なお、総代B氏の件については、
そもそも今回、問題とされた富士宮市内の曾我神社とは、
B総代の先祖の邸(やしき)
殺されたことから、その慰霊のために、
(※当然、日蓮大聖人の御誕生より以前の出来事である)
したがって、曾我神社は、
以来、
やがて、
日興上人が大石寺を開山あそばされると、
「神社に御本尊!?」
などと首を傾げてはいけない。
地域の広宣流布が進んでいけば、
御本尊が奉祀(ほうし)され、
というのは、
正しい在り方なのである
(平成5年5月1日号参照)
しかして幾百星霜の間、
曾我神社の慰霊祭は続けられてきたが、
奉祀されていた大石寺の御本尊が盗み取られる、
(盗まれたのがいつかは判明していないが、富士宮市内で、
その後の曾我神社は、
地元区長が中心となって務めることに
B氏は、積極的に関わらずに済んでいた。
だが、たまたま数年前に区長が病床に伏したことから、
曾我神社の祭事に出席してしま
(※ただし、神前に礼拝したりはしていない)、
『創価新報』
むろん、B氏の行動は迂闊であり、
だからこそ、
指導教師御住職も注意を与えられたのに相違ない。
だが、背景事情を知ってみれば、
神社の宮司の目の前や斜め横、後方と、
いったい、
「謗法」だと思っているのか、
いや、そもそも現今の創価学会自体が、
「謗法容認は許されない」
「謝罪を求める」
というのだから、
まったく「半狂人格」(牧口常三郎著『価値論』
としか言いようがないではないか。
『慧妙』より転載
つづく...