令和6年沖縄出張

どーーーーしても気になっていた場所にやっと行く事ができました。
5年前の沖縄出張の時、ホテルの部屋から見えたこの場所。


気になって調べたら激戦地「慶良間チージ」だったことを知りました。
どんな場所なのかというと…

丘陵地帯に築かれた日本軍の陣地の一つ。日本軍は「すりばち丘」米軍は「シュガーローフ」と呼んだ。一帯は日本軍の首里防衛の西の要衝で、米軍の第6海兵師団と激しい攻防戦が展開された。特に慶良間チージでの攻防は、1945年(昭和20)5月12日から1週間に及び、1日のうち4度も頂上の争奪戦がくりかえされるという激戦の末、18日に至り米軍が制圧した。米軍は死者2662人と1289人の極度の精神疲労者を出し、日本軍も学徒隊・住民を含め多数の死傷者を出した(那覇市劇市博物館HPより)



去年も行くチャンスはあったけれど行かなくてアセアセ
でもコロナ禍で行けない間もずっと気になっていてアセアセ
今回は空き時間を狙って行ってきました。というのも、国際通りから徒歩15分程で行けるんです。
おもろまち駅からだと徒歩5分もいらないかも。
駅近くのジョイフルを通り過ぎたら丘に上がる階段があります。
そこを上っていきます。



頂上に到着。
タワマンや高層ビルに囲まれて当時の面影は全くないのかもしれません。
そして訪れる人も少ないのか、雑草がいっぱいアセアセ
立ち止まっていたら蚊にさされそうな感じ(笑)



でも、本当にここが激戦地だったんですね。
様子を伝える石碑と卒塔婆がありました。
戦後長くこの場所は米軍居住地域としてアメリカに接収されていたけれど、1987年5月に全面返還。
新たな那覇の新都心として造成されたそう。1987年って37年前。遠い昔ではないな。
この一帯、電線も地中化されていて本当に綺麗だもんね。
当時の様子を伝える碑文を見ても、この場所に立っても、本当にここが激戦地だったなんて信じられません。





周りはビルだらけだけど開けた場所からは那覇市街を一望。
ここから首里の丘が見え、首里城には沖縄守備隊第32軍が置かれていたので絶対に守りたかった場所でした。だからシュガーローフは首里攻防戦の要となる陣地。
私は霊感とかないので、ここで大勢の方が亡くなっていると思っても怖さはとかは感じなかったけれど、ホームレスのおうちがたくさんあった方にビビりました滝汗あんまり暗い時間に女性1人で行くとちょっと危険かも。
でも、やっぱり誰もが沖縄でたくさんの方が戦争の犠牲になったことを忘れてはいけないと思います。
平和に感謝。

やっと行けて気持ちがすっきりしましたニコニコ


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