おはようございます。
昨日友達の御通夜へ家内と行ってきましたが、友達が約2ヶ月の入院中にいかに病と闘ったか…その顔を眺めて痛感しました。堂々たる体躯が、40キロに満たないほどに痩せ細り…言葉もありませんでした。心の中で「天晴れ、よくぞ戦った」と声を掛けました。宗派は我が家と同じ日蓮宗でした。
仏教はインドのお釈迦様が元で、中国、唐の時代に三蔵玄奘がインドまで行き、色々な経典を持ち帰り広めました。我が国では遣隋使や遣唐使の留学僧が、日本へ経典などを持ち帰り(有名なのは「空海」や「最澄」等がいるが、日本の仏教はこの二人が元)、空海は高野山で「真言密教」の真言宗を広め、最澄は比叡山で天台宗を広めました。
また、天台宗からは色々学んだ人達が独自の宗派を創りました。「浄土宗」の法然、「浄土真宗」の親鸞、「宗洞宗」の道元で、自分の名前を宗派に付けたのは「日蓮宗」の日蓮ですね。まだまだ宗派は沢山有りますが・・
それと、仏教用語でよく時代劇で使われる「引導を渡す」と言うのがありますが、あれは間違っている…と私は思います。時代劇では、悪人が人を殺す時によく使いますが、本来はお坊さんが病人などに「貴方はもう死にます」と言う時に、それと現代では医者が「手を尽くしたが駄目でした」と宣告する時に使われています。
これはあくまで私個人の考えですが辞書には載っていないのですが、死んで行く人に三途の川を迷わずに渡れるように導き、極楽浄土への引率(引導)なんだ…と考える方が自然だと私は考えています…。
私も近頃は体調が悪く、家の中を歩くのでさえあちこちにぶつかり、家内や娘が呆れています。寒暖の差がありすぎますね。身体が付いていけなくて参ります。
また書きます。