さて、今般は大変な失敗をした。
何が失敗かと言えば、もっとマシな人物かと思いきや。
返答が来るたびに、呆れ、臍で茶が沸き、返信が物憂くなるばかりである。
今般が最後である。
貴殿は悔しまみれの雑言を返信するのだろうが、もう目にすることもない。
承知したまえ。
そもそも、鳥本一派(以下汝等とする)の立場と言えば妙本寺の信徒でもなければ、
妙本寺の僧侶でも無い。
なんら責任も無い。
それが妙本寺の資料がどうしたとか、相伝がどうしたとか。
この分際が、いかにも妙本寺の門葉を騙るとは、提婆・瞿伽梨も呆れるであろう。
こんなに滑稽な話があるものか。
安物の漫才ですらこんなにバカバカしいことはいうまい。
そもそも戒壇の大御本尊様を偽物と言い、誹謗するのであるなら、その大石寺と
本末を結び、戒壇の大御本尊に多くの妙本寺信徒を合掌礼拝させた先住鎌倉日桜
ならびに当代鎌倉日誠親子の責任は深重と知れ。
これについても汝等は口にする資格はない。
これは妙本寺の問題であって、
なんちゃって信徒の汝等には口にする資格など無いのである。
もしも私にものを言わんと欲するなら、妙本寺の信徒証明書を持参せよ。
鎌倉日誠の承認を得よ。
似非妙本寺信徒よ、弁えるがよい。
このまま筆を置いてもよいが、哀れな汝等に一言残してやろう。
そもそも真剣な唱題と折伏に励み、御仏の加護、功徳の有難さを一身に味わえばこそ、
謗法の失、阿鼻の大苦悩は心から恐ろしいと思う。
それが信仰である。
貴様らにはその微塵もないゆえ、なにも怖くはないのであろう。
臨終の時、万歳悔いることを今から覚悟せよ。
この言葉、生涯忘れるなよ。
万一にも恐ろしと思うなら、身口意を整えて謙虚に法を学びにきなさい。
妙観講信徒の方より