なお、総代B氏の件については、
さらに知っておくべき事情もあるので、付け加えておく。



そもそも今回、問題とされた富士宮市内の曾我神社とは、
津久四年(1193年)五月に、
亡父の仇討ちを果たした曾我兄弟が、
B総代の先祖の邸(やしき)で侍達と斬り合いになり、
殺されたことから、その慰霊のために、
地頭だったB氏の先祖が願って建てられたものである
当然、日蓮大聖人の御誕生より以前の出来事である)



したがって、曾我神社は、
信仰の対象としてではなく慰霊の目的で建立され、
以来、B家が中心となって慰霊祭を続けてきたのであるが、
やがて、正応三年(1290年)
日興上人が大石寺を開山あそばされると、
B家は大石寺に深く帰依するところとなり、
曾我神社にも曼荼羅御本尊が祀られた



「神社に御本尊!?」
などと首を傾げてはいけない。



地域の広宣流布が進んでいけば、
やがて神社には謗法物に替わって
御本尊が奉祀(ほうし)され、
諸天の加護が顕現するようになる。




というのは、
戸田会長時代から学会でも教えられてきた
正しい在り方
なのである

(平成5年5月1日号参照)




しかして幾百星霜の間、
曾我神社の慰霊祭は続けられてきたが、
あろうことか、
奉祀されていた大石寺の御本尊が盗み取られる
という事件が起こった




(盗まれたのがいつかは判明していないが、富士宮市内で、
同様に御本尊を奉祀していた他の神社においても、
平成3年の学会問題以後、
御本尊が
何者かの手によって盗み取られている。)




その後の曾我神社は、
御本尊の無い所で宮司が祭事を行う神社に戻ってしまったが、
近年の曾我神社の氏子総代は
地元区長が中心となって務めることになっていたため、
B氏は、積極的に関わらずに済んでいた。



だが、たまたま数年前に区長が病床に伏したことから、
副区長であるB氏が区長代理として
曾我神社の祭事に出席してしま
ただし、神前に礼拝したりはしていない)、
それが写真に撮られて
『創価新報』に掲載されるところとなったのである。



むろん、B氏の行動は迂闊であり、
さらに厳格な信心が求められるべきだろう。



だからこそ、
指導教師御住職も注意を与えられたのに相違ない。



だが、背景事情を知ってみれば、
あながちに学会が大宣伝するような事件とはいえないし、
また何より、
神社の宮司の目の前や斜め横、後方と、
あらゆる角度で写真撮影を行った学会員も
この祭事に氏子として出席
していたわけだが、
いったい、そういう自らの祭事の参加は
「謗法」だと思っているのか、いないのか。



いや、そもそも現今の創価学会自体が、
他の宗教をほぼ全面的に容認する方針を打ち出しているのに、
こういう場面になると

「謗法容認は許されない」
「謝罪を求める」

というのだから、
まったく「半狂人格」(牧口常三郎著『価値論』より)
としか言いようがないではないか。











『慧妙』より転載
つづく...