寮でいろいろと代表が決まっていくわけなんだけども、
民主主義的に決めよう!とかっていう声が上がる。
理系だから政治とか詳しくはないんだけど、
民主主義ってすごく哲学的な政治形態だと思う。
すなわち、民主主義において人間は最も批判的になるということ。
全体主義の問題がそのシステム自体の問題だとすれば、
民主主義の問題は個々の市民の問題なんじゃないかな。
ヘーゲルは歴史の発展を絶えざる成長の運動だと考えていたらしい。
確かに、それは正しいのかもしれない。
それぞれの政治や歴史の理論は、
個別的な事象の寄せ集めを解釈した、言ってみればひとつの大きな物語なわけだから
その物語に沿って歴史は進んでいくって考えるのは自然なのかもしれない。
すなわち、歴史を物語と捉えるなら、
その変化は絶えず「進んでいる」っていう方向性を与えられるんじゃないかな。
アナーキーを経験して、その上手くいかなさを知ってる人たちが、
「これはいけない」って思うから、国家みたいな政治をする代表が出てきて、
今度はそこから全体主義に発展していって、また、そこでの失敗で
「これはいけない」って思うから、民主主義がいい!って変わっていくけど、
民主主義って全員が利己的に生活してればいいってわけじゃなくて、
みんながみんなの為になることを個々に考えていないとアナーキーと変わらない気がする。
丸山眞男はその意味で「永久革命としての民主主義」って言葉を残したんだろうなー。
つまり、みんなが全体としても個人としても良い選択となる方向を、
それぞれ全力で考えていかないといけない気がする。
漫画の「鋼の錬金術師」の最後の話にもあったけど、
等価交換じゃなくて10を11で返す様に一人ひとりが行動すれば、
世界は本当に素晴らしくなると思う。
それって全体主義と利己主義を止揚した本当の意味での個人主義じゃないのかな。
資本主義は自利利他や自利忘他が基本になっている気がする。
それ自体は全く悪いことじゃない気がするんだけど、
たまには忘己利他も大切なんじゃないのかな。
それが全体にも個にも大きな意味を持つと思うよ。
一人ひとりが意識を持って動くって本当に大切。
だから、アナーキーも全体主義も経験して、
やっと本当の民主主義に人間は辿りつけると思う。
そういう意味でスポ根の漫画みたいな教育を受けてきた人たちって
すっごく自分で考える力がついてるような気がする。
利己的でない好意的な行為が、
最も高い最も美しい利子をもたらす。
(「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」第六巻 ゲーテ)