甥っ子と行く沖縄の旅

甥っ子達、家族旅行で広島原爆資料館、修学旅行で長崎原爆資料館を
訪れているのに平和ボケというか、戦争が日本であったことも
分かっていないような感じがしていました。
私の祖父
(甥っ子達の曽祖父)は戦争体験者で、私はたくさん話を聞いて育ちましたが、

甥っ子達に1度も戦争体験を聞かせることもなく、他界しました。


戦後77年、沖縄本土復帰50年の節目の年。沖縄に行くなら今年だ!と思い、
今回戦跡を訪問するバスツアーに参加しました。
最初に訪れた平和祈念公園
毎年「慰霊の日」に式典が行われることで有名な場所。


園内の「平和の礎」には、沖縄戦の犠牲者の名前が刻まれています。
それは日本人だけではなく、外国人、そして敵の米軍の戦没者の名前も
刻まれているとガイドさんから聞き驚きました。このような施設は
世界中でもここだけなんだそう。こちらは英語で名前が刻まれている
エリアで一輪だけそっと花が手向けられていてグッときました。
敵も味方も関係なく、故人に祈りを捧げられる場所って素晴らしい。



正面に見えるのが喜屋武岬
沖縄戦で追い詰められた人々がここから次々に飛び降りた場所。
こんなに美しい場所なのに、77年前は銃弾や爆弾が飛び交う激戦地だったと
思うと切ないです。



平和の礎の周りに植えられているのは、モモタマナ
葉の形が涙のようなので通称「涙の木」と言われています。
みんなが流した涙で育つとも言われていて、どこも大きな木でした。
でも、その大きく張り巡らされた枝葉が礎に日陰を作ってくれています。
礎は波を表わしていて、ここから平和の波を世界に起こそうという願いが
込められているそう。



資料館(入館料300円)があるのですが、平和祈念公園の滞在時間は

30分なので、最初から入館はせずトイレ休憩のみとのこと。
でも、無料ゾーンにも地中に埋もれたままの不発弾が展示してあります。
今でも約3000tの不発弾があり、廃棄処理に50年以上かかると言われている
そう。不発弾のニュースはいまだに福岡でもあります。
ここは甥っ子達は興味深そうに見ていたけれど、単に銃とか好きだから
なのかも。負の遺産とか考えていないかも。


次はひめゆりの塔へ。
看護要員として戦場に動員され亡くなった「ひめゆり学徒隊」の慰霊塔。
伊原第三外科壕の跡地に建立されました。


到着するまでの間もバスガイドの方がひめゆり学徒隊の生存者だった
宮良ルリさんの体験談を話してくれたり、説明が詳しくてバスツアーにして
良かったです。
私と妹は10年以上前に1度訪れていますが、その時は花売りの人がいたけれど
今はもうなくなったみたい。
参加者全員で黙祷しました。


ここの滞在時間は40分だったので資料館へ行く予定でした。
2021年に内容が一新され、リニューアルテーマが「戦争からさらに遠くなった世代へ」
だったので、甥っ子達にも伝わりやすいんじゃないかと。
しかし、まさかの入場制限中で入れませんでした。ショック…。


夏休み中で来場者多く、コロナ禍で人数制限が厳しかったのかも。
ここまで来ては入れないショックに私と妹、しばらく呆然としましたが
後から考えると、それだけ多くの人が関心を持っていると思えば、
良い事なのかなと。
でも、甥っ子世代に平和の大切さや戦争の悲惨さを伝えるのは難しいと実感。
徴兵もなく10代も20代も好きなように生きられる有難みや幸せに気付いてほしいです。

 

 

予習のために本も何冊か送ったけれど難しい