未だに日本人になじみのある印象派の絵画、
実は19世紀後半に起きた芸術の大革命の産物なのです。
当時はドラクロワやクールベなど、
写実中心の絵画が栄えていました。
実物通りの形、色、劇場的な構成、ガチガチに組み立てられた絵画です。
その一方で、ギュスターヴモローやターナーなど、
幻想的な絵画を描く作家もいましたが、
まだ、劇場的な構成や、組み立てられた絵画に縛られています。
そんな中、産まれたのが、のちに印象派と呼ばれた人たちです。
何の考えも無しに見た印象の通りに絵を描いている、
的な皮肉でつけられたようなネーミングですが・・・
こんなクレイジーな色彩、自然界にはありません(笑)
印象だけで描くにしては緻密に計算されつくしています。
さまざまな色がちりばめられて、
観る人は目に入った色の情報を頭の中で再編成をさせられる。
現在で言うところのブラウン管やモニターの色の仕組みや、
今の印刷技術の基礎になるような視覚革命をもたらしました。
絵画というよりは、どっちかというと、インタラクティブアートやメディアアートの方に近いです。
ゴッホなどが有名ですが、日本の浮世絵に影響を受けたこと。
日本の浮世絵はグラフィックアートです。
芸術漬けの彼らにとってはさぞ衝撃だったことでしょう。
そして、曖昧なものが好みの傾向にある日本人にとって、
印象派の絵画はなぜかすんなり入っていってしまいました。
西洋絵画にとっては当時では完全に異端の芸術なのですが。
印象派というネーミングとそのビジュアルに惑わされた感じもします。
あとは絵画の主題、これだけは当時の時代性に準拠しています。
静物、風景、裸婦など、どれも身近にあるものであり、
自然体でいられるものばかりです。
それが観る者を安心させられるのでしょう。
しかし、そんな大革命をあくまで自然体でやってのけた彼らこそ、
近現代のコンテンポラリーアートの基礎を作ったのではないか、とも思います。
あまりに自然体で行なっていたためか、
主題が作者により肉薄し、ドキュメント性も帯びています。
ドキュメントアートの予兆も感じられます。
印象派、おそるべし。

クロード・モネ