ミャゴラトーリ公演・小劇場演劇的オペラ『リゴレット』が終演した。
小劇場演劇的オペラと銘打って、ミャゴラトーリが岩田達宗氏と共に作ってきたこのシリーズも4回目となったが、今回の公演では改めてオペラにおける演劇的意味を再確認、そしてひとつの形として提示が出来たのではないかと感じている。岩田氏自身も、過去公演の中では今回は最もオペラが「演劇的」表現に結び付いたのではないかと仰っていた。
僕は、単純に言って仕舞えば、オペラは演劇表現に音楽という「演出」が付いたものだと認識している。それは所謂ストレート演劇のBGMとは別次元のもので、テキストが音楽の世界に融合していくものだ。言うまでもなくそれはテキストが無い部分にも言葉なき表現として世界を作り続けていく。それがオペラだと僕は思っている。だからオペラには先ず台本がなければならず(演劇的でなければならず)、偉大な作曲家はそれを自らの音楽世界に昇華させていくのだと思う。
岩田氏の凄いところは、台本と音楽の扱いだと思う。それは恐らく作曲家が台本から音楽を作り出していく(オペラとして完成させていく)作業と類似すると思う。そういう意味でも我々の『小劇場演劇的オペラ』という名は、実はオペラの本質へ向かう挑戦ではないだろうか。
しかし、それを行う為には物凄く高度な「技術」を必要とするのだ。今回リゴレットを歌った須藤慎吾は、あれだけの感情移入、世界の中へ没頭しながら決して声を破綻させる事なく、寧ろより劇的に全てを歌いあげた。他の歌手達もあれだけ気持ちを動かしながら見事に歌い切ったと思う。僕はこれこそが、オペラにおける発声技術だと思う。過去の歌手の貴重なライブ録音を聞けば分かるが、オペラとはこのように現場で作られて行った筈だ。だから作曲家自身が生存の時は必要に応じて書き換えていったし、作曲家の死後も、現場で作られていった「音符」はトラディショナルとして残されていったのだと思う。話は逸れるが、原点主義の演奏家は、その作業を自らが辿る覚悟を持って原点に戻るべきだし、逆にトラディショナル演奏家もそのように意識してトラディショナルを扱うべきなのだと思う。
須藤の話に戻るが、彼は音楽稽古の中では一切のアクートを出していない。今回は楽譜通り、アクートは全て出さずに、演劇的に表現を探すと宣言をしていた。しかし、立ち稽古が進むに従って、その役としての感情は高まっていき、凄まじいアクートへと昇華して行った。それを引き出す岩田氏も凄かった。
終演後、打ち上げ二次会から三次会の夜が明けてまで、須藤は「人が死ぬと何故悲しいのか」とまるでうわ言のように繰り返していた。
言葉では説明出来ない感情を表現する為に僕達は、例えば絵を描き、例えば音楽を奏で、例えば踊り、例えば別の言葉達の造形によって小説や詩や台本を作る。それが表現というものだし、芸術と呼ばれるのかも知れない。そしてそれらを融合したものがオペラなのだ。
現代の経済社会に生きる僕達は、オペラを作る為にも予算を組まなければならない。しかし、経済によって支配されている現代では、大きな固まったお金には必ず別の思惑が付いてくるのだ。僕達が真っ直ぐにオペラに向き合う為には、予算は僕達の作品を見たお客様一人一人の出資(チケット代)でなければならないと僕は思っている。「応援頂けるならチケット代と別に援助を頂けたら助かります」と、ミャゴラトーリはお客様に支援金のお願いも呼びかけていて、既に数十人の方からの支援金を頂いている。それがミャゴラトーリ公演の予算の全てだ。
演劇的である舞台を作るスタッフ、照明、制作にも技術が必要だ。予算があれば簡単に「それ」を作れるが、金が無ければいかにしてそれを「表現」するかということになる。しかし、それこそが実は芸術表現の本質なので、僕達はそこから始めたいと思っているのだ。
オペラは総合表現であり、参加者全ての人が信頼関係を持っていなければ上記のような現場を作る事が出来ない。だから、チケットノルマやチケットマージンは絶対にやらない。チケットを売った量によって予算の分配が変わるなど絶対にあってはならない。
チケットはお客様が自らの意思で買って貰う事が基本でなければ舞台は育たないと思う(もちろん宣伝はするし、宣伝のお願いもしている。チケットを売って頂いた方には感謝の気持ちでいっぱいです)。その為に、お客様を裏切らない作品を作り続けなければならないし、その繰り返しによってのみ「劇団」は続けられるのだという思いから『小劇場』演劇的と名付けている。
しかしそれを、公演毎に数千万の助成金を受け取っている団体ですら出来ていないと思う。チケットノルマやマージンはリスクヘッジだと言った大手オペラの制作がいた。しかし彼は、経済的リスクヘッジが作品の質を下げて、結果的にオペラファンを減少させているというリスクには気付いていない。歴史的にも貧しい芸術家が優れた作品を残しているのは、ハングリー精神などという精神論なのではなく、作品を追い求める姿勢の必然なのだと思う。そして、内輪褒めになってしまうが、「赤字の場合の責任は私が取る」と、大手団体が言えない大きなひと言をたったひとりの、普段時給900円で働く庶民の女性が言っているのがミャゴラトーリなのだ。だからそこに、かくも優れた芸術家達が集ってくれているのだと思う。
僕は、僕の出来る中でそのコネクションを担っているに過ぎない。
ミャゴラトーリは、これからもきっとオペラを作り続けていきます。僕達のオペラに接して下さって興味を持って頂けましたら、どうか会場にお越しいただけましたら嬉しいです。