コミックス28巻のかの有名なプラネタデートで、真澄はマヤを諦めてしまいます。どうせ諦めるならちゃんと告白してからの方が、後々後悔しなくてすむんじゃないの真澄くん…、と思った読者も少なくなかった事でしょう。が、しかし、彼は告白するどころか傷つくあまり、すっかり心を閉ざしてしまいました。

真澄は見合い相手に夢中なのか、マヤに会う時間を作ろうとしません。いったい全体、いつまで彼はこんな態度を続けるつもりなのでしょうか。一度はっきりとフラれているというのに、それでも尚マヤに食いつくという、心臓に毛が生えているメンタルの持ち主=桜小路君の、爪の垢でも煎じて飲んだほうがいいのではないでしょうか。

コミックス28巻のプラネタデートから49巻の聖に諭されるまでのなが~~い間、真澄のヘタレぶり…じゃなかった、消極的な姿勢は永遠と続きます。はあ~~(←溜息)

 

第五弾です↓

---------------

【ご令嬢をホステス扱いする速水真澄】

 

・真澄さん、本音が顔に出てますが…

 

真澄がマヤに出会う以前に、女性の影があったのかどうかは殆ど描かれていません。コミックス34巻で彼は「子供らしい遊びに背をむけ 同じ年頃の友人をつくろうとする努力もしなかった 行動のすべては仕事に結びついていた」と、過去を回想していますので、女性と付き合った事があっても、殆どビジネス絡みではないでしょうか。そんな速水真澄は、仕事人間で女には目もくれない、カタブツ、朴念仁、ガチガチ頭、唐変木な人間と世間から見做されています。マヤが見合い相手に優しく微笑んでいる真澄を見てショックを受けているのも、もともと彼に女性に優しい雰囲気がなかったのもあったのでしょう。真澄の元来持つ性質からなのか、それともビジネス上の理由からなのかわかりませんが、彼は仕事やそれに伴う人間関係で発生したストレスを女性で発散するという習慣が普段からないものと思われます。そんな女慣れしていない真澄が、女性と"おつきあい"というものをしたらどうなるでしょうか。

 

コミックス31巻"紫の影"の章で、真澄は紫織の方から腕に縋られています。紫織は真澄の腕に縋ることで真澄に対する好意の意思表示をしてるのですが、真澄は紫織の行為が意外だとばかりに驚き、明らかに嫌そうな顔になっています。おそらく本音が顔にでたものでしょうが、しかし30にもなる(芸能社の社長をやっている)大の男が女性から腕に縋られたぐらいで、本気でイヤがるものでしょうか。しかも彼は、その手を振り払う事ができていないのです。まだ付き合っているだけなのに、明らかに真澄は、紫織との付き合いにマウントをとれていません。顔に出るほどイヤでありながら、紫織に接近されてしまって拒絶もできないなんて、これが速水真澄でしょうか?彼女が大グループ企業のお嬢様だから?それとも別な理由があったのでしょうか?真澄と紫織との間に、どんなやりとりがあったのか、詳しくみてみましょう。

 

・真澄とご令嬢

 

コミックス30巻"紫の影"の章で、真澄は紫織と食事をしています。実際にはお酒を飲むナイトクラブのような場所で、ダンスもできるといった、上流階級の社交場のようです。真澄は紫織とサシで向かい合っていますが、真澄は上の空で目の前に紫織がいてる事すら忘れてしまっている。おそらく真澄はどうすればマヤに賞を獲らせる事ができるか、その事で頭がいっぱいだったのでしょうが、真澄は紫織に声をかけられて我に返ります。

「わたくしと一緒にいて退屈してらっしゃるのでは」と言う紫織に「あなたに余計な気をつかわせましたね、そんな事はありませんよ」と、スマートに流しています。(この頃の)紫織はバカではないと見えて口の上手な真澄に「きっと女性の扱い方がお上手なのね」と、一歩ひいたコメントを口にしています。しかし真澄は、紫織=ただの見合い相手とは見做してていません。この見合いは彼にとって"ミッション"なのです。相手に心を開かせ、気を許してもらわなければなりません。彼は、こちらの有利に物事を運びたい仕事上の利益を考えながら言葉を選んでいたと思われます。「ぼくがうまいのは役者とタレントの扱いだけですよ。子供の頃から仕事にばかり興味を奪われていましたからね。女優でもないあなたを前にしてとまどっているのはぼくの方です」物凄い殺し文句ですよね。わたしはこれは真澄の正真正銘の営業トークなのだと思います。こういった口説き方をいままで取引相手に限らず、男だろうが女だろうが、”あなただけは特別”と言った口調で相手を油断させ、骨抜きにしてきたのではないでしょうか。紫織は真澄の言葉に圧倒されているのか、照れて頬を染め、下を向いてしまいました。そして何を話していいのかわからない手持無沙汰を隠すかのように、ホールから流れてくるダンスの音色に気をとられているようなそぶりを見せます。

 

「少し踊りませんか」と誘う真澄に、学生時代体育は見学だったという紫織は踊れないと遠慮します。真澄は激しい運動ではないからと言って強引に誘い、ふたりは踊り始めます。さて彼はなぜ紫織をダンスに誘ったのでしょうか?コミックス47巻のアストリア号で真澄はマヤから「速水さん、ダンスお上手なんですね、知らなかった。お好きなんですか?」と尋ねられて「いや…仕事上で必要なときがあるからな。そのために昔習った。楽しいと思ったことは一度もない」と、答えてますので、少なくともこの時の紫織とのダンスは、真澄の中では"楽しくもなく仕事だった"という事になっているようです。故に彼は、決してダンスが好きで紫織を誘ったわけではなさそうです。しかし真澄は今、見合い相手を接待している真っ最中。紫織はダンスに興味があってほんとうは踊りたいのだけど、今までそんな機会はもてなかったと言っている。そんな相手にダンスの機会を与えてあげれば、こちらの株が二つも三つも上がるというもの。そんなことぐらい、真澄はちゃんとわかっていたのでしょう。

 

ホールで美男美女が踊る姿に、周りがざわめき始めました。大都芸能のカタブツで有名な若社長と、鷹宮紫織がつきあっているという噂は本当だったのね、と人々が噂を始めます。紫織は「みんながみてますわ」と言って、恥ずかしがっていますが、真澄は「あなたが素敵だからですよ」と、優しく持ち上げ、踊ることをやめようとしません。ここは上流階級の社交場です。芸能プロの社長である真澄が、"まわりから見られている"事がどういう事か、一番よく知っています。彼は、自分が紫織と付き合っている事、すなわち、大都と鷹通に結びつきがある事を、世間に知らしめたいのです。

「足がもつれそう…転んでしまったらどうしましょう」と言う紫織に真澄は甘い表情で「あなたを抱きかかえていますよ」と、答えます。まわりがざわざわと自分たちの噂話をしだす紫織は更に「真澄さままわりの方達が…」と訴えますが、真澄は「音楽だけをきいていなさい」と、答えるのです。「みんながみてますわ」(←しつこい。そんなに気になるならさっさと自分からやめりゃあいいのに…)と、周りからの視線にこだわる紫織に最後のトドメとばかりに真澄は「ではぼくだけをみていなさい」と、言います。紫織はここで完全に真澄に陥落してしまったのか、「ええ」と、答え、おとなしく真澄に従います。

 

と、こんな感じにマヤでない女とダンスを踊る真澄が数ページに渡ってフォーカスされています。マヤ不在の真澄の姿をこんな風に大きなコマを使って長々と描くなんて、明らかに今までにない展開ですし、違和感さえ感じられます。作者はここで読者に何を伝えたかったのでしょうか?

 

・やけっぱちな?速水真澄

 

この頃の真澄は、マヤに大失恋を喫して傷心中です。(別に振られたわけではないケド。真澄が一方的に失恋しているだけ)心がボッキリ折れて闇の中をさまよっているようなものでしょう。夢も希望も失い、もはや危ない橋を渡る必要もなくなってしまった。彼に残されたのは仕事と義父への復讐だけ。そんな傷心の彼の目の前に、美しくて病弱で世間知らずの箱入り娘が現れた。権力者の家の娘であるこの女を堕とせば、彼女の背後にある権力すべて手に入れることができる。その方が(マヤに告白するより)目的の到達に早くて楽ではないかと彼は、やけっぱっちな気分半分で、軽く考えたのではないでしょうか。案の定、紫織は、真澄のステレオタイプな口説き文句にも関わらずアッサリと騙されて…じゃなかった、絆されてしまいました。真澄は、男性である自分(大都)が、女性である紫織(鷹通)をリードし、掌握している図を、世間に見せつけて、さぞ気分がよかったのではないでしょうか。

 

とはいっても、たとえ仕事とはいえ、マヤ以外の女と積極的?に仲良くするなんて、本当のところ真澄は紫織の事をどう思っていたのでしょうか。この時、踊る二人を背後から見ていた秘書の水城が、この時の自身の"不安感"をこう独白しています。(真澄さま…これでいいんですの…?あなたはこれで…自分の心をだますおつもりなの…?それでいいんですの真澄さま…!)見た事のないような水城の心配そうな顔。まるで自分の事のように苦しんでいるではありませんか。何が水城をここまで言わせているのでしょうか。

 

わたしは真澄は、ただビジネスだけで紫織にやさしくしていたわけではなく、彼女に強い同情心をもってしまったからだと思うのです。真澄は(そしておれも自分を知らなかった。あの少女に出会うまでは…だがもう遅い…)と、独白しています。真澄は、自分というものを知らなかった故、マヤに対して取返しのつかない事をしてしまい、マヤ自身をも失っています。(実際には真澄が勝手に思い込んでるだけだけど)目の前にいる病弱なこの女性もまた、自分と同じく世間知らずで、自分の事をよくわかっていない。真澄は彼女を自分を重ね合わせて同情し、助けてあげたい気持ちになってしまった、喜ばせてあげたくなってしまったのかもしれません。結果は功を奏し、紫織は真澄に自分は「子供の頃から病弱なゆえ、内気で外に出るのもイヤで閉じこもっていたが、真澄と出会ってからほんとうに明るくなった、笑顔がおおくなった」と、喜びの言葉を述べています。紫織は非常に満足して元気になってくれたようです。病弱で世間知らずで、そして美しい女性を自分の力で満足させる事ができて、真澄は再び自分の存在意義を感じる事ができるようになったのではないでしょうか。一見、紫織が真澄に救われたように見えますが、本当に救われていたのは真澄の方だったのかもしれません。紫織のお陰で、真澄は、マヤの"あの言葉"でズタズタにされてしまった、男のプライドを取り戻すことができたのだとわたしは思います。

 

・もてあそばれた箱入り娘

 

しかし真澄は紫織に単に"親切にした"だけだったのでしょうか?コミックス35巻で真澄は紫織の事を(あのひとのやさしさに親切にこたえてきた)と、独白していますが、これは、彼の詭弁だったとわたしは思います。決して親切心だけだったわけではなかったはず。真澄とダンスに興じる紫織は頬を染めて、明らかに真澄に恋に落ちていますが、わたしが注目したいのが、紫織とダンスをしていたこの時の真澄の、憂を秘めたなんともいえない、満足そうな微笑みです。マヤでない女にこんな顔を向けるなんてストーカーをしていた頃の真澄を思い返せば考えられないでしょう。そのうえ、この頃の真澄の目の中にはコミックス後半では描かれなくなってしまった星がまだ存在しており、中年に入りかけの、それでいてまだ青年の香りの残る色香が漂っていて、非常に美しく表現されています。紫織を相手にしている真澄をなぜここまで美しく見せる必要があったのでしょうか?この場面にどんな意図が隠されているのでしょうか?

 

真澄は自分から人を愛したのはマヤだけです。ビジネスの成功を得るため、自分を愛するように仕向けることはあっても、自分から人を愛した事のない人間なのです。この時彼は紫織をもてあそんで満足していたのだとわたしは思います。自分の手のひらの上で踊る紫織を見て楽しんでいた。コミックス49巻で真澄は狂気に陥った紫織に対し(すべて…おれのせいだ…!やさしく聡明だった彼女をこんなふうにしてしまったのはおれのせいだ…!)と言って狂った紫織に対して責任を深く感じています。親切心だけの行為ならここまで罪悪感を感じないでしょう。真澄にはもちろんその自覚はちゃんとあったのです。水城はそれを見抜いていた。そんな事をして自分の心を騙してはいけないと、彼女は真澄の事を案じて(自分の心をだますおつもりなの…?それでいいんですの真澄さま…!)と、言っていたのだと思います。

 

・ご令嬢をホステス扱いする速水真澄

 

話を冒頭に戻しましょう。コミックス31巻"紫の影"の章で、真澄は紫織から腕に縋られてしまいました。結婚を断れない相手、かつ、愛すことのできない相手から必要以上に好かれてしまった。さて、紫織から好かれて果たして彼は嬉しく思ったでしょうか?もちろん、これは真澄の期待通りの結果だったと思います。真澄は紫織を自分に夢中にさせたかった。しかしそれはあくまで”真澄が紫織をリードする”という条件の上での話です。女の方から縋られたり、要求されたり、自分を振り回したりなど、そんな事は彼の人生には(マヤ以外に)あり得なかった。彼の辞書にはこれまでなかったのだと思います。

しかし紫織は勝負に打ってきました。真澄が想像する以上に紫織は彼に接近してきたのです。ボディタッチは、アストリア号で紫織がダブルベッドを準備したのと同じ意味ではないでしょうか。彼女は心の距離を縮める方法として、体の関係を望んできたのだと思います。

ここまでさせてしまったのは真澄の失態でしょう。たとえ親切心でダンスの相手をしたとしても「あなたを抱きかかえてあげますよ」だの「ぼくだけをみていなさい」などとまで言う必要はあったでしょうか?こんな余計な事を言ってしまったのは、一重に真澄の心の弱さであり、相手の事を考えない冷たさであり、後先を考えない思慮の浅はかさからでたものではないでしょうか。真澄が、後先を考えずに行動するなんて信じられませんが、それぐらいこの時の彼は普通ではない状態になっていたのかもしれません。しかしそれによって、彼は、初心な紫織の心を慰みものにしてしまった。金で解決できる玄人なら、こんな発散方法もアリなのでしょうが、相手は自分以上に男性経験のない権力者の家のご令嬢なのです。このあたりが真澄の女慣れしてない所なのかもしれません。

 

紫織の腕を振り払うことはできなくなってしまい途方にくれる真澄。マヤに失恋して、激しく壊れている様子が伺えます。優柔不断だの、ヘタレだのと、不名誉なあだ名で呼ばれてしまう原因がここから始まっているような気がします。