アイルランド紀行No1 | 早島 潮の旅の記録

アイルランド紀行No1

時期: 2010年01月17日~01月18日


アイルランドという名前を耳にしたとき先ず思い出したのは「ラフカディオ・ハーン」、小学唱歌「庭の千草」、「ジョン・F・ケネディ」の先祖のことである。イギリスと隣接した国でありながらその実情はあまり知らない。
 旅に出る前に先ず知っていることだけでも深化させようと試みた。

ラフカディオハーン
はアイルランド出身の作家・小泉八雲としてその作品は沢山読んでいるが日本へ来るまでの経歴は詳しく知らなかった。ウイキペディアで来日前の経歴を調べてみると以下の如く記されていて既に波乱万丈の前半生であることに驚いた。

年譜1850年6月27日 - 誕生。父はチャールス・ブッシュ・ハーン、母はローザ・カシマティ。生地ギリシャ・レフカダ島からラフカディオというミドルネームを付けられた。
o 父はグレートブリテンおよびアイルランド連合王国(現・アイルランド)出身でプロテスタント・アングロ・アイリッシュである。軍医のイギリス軍少佐としてギリシャ王国・イオニア群島レフカダ島(Lefkada)の町リュカディアに駐在中、地元のキティラ島の裕福なギリシャ人名士の娘であるローザ・カシマティと結婚。
* 1852年 - 2歳のとき父母は父の家があるダブリンに移住する。
* 1854年 - 父が西インドに赴任し一人となった母は精神を病みギリシャのセリゴ島へ帰国。4歳のハーンはサラ・ブレナン大叔母(家はレインスター・スクェアー、アッパー・レッソン・ストリート交差点)に厳格なカトリック文化のなかで育てられた。
* 1856年 - 6歳のとき父母は離婚し父は再婚した。
* 1863年 - 13歳アショウ・カレッジに入学。
* 1863年 - フランスの神学校に行く、帰国しセント・カスバーツ校入学。
* 1865年 - 16歳のとき学校で遊んでいる最中に左目に怪我をし視力がなくなる(以後左を向いた写真ポーズをとる)。
* 1866年 - 17歳のとき父は西インドから帰国途中に病気で死亡、大叔母は破産した。
* 1867年 - セント・カスバーツ校退学、ロンドンに行く。
* 1869年 - 20歳のときにリバプールからアメリカ合衆国のニューヨークへ移民船で渡り、シンシナティに行く。
* 1872年 - トレード・リスト紙の副主筆。
* 1874年 - インクワイアラー社に入社。
* 1875年 - マティ・フォリーと結婚、当時違法だった黒人との結婚だった為にインクワイアラー社を退社。
* 1876年 - インクワイアラー社のライバル会社だった、シンシナティ・コマーシャル社に入社。
* 1877年 - 離婚、シンシナティの公害による目への悪影響を避け、ニューオーリンズへ行く。
* 1879年 - アイテム社の編集助手。食堂「不景気屋」を経営するも失敗。
* 1882年 - アイテム社退社、タイムズ・デモクラット社の文芸部長になる。この時期の彼の主な記事はニューオリンズのクレオール文化、ブードゥー教など。
* 1884年 - ニューオーリンズで開催された万国博覧会の会場で大日本帝国、外務省の服部一三に会う。
* 1887年~1889年 - フランス領西インド諸島マルティニーク島に旅行。
* 1889年 - ニューヨークに帰る。
* 1890年 - ハーバー・マガジンの通信員としてニューヨークからカナダのバンクーバーに立ち寄り4月4日横浜港に着く。7月、アメリカで知り合った服部一三(この当時は文部省普通学務局長)の斡旋で、島根県松江尋常中学校(現・島根県立松江北高等学校)と島根県尋常師範学校(現・島根大学)の英語教師に任じられ、8月30日に松江到着。
* 1891年1月 - 中学教頭西田千太郎のすすめで、松江の士族小泉湊の娘・小泉節子(1868年2月4日-1932年2月18日)と結婚する。同じく旧松江藩士であった根岸干夫が簸川郡長となり、松江の根岸家が空き家となっていたので借用する(1940年、国の史跡に指定)。その年の11月、熊本市の第五高等学校(熊本大学の前身校。校長は嘉納治五郎)の英語教師。長男・一雄誕生。
* 1894年 - 神戸市のジャパンクロニクル社に就職、神戸に転居する。
* 1896年 - 東京帝国大学文科の英文学講師、帰化し「小泉八雲」と名乗る。秋に東京都新宿区富久町にへ転居する(1902年の春まで在住)。
* 1897年 - 次男・巌誕生。
* 1899年 - 三男・清誕生。
* 1902年3月19日 - 東京都新宿区西大久保の家に転居する。
* 1903年 - 東京帝国大学退職(後任は夏目漱石)、長女・寿々子誕生。
* 1904年3月 - 早稲田大学の講師を勤め、9月26日に狭心症により東京の自宅にて死去、満54歳没。戒名は正覚院殿浄華八雲居士。墓は東京の雑司ヶ谷墓地。
* 1915年 - 贈従四位。


 庭の千草は好きな曲であるが歌詞を詳しく思い出せないのでウイキペディアで検索して探し出した。歌詞を口ずさんで少年時を追憶するのも旅の余禄である。

庭の千草
里見義
 一、
   庭の千草も、虫の音も、
   かれてさびしく、なりにけり。
   ああ白菊、ああ白菊。
   ひとりおくれて、さきにけり
 二、
   露にたわむや、菊の花。
   霜におごるや、菊の花。
   ああ あわれあわれ、ああ白菊。
   人のみさおも、かくてこそ。

 ジョン・F・ケネディは三代かけて生み出された大統領であると巷間に言われているがこれもウイキペディアで調べてみてなるほどと合点した。

パトリック・J・ケネディ=ジョン・F・ケネディの祖父


 SK0984便は成田空港12時45分離陸、飛行実時間11時間30分程でコペンハーゲン空港へ16時55分着、慌しくSK2537便へ乗り換え約2時間20分の飛行後、ダブリン空港へ18時10分着陸。迎えのバスに乗りノーススターホテルへ投宿。

スカジナビア航空sk0984$早島 潮の旅の記録-スカンジナビア航空sk0984


 シベリア上空にさしかかった時窓をあけて覗くと、深夜の筈なのに空は明るい。白夜である。翼の上に三日月が輝いていた。

$早島 潮の旅の記録-シベリア上空の月

 ・三日月が主翼にかかる白夜かな 

 コペンハーゲン空港の乗り継ぎは時間が短く免税店で酒を仕入れる暇もなかったが長時間待機させられる所在なさを思えば優れたプランである。

 航空業界も生存競争にさらされてコスト削減を迫られているのか乗り継いだsk2537便2時間20分の飛行中水一杯の機内サービスもなかった。すべて有料なのである。