今日は同級生に誘われ、八戸市公会堂で開催された三味線や民謡のコンサートに行って来ました。今まであまりこの分野の音楽を聴いた経験はありませんでしたが、やはり実際に聴いてみると迫力があり、また伝統的な文化というのは継承し、発展させていかねばならないものだなと感じました。
また柔道の吉田秀彦選手が現役復帰を果たし、団体戦で6戦全勝という活躍をしたそうです。43歳、普通に考えれば体力の衰えも見えるでしょうし、指導者として、もしくは高段者として出場する方が多いと思いますが、実業団の試合に出て戦うのはすごいと思います。総合格闘技に出たのも柔道の強さを信じているからだと思いましたし、心底柔道が好きなんだろうなぁと感じます。私も35歳、吉田選手に比べればまだまだ若いですから、時間のある時は道場に行って稽古もしたいですし、自分の志す場所でも頑張って行きたいと思います^^
昨日、NHK BS1で「オリバー・ストーンの語るもう一つのアメリカ史」という番組の最終回を観ました。映画監督・脚本家のオリバー・ストーン氏が、自身のベトナム戦争での経験から反戦の観点からアメリカの歴史を読み解いたものでした。私も含め、一般の日本国民の知るアメリカの歴史が、軍備の点やアメリカの理屈で観るとこう見えるんだと非常に勉強になりました。昨日はクリントン大統領~ブッシュ大統領~オバマ大統領という、自分がリアルに体験して来た時代の内容だっただけに、自分の意識との違いをハッキリと感じることができました。世界で主導権を握ることがアメリカの正義であり、そこに基づいた外交や国際社会での政策の展開を観た気がします。
歴史認識の問題はその事実の当時から時間を経ることもあり、かなり主観に拠るところが大きいことなどは以前も取り上げて述べました。
→ http://ameblo.jp/t-yama43423/entry-11530309620.html (歴史認識と主観)
それは日本だけでなく、諸外国でも同様なのだと改めて感じました。以前あるジャーナリストの方の本を読んだ時に、その方が午前と午後に学校で授業を受けたら、片方では侵略の歴史、もう一方では開拓の歴史という全く違う内容のものを、後に同じ戦争を題材に扱ったものだと知って衝撃を受けたという話も思い出しました。
昨日のブログで取り上げた「右と左」という考えも、どちらも偏り過ぎてはいけない、だからベストミックスが良いという指摘をいただきました。私個人としても、それは同感であり、だからこそ「中道」とか「中庸」という言葉が存在するのだと思います。ただ、【ベストミックス】という言葉には、やはり多分に主観に拠る部分は大きいのは事実です。与党は昨年末の衆議院選挙では、エネルギー政策において【ベストミックス】という言葉を用い、事実上の原発政策推進の立場を取っているように感じます。
だからこそ政策や基準を決める際には、なるべく客観性の高いものが良いと思うのですが、行政が一番苦手とするのはその線引きであると感じます。また、弾力性を欠いたものでは現実に即した対応ができない場合が出て来る可能性があります。ですから現実的にはある程度の弾力性を持たせる必要もあると思います。そうなると、拡大解釈によってどのようにでも適用される、という堂々巡りになってしまうのです。
こういったことの繰り返しだからこそ、主観だけでなく客観的な見方ができ、自分の中に基準を持つということの大切さが非常に重要であると感じます。モラル・ハザードを抑え、正しい認識のもとで目の前の現状を分析して把握し判断できる、そういった基準を持てる教育が必要不可欠だと思います。今回は何となく抽象的で理念的な内容になってしまいました。しかし、歴史観を持ち、学びながら自分の中に基準を持つということが非常に大事なのではないかと自分は考えています。番組の最後にはヘロドトスの言葉が出て来ました。
「歴史は人間が成し遂げたことが忘れ去られないよう願って書かれた」
対立や戦争だけでなく、文明や誇り、成功も歴史の中には存在します。過ちは繰り返さず、過去から学び、未来を創っていくことが政治の役割だと思います。歴史に学んだ上で、自分の中に明確な基準を持ち、今必要なことは何かを訴えていきたいと思います!