こんにちは、よら天子です
ムシムシする湿度のあるこの季節に、とてもよく似合う作品が絶賛公開中です。
牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件
【PG12/字幕版】(※当劇場は2K上映です。)
7/10(月)~7/14(金) 13:50~17:50
7/15(土)~7/20(木) 12:35~16:35
7/21(金) 16:00~20:00 ※7/21上映最終日
【解説】エドワード・ヤン監督が1991年に発表した、傑作『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』。1961年に台北で起きた、14歳の少年によるガールフレンド殺人事件に想を得た本作は、青春期特有のきらめき、残酷さを描くと同時に、一人の少年とその家族、友人達を描くことで、その背景の社会や時代をも透徹した視線で見事に描ききっている。
BBCが1995年に選出した「21世紀に残したい映画100本」に台湾映画として唯一選ばれ、2015年釜山映画祭で発表された「アジア映画ベスト100」において、『東京物語』『七人の侍』『悲情城市』などと並んでベスト10入りするなど、映画史上に残る傑作として評価されながらも、日本では初上映以来25年間DVD化もされず、観る機会がほとんどなかった。マーティン・スコセッシが激賞し、ウォン・カーウァイ、オリヴィエ・アサイヤスなど、世界中のアーティストに影響を与え、熱狂的な信奉者を生み出した伝説の傑作。
【あらすじ】1960年代初頭の台北。建国高校昼間部の受験に失敗して夜間部に通う小四(シャオスー)は不良グループ〝小公園“に属する王茂(ワンマオ)や飛機(フェイジー)らといつもつるんでいた。 小四はある日、怪我をした小明(シャオミン)という少女と保健室で知り合う。彼女は小公園のボス、ハニーの女で、ハニーは対立するグループ〝217”のボスと、小明を奪いあい、相手を殺して姿を消していた。ハニーの不在で統制力を失った小公園は、今では中山堂を管理する父親の権力を笠に着た滑頭(ホアトウ)が幅を利かせている。
小明への淡い恋心を抱く小四だったが、ハニーが突然戻ってきたことをきっかけにグループ同士の対立は激しさを増し、小四たちを巻き込んでいく。
これから書く内容は、好きな方に向けてと言うより、「初見の方」「面白く感じなかったけど、好きだという意見が何故あるのか気になる方」に向けて書かせていただきたいと思います。…うまく書ける気がしませんが…なるべく頑張ります!
実はずっと、上映を待ち望んでいた作品なんです!
昔々の若い頃、テレビで放映されていて、「少年が殺されるのか、殺すのか、どっちやろ?」と薄い興味の中見始め、2時間くらいで睡魔に負けました…。そして少年が殺すのか殺されるのか分からないまま…。
その数年後、映画館で見る機会があり3時間8分バージョンを見てやっと全貌解明です(笑)
サンサン劇場で特集上映など、古い作品を上映するようになり、上映出来たらなぁ…と調べましたが、上映は難しいことがわかりました。(フィルムはどこかにあるのに!→こちらをクリック)
ということで、ずっと何年もモンモンとしていましたが、デジタルでしかも3時間56分バージョンで上映が決まり、すごく喜びました!
当時は映画のことを話す人があまり周りにいなかったので、気にしていませんでしたが…「面白くない!」という意見が多数周りから聞こえてきました。yahoo!のユーザーレビューも辛辣な意見がチラホラ…。でも、面白いって意見もたくさんあります!私も当時映画館で短いバージョンを見たとき面白く感じたので(でも色々忘れているので反論できず)不思議でした。
なんで、こんなに意見が分かれるのでしょう?
好きな人は何度でも見るのに…
当劇場のスタッフも途中で飽きてきた…なんて意見も…
私も久しぶりに見る上、上映時間が長いバージョンなので、「寝たらどうしよう…。映画館で寝るのが気持ちいいという快楽にたまに溺れます…。」と思い、先日シネ・ヌーヴォさんで『恐怖分子』『台北ストーリー』をハシゴさせていただきました。そして当劇場で『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』を見ました。
エドワード・ヤン監督の作品を続けて見て思ったのが、「観客に優しくない映画を撮る監督」。
そもそも、エドワード・ヤン監督のスタイルが点のように散らばった物事が最後に繋がります。『恐怖分子』も『台北ストーリー』も、なんでもない日常が断片的に流れているように見せつつ、よく見ていればその一つ一つがつながっている事がだんだんと分かってきます。
が…
面白くない理由として、ただの日常の風景が後々重要になってくるとは思わないし、断片的過ぎて、見落としてしまうのだと思います。
「裸電球のある薄暗い部屋を延々と撮っているだけ」のように捉えることもできるし、逆に面白いと思う人は「裸電球の薄暗い部屋で、目が慣れてくることで部屋の全貌がわかってきて衝撃が走る」ような感覚かな…うーん…すみません、うまく言えません…。
例えば、説明がほとんどありません。台詞どころか画で見て理解させる撮り方をしていません。
映画の主題は大体多くの映画では主人公が引っ張っていくものです。
でも、エドワード・ヤンの映画に出てくる主人公はほとんど感情を表に表しません。ほとんどの表情を変えることなく、周りの人間が動く中で突っ立っていることが多いです。主人公に感情移入させず、周りの人間や事象によって、徐々に主人公や主題が浮かび上がってくるように撮られています。
でも友達や主要人物の髪型が似ていたり、顔が似ていたりして見分けがつきにくかったりします。(特に昔テレビで見たときは画質が悪く本当に区別がつきませんでした…。)
家族構成もわかりにくくなっています。唯一、夕ご飯のシーンで家族全員が食卓に着きますが、小さい食卓を囲むように座るので、家族の半分は後姿です。
ちなみに私も兄弟が何人なのかわからなかったのですが、長女→長男→次女→シャオスー(主人公)→三女の5人兄弟です。次女がほとんど出てこないのですが、最後にグワッっと心をつかまれました…。
とりあえず、登場人物が多い上チラッとしか顔が映らなかったりするので、「登場人物を覚えておく」ことが重要になってきます。
そしてロングショットが多いので、さらに登場人物が把握しにくいです…。
食卓のシーンなどは特に距離があり、主人公と家族の間の壁を感じました。主人公の視点にカメラを据えるシーンはほとんどありませんが、主人公視点で気になったのが、主人公が押入れの中から蚊帳越しに家族を見ているシーン。このシーンで主人公と家族の距離を感じました。ただ、なぜ主人公が家族と距離があるかという説明はないので、私の思い込みかもしれません。でも、エドワード・ヤンは観客を突き放しつつも、観客の想像力でこの映画の世界への参加を促しているように思います。
その他にも、光と影でも、観客の参加を促しています。
昼間は自然光での撮影が多く、陰影がはっきりしています。陽射しの明るいところから、映画の撮影所に入る時のあの深い陰影は主人公の心を透過しているようで切なくなりました。(これに関する説明もないので、私の思い込みかもしれません。この「思い込みかも…」と思うことでまた見て確かめたくなっています。)
夜のシーンは、本当に暗いです。外灯もない上よく停電が起こります。懐中電灯の灯りやろうそくの火に浮かび上がる顔をよく見て覚えてください。カメラはほとんど「引き」の状態で、映画の主題から一定の距離を保っています。この「引き」をそのまま受け取って見ていると、主題が無く凡庸な作品と感じてしまいます。
この長々としたブログにお付き合い頂き、ありがとうございます。
殆どの映画では「観客に状況説明をする画や台詞」を考えられて挿入されています。エドワード・ヤンは「現実的な世界の中にカメラを添えた構図で、観客が探究しながら見るように強いる映画」を考えて撮影されていると思います。この強いられている映画、理解するとかなりクセになります(笑)隠された意味が分かった瞬間、ウワー!ウワー!ってなるので、その気持ちが伝わればいいのですが、だんだん何書いているのかわからなくなってきています!というか同じような事をダラダラ書いただけな様な!締め方どうしましょう!いつもこんな終わり方!あかーん…
3時間56分の大作で、料金は2200円均一。その時間と料金の価値がこの映画にはあります。私はそう思います。でも、「面白くなかった。」という意見も「よくわからなかった。」という意見も、お客様の感想として大切にして頂きたいとも思います。素直な気持ちで映画を見ることが一番大事だと思うので、おもむくままに映画をお楽しみください!