テニスとチェロプレイヤーかけもちだったころ | 失業から中小企業診断士への系譜 第4楽章~finale~

テニスとチェロプレイヤーかけもちだったころ

以前の記事でもチョロッと書いたのですが、




おらは、今でこそ大学から始めた




チェロくんの思い出をメインに語っていますが、




それ以前は、中学高校6年間




ソフトテニスやってたんですね。




ポコポコをやってたわけです。テニス




しかも、




キャプテンオブザチームまでやってたぐらいの




ちゃきちゃきの江戸っ子です。




ちがいます。




ホントは運動畑出身なんです。




大学に入っても、




最初は、オーケストラオンリイでしたが、




大学2年生の時、




やっぱり運動もしたくてソフトテニスのサークルに入りましたので、




正味、9年ポコポコをやってました。




そのころは、オーケストラの方でインスペクターという




演奏技術以外の運営面の統括責任者もやってて、




ホールとったり、プロ指揮者の先生と打ち合わせしたり、




練習スケジュール考えたり、選曲仕切ったり、




演奏会の全スケジュール管理したりと、




なにかといそがしいときに、




ソフトテニスサークルの方は




人数少ないとかなんだかんだで、副会長を担がれるという




(1回まともに断ったんだけど、同期が支えるとか言われてズルズルと)




もう忙しーからいい加減勘弁してちょーだいぐらいの名誉職まで頂いて、




あれこれと、実はオーケストラ以外でも動いていました。




ソフトテニスサークルは




直接的にはタッチしてなかったのですが、




創立20周年だか何だかで




東京のホテルオークラでOB集めた記念パーティーとか




(今考えると、すごいところでやったもんだ)




(そこで生まれて初めて、おらはファオグラとキャビア食べただ)




一応、大会試合で結果残して、ほんのちょこっとなんだけど




ソフトテニスの専門誌に写真で小さく出たりとか、チョキ




夏休みなどは




夏合宿が、山中湖で最初の五日間はテニスサークルで




一日テニス三昧、飲み三昧して、テニスビール




そのままのヘトヘトに疲れた足で、残り2日間の日程は途中抜けして、




後半五日間は、河口湖で始まるオーケストラの方の合宿に参加して、




チェロ三昧、チャイコフスキー第5番三昧、飲み三昧。音譜ビール




今考えれば、




富士山のまわりで非常にアクロバティックなことをやってました。




当然二つもサークル掛け持ちすれば、お金もないので、




週末の夜は、レストランでバイト三昧して、とかショック!




その当時は、




休みの日、何もすることない日の方が、なぜか疲れるという




ナチュラルハイテンションな逆転生活を送ってました。















楽しかったよ。




楽しいから、できてたんだろうね。




すきだからこそ、できてたわけで。




社会人になって、




そういう自在さってのは、




否応なしになくなっていく。




まあ、そういうもんだろう。




でも、失業してから、




今まで、




まがりなりにも自分のやってきたことは、




結構、大学時代のそれに近い気がしてるんだ。




勉強三昧だけど、




やりたいことをやってる。




勉強一区切りついたら、




またオーケストラに戻れる道も開けた。




旭川時代にやってた、硬式テニスのクラブの札幌本校が




実は、次の職場からも近い。今のアパートからも近い。




仕事終わったら、テニスにもまた通いたい。







それは、来年くらいの話だけど、




それがくるのは、




間違いなくあっという間なんだろうな。