皆さんこんにちは。

久しぶりにアメブロを執筆しているけーはんとっきゅーです。

明日、4月25日はJR西日本の福知山線で発生した、福知山線脱線事故から19年が経ちます。

まずは亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

ここで警告しておきます。

これからこのブログでは福知山線脱線事故をします。

事故の話が苦手な方は是非ここでこのブログを閉じてもらうようにお願いします。


尚、このブログは福知山線脱線事故を後世に残していくために執筆しています。

くれぐれも過激なコメントなどはしないでください。



























 ​福知山線脱線事故とは?

福知山線脱線事故とは2005年4月25日に兵庫県尼崎市のJR西日本福知山線(JR宝塚線)塚口〜尼崎駅間で、制限速度70kmのカーブに約116kmで進入した、宝塚発JR東西線経由同志社前行きの207系快速列車が、線路脇のマンションに激突して大破し乗客106人と運転士1名が亡くなり、負傷者562人が重軽傷を負われた事故です。


 事故の直接的な原因

福知山線脱線事故の直接的な原因は、伊丹駅に停車する時に100m近くオーバーランしたことがきっかけです。

運転士はこの時のオーバーランの遅れを取り戻そうとし、次の停車駅である尼崎駅まで線内最高速度120km近くを出し続け、そのまま事故現場へと突入しました。

つまり、事故の直接的な原因は運転士のミスを取り戻そうとしたところを急ぎ過ぎてしまった所で事故が発生したのです。

しかし、なぜ運転士はこの遅れを必死に取り戻そうとしたのでしょうか?次のセクションではそれを解説します。


 ​事故の間接的な原因

少し話が変わりますが、当時JR西日本では「日勤教育」というものを実施していました。

日勤教育とは対象者を通常の業務から外し、運行などに必要な事を再教育するというものをしていました。

日勤教育自体は他の鉄道会社でもやっており、日勤教育自体は悪い訳では無いです。

問題となったのはJR西日本のやり方なのです。

JR西日本の日勤教育も表向きは社員の再教育というものでしたが、実態は上司からの恐喝や暴言、草むしりなどをやらされるというものでした。

事故の当該列車の運転士も過去に2、3回この日勤教育を受けていたそうで、日勤教育の回避願望が直接的な原因のスピードの出し過ぎに繋がったという事なのです。


現在の事故現場


福知山線脱線事故のは当該車両である207系(写真は別車両)


 ​事故後のJR西日本の取り組み

福知山線脱線事故発生後、JR西日本はとにかく「安全」を最前面に押し出すようになりました。

事故現場の最高速度は時速70kmから時速60kmに引き落とされるようになり、事故の再発防止に取り組むようになりました。

また、事故の当該車両である207系電車と、当時開発中の321系は既存の塗装から新しい塗装へと塗り替えられることになりました。

これは事故に遭われた方に事故の事を思い出させないようにするために行われた取り組みになります。

その後も今に至るまでJR西日本は安全を最前面に押し出し、現在でもかなりの利用者がJR西日本を利用しています。

事故現場のマンションは、現在は祈りの杜という施設になっており、毎年4月25日はここで黙祷が行われています。


 ​福知山線脱線事故から19年

冒頭でも言いましたが、今年は福知山線脱線事故が発生してから19年が経ちました。

福知山線脱線事故を経験して、JR西日本はどの鉄道会社よりも安全を最前面に押し出すようになり、それは今も変わりありません。

筆者は事故当時はまだ生まれてすらいなかったのですが、こういう凄惨な事故があったということを知って、それを後世に伝えていきたいと思い、このブログを書きました。

そして、事故によって亡くなられた方、事故に遭われた方に心よりお見舞い申し上げます。


という訳で今回の話は以上です。

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