令和6年沖縄出張



対馬丸記念館に行ってきました。
ゆいレール県庁前駅から徒歩15分程と近いので、いつか訪問したいと思いつつ、今回やっと訪問できました。
奇しくも今年は対馬丸事件が起きた1944年から80年の節目の年。
記念館が出来たのは2004年なので、戦争関連の施設では新しい方だと思います。
入場料500円でした。


対馬丸の模型


対馬丸は学童疎開船で、1944年8月22日、鹿児島県・悪石島の北西約10㎞の地点を航行中、米潜水艦の魚雷攻撃により沈没。
多くの乗船者が亡くなりました。奇跡的に救助された人が280名いたのですが、対馬丸が撃沈された事実を隠すために、そのことを話すことを禁止されました。だから死亡者や生存者に関する詳細な調査も行われず、沖縄に残された家族は正しい情報を伝えられませんでした。



まずは対馬丸のデータから上矢印
対馬丸に関する確かなデータは一つも残っていないそう。
前述の撃沈の事実を隠すため、細部にわたる被害実態調査がされなかったから。
那覇市8校の国民学校の生徒など疎開者は1661名乗船していたと伝えられています。


対馬丸の船内の様子


元は貨物船だったため、船倉には窓が無く8月の真っ只中で船内は蒸し風呂状態だったそう。
中には無理矢理疎開させられた子どもや、嫌々乗っている子も多かったので、犠牲となった子どもに申し訳ないと思う親が対馬丸に乗船していた事実を隠していたケースもあったそう。



生存者が流れ着いた場所の説明
奄美大島では21名が保護されたそう。
漂流していつ助けられたかの時期は人により違っていて、漂流中にサメに食べられたり、命尽きた人もいたそう。

8日間150kmの漂流に耐えて助かった人達すごい。



しかし、せっかく救助されたのに撃沈の事実を隠すために緘口令が敷かれ、その事を口に出すことを禁じられ生存者の苦悩は続きます。
ただただ、戦争って良い事なんてひとつもない。
何もしていない普通の人達の日常や小さな幸せも全て奪うんだな。



館内は2階建てで2階→1階と回る順路で2階は対馬丸事件のこと。1階は当時の暮らしなどを再現した展示です。
無数に張られたロープは船から救出される時をイメージしているそう。
館内に当時の那覇尋常小学校などの校歌が流れていて、子ども達の歌声にタイムスリップしたような、不思議な気分になりました。小さい子どもでも分かりやすい展示になっていて20分もあれば廻れる広さです。


生存者の苦悩が綴られた壁


生存者の方の音声が聴けるオーディオコーナーや映像が見れるコーナーもありました。
ただ、展示の説明がほぼ日本語のみだったので、英語表記も充実すればいいなと感じました。
見るだけでも十分に伝わるけれど、やっぱり世界各国の方が来て、平和について学べたらいいと思う。



昭和19年の教室
黒板には空襲警報の歌。
「標準語励行」はうちなーんちゅではなく本土に合わせよってことだったのかな。
手前には成績優秀者の賞状。
昔から頭のいい子は表彰されていたのか。
犠牲者のお写真が飾られていて、無邪気に笑った子どもの顔が切ない。
生きてやりたかったことがあっただろうし、夢や希望もたくさんあっただろう。


対馬丸記念館の裏にある「小桜の塔」


記念館が建てられる前からある慰霊塔。
同じ旭ヶ丘公園にあるので、こちらも併せて見学するのがおすすめ。
綺麗に清掃されていました。
対馬丸のことは、沖縄からの疎開船が撃沈され、たくさんの子ども達が犠牲になったこと位しか知らなかったので、
勉強になりました。そしてまた一つ、平和の尊さを実感できました。


対馬丸記念館(9時-17時)
沖縄県那覇市若狭1-25-37
098-941-3515 木休館

 

対馬丸記念館に近い宿

 

 

 

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