
私も、陽の当らないところで
真面目に一生懸命、頑張って
いる方を支えるコーチになり
たいと思います。
「代表的日本人」 内村鑑三著
中江藤樹 より
徳を持つことを望むなら、
毎日善をしなければならない。
一善をすると一悪が去る。
日々善をなせば、
日々悪は去る。
昼が長くなれば
夜が短くなるように、
善につとめるならば、
すべての悪は消え去る。
この心の虚に、
藤樹は最高の満足を覚えて、
まだ利己心から免れて
いない人々をあわれみ、
次のように言っています。
獄の外に獄があり、
世界をいれるほど広い。
その四方の壁は、
名誉、利益、高慢、欲望
への執着である。
悲しいことには、
実に多くの人々が、
そのなかにつながれ、
いつまでも歎いている。
毎日善を行い、
利己心から少しでも
離れて、徳を磨きたい
と思います。
「代表的日本人」 内村鑑三著
上杉鷹山 より
東洋思想の一つの美点は、
経済と道徳を分けない考え方
であります。
東洋の思想家たちは、
富は常に結果であり、
両者は木と実との相互関係
と同じであるとみます。
木によく肥料をほどこす
ならば、労せずして確実に
結果は実ります。
「民を愛する」ならば、
富は当然もたらされる
でしょう。
「ゆえに賢者は木を考えて
実を得る。
小人は実を考えて
実を得ない」。
このような儒教の教えを、
鷹山は、尊師細井(※)から
授かりました。
※細井平洲
江戸時代中期の大名で
幕府へ領地返上寸前の
米沢藩を再興した上杉
鷹山は、人づくりを大切
にしました。
コーチングを通じて、
富を求めるより先に、それを
生む、人を大切にする
組織作りに関われたらと
思います。
「松下幸之助 一日一話」より
人間が人間を動かすことは、
なかなか容易ではない。
力で、あるいは理論で動かす
ことも、できないことではない。
しかしそれでは何をやっても
大きな成功は収められまい。
やはり何といっても大事なのは、
徳をもっていわゆる心服させる
ということだと思う。
指導者に人から慕われる
ような徳があってはじめて、
指導者の持つ権力その他
もろもろの力も生きてくる。
だから指導者はつとめて
みずからの徳性を高めなく
てはならない。
力を行使しつつも、
反対する者、
敵対する者を
みずからに
同化せしめるような
徳性を養うため、
常に相手の心情をくみとり、
自分の心をみがき
高めることを怠っては
ならないと思う。
指導者ではありませんが
コーチにも、クライアントが
安心して、付き合っていける
よう、徳性を高めるという事
が必要だと考えます。
徳性の高いプロコーチに
なる事が私の目標です。
「安岡正篤 一日一言」より
事業でも、力づくでやって
おると、
いずれ競争になって困難になる。
事業が人間性から滲み出た、
徳の力の現れであれば、
これを徳業という。
事業家は進んで徳業家に
ならないといけない。
また、その人の徳が
古(いにしえ)に学び、
歴史に通じ、
いわゆる道に則って
おれば、
これを道業という。
東洋人は事業だけでは
満足しない。
現代の悩みは、
事業が徳業にならないで、
利業・機業になってゆく
ことだ。
私がこれから、週末起業
として、
はじめる「コーチング」は、
徳業として、
やっていきます。
「菜根譚 心を磨く100の智慧」
より
洞察力に優れていることが
必ずしも賢人とはならない。
洞察力がありながらも、
その力がないように振舞える
者が真の賢人である。
人は聡明であろうとするが、
愚か者であろうとはしない
ものである。
だが、時には、
「賢い愚か者」になる
必要がある。
これこそ非凡な聡明さと
いうものである。
実際、カミソリのように切れる
人間よりも、多少頭のネジが
緩んでいても人情味のある
人物のほうが周囲の評判が
いい。
表面的には「鈍い」印象が
あっても、
真の勝利者はそういう人の
ほうなのである。
(中略)
この世を渡るうえでは
愚鈍のふりをする必要も
あるが、
それは賢明な人にしか
できないことだ。
また、高い修養を積まないと
できないことでもある。
大賢は大愚の如し。
小さく見れば愚かに思える
かもしれないが、
大きく見れば賢いことなので
ある。
愚鈍を装うとき、
面子、学識、地位、権勢を
気にしてはならず、
愚か者に徹しなければ
ならない。
逆に、聡明であるべきとき
には、
堂々とした態度で、そして
明るい面持ちで本来の
聡明さを示すことだ。
それこそが、
「賢い愚か者」である。
賢い愚か者は、
私がこうありたいと思う
生き方です。
「松下幸之助 成功の金言」より
君が「徳が大事である。なんとか
して徳を高めたい」ということを
考えれば、もうそのことが徳の
道に入っているといえます。
「徳とはこういうものだ。こんな
ふうにやりなさい」
「ならそうします」
というようなものとは違う。
もっとむずかしい複雑なものです。
自分で悟るしかない。
その悟る過程として
こういう話をかわすことはいいわけ
です。
「お互い徳を高めあおう。
しかし、徳ってどんなもんだろう」
「さあ、どんなもんかな」
というところから始まっていく。
人間として一番尊いものは徳
である。
だから、徳を高めなくてはいかん、
と。
しかし、技術は教えることが
できるし、習うこともできる。
けれども、徳は教えることも
習うこともできない。
自分で悟るしかない。
前にお釈迦さんが悟った話を
したでしょう。
お釈迦さんでも、修行して、
いかに艱難辛苦しても、
悟れないときは悟れない
わけです。
悟れるときは、何の苦労も
せずに悟れた。
けれど、私が思うには、
お釈迦さんは終始一貫
「悟りをひらきたい。
この宇宙というものについての
道を知りたい」
という要求だけは強かったわけ
ですね。
死にかけて、倒れて気絶すると
いうその瞬間でも、それだけは
忘れずに求めていたのだと
思います。
それで、菩提樹の下でホッと
悟りをひらいた。
そんなもんですからね。
君がそういうことを考える
ことはいいと思うし、
私に質問していることも、
その過程を踏んでいるわけ
です。
(続く)
私も徳を高めたいという
要求は強く持ち続けて
いたいと思います。
「代表的日本人」 内村鑑三著
西郷隆盛 より
不誠実とその肥大児である
利己心は、人生の失敗の
大きな理由であります。
西郷は語ります。
「人の成功は自分に克つ
にあり、
失敗は自分を愛するに
ある。
八分どおり成功していながら、
残り二分のところで失敗する
人が多いのはなぜか。
それは成功がみえるとともに
自己愛が生じ、
つつしみが消え、
楽を望み、
仕事を厭うから、
失敗するのである」
人としての成功には、
利己心に打ち克つ必要
があるようです。