お早うございます。
今日は、「孫子」の事で解かった事を少し…。
中国南宋の時代に、日本の僧たちが持ち帰った宋版『史記』に「孫子」がおびただしく『杜牧注(とぼくちゅう)』から長文の引用が含まれています。
これを持ち帰ったのは、主に東福寺、建仁寺、南禅寺などの禅僧たちです。
私はまだそれぞれの寺史を見ていませんからなんとも言えないのですが、儒学、禅学の双方に通じ、兵書も読んでいる臨済宗の禅僧には、儒学経典の一部である『易経』に精通した者が多かったみたいです。
戦国期の各地の武将達は、軍法並びに占筮(せんぜい)に通達した者を必要として、競って禅寺を建てました。なぜならば、この総てをこなせるのは臨済宗の禅僧しかいないと考えられていたからです。また、京都の五山や足利学校で学んだ高僧も招聘しました。
『甲陽軍艦』に初めて出て来る武田信玄の「孫子の旗の由来」も何となく解かりました。
考えて見れば「信玄」と言う名前は禅に帰依した号ですよね。それと上杉「謙信」も毘沙門天に帰依した号です。どうもこの頃からですね、孫子が文献に現れるのは・・・・・まだまだ歴史は謎だらけです。
解かった事を又書きます。
明日は家内と埼玉の狭山市へ出張です。晴れると良いのですが。
又書きます。