また間が空いてしまいましたね
ポツリポツリの投稿になってしまいますが、お付き合いいただけると嬉しいです
今日は前回の続きでまたおばあちゃんとのお別れの話になります。
いつまでもしつこいですがこれで最後になります。
あくまでも備忘録になりますのでご了承下さい。
お通夜から帰り、その日は私も母も疲れているのもあり、早めに就寝することに
お通夜の食事が寒い食堂での冷たいお寿司だったので、母がインスタントですが温かいお吸い物を飲もうと出してくれました。
温かいお吸い物とお茶でまたたくさん話をして、かなり早めに21時過ぎにはお布団に入りました。
家族のお世話がないとこんなにも早く眠れるんだと思いました
次の日の朝
あんた昨日お布団に入ってすぐにストンと寝たよ
よっぽど疲れとるんと違うの…
と心配気に言いました。
母の中で小さい頃から寝付きの悪い、眠れない子供だった私のイメージのままなんだなぁと思いました。
いつもこんな感じやで
と言うと不思議な顔をしていました
朝食を食べてからまたおしゃべり(笑)
危うく遅刻しそうになりました
葬儀場へ行き、おばあちゃんにおはようと挨拶をしました。
そして葬儀が始まりました。
私と母と祖母は、言葉で何と表現して良いのかわかりませんが、親子でありながら姉妹のような、友達のような、同士のような…何とも表現し難い特別な絆のようなものがありました。
それは3人とも感じていたと思います。
そのせいなのか…とても不思議な気持ちの葬儀でした。
葬儀の間、私はずーっとおばあちゃんと話をしていました。
運動会ではいつも私の大好きな栗ご飯を炊いてくれたね
私の発表会の衣装はいつもおばあちゃんが選んでくれてたね
編み物が得意でサマーニットのワンピース、冬のあったかいセーターを編んでくれたね
おばあちゃんはいつも私を一番に可愛がってくれたよね
私の子供達も可愛がってくれて、施設のお部屋は私の送った子供達の写真がたくさん貼ってあったね
何より…
私の結婚をみんなが反対して家族会議で私がみんなに責められて、たまらず泣き出してしまった時、おばあちゃんだけが「みんなで責め立てて、これじゃああまりにもかわいそうじゃないか」
そう言って泣きながら私を守ってくれたよね…
おばあちゃんだけはいつも私の味方でいてくれたね
おばあちゃんの笑顔の遺影と話していると、不思議と涙は出ず、むしろ久しぶりのおばあちゃんとのおしゃべりが楽しいくらいでした。
おばあちゃんは私が会いに行くと
まぁ、mikiちゃん、よう来たね~
と大袈裟に喜んで肩をさすってくれました。
そして必ず
mikiちゃんは頑張り屋さんやね…
よう頑張っとるね
そう言って頭をポンポンと撫でてくれました
おばあちゃんの遺影と話していると、おばあちゃんが頭をポンポンとしながら褒めてくれている気持ちになりました。
その時に少しだけグッとこみ上げるものがありました。
おばあちゃんと楽しいおしゃべりを楽しんでいる間に、あっという間に最後のお別れの時間になりました。
たくさんのきれいなお花でおばあちゃんを囲みます
お母さんと叔父さんが思う存分お別れできるように、私は主におばあちゃんの体や足元にお花を置きました。
湯灌の時に納棺師さんからこれからお顔の表情も変わってくると思いますのでご了承下さいと言われていました。
その通りで本当におばあちゃんのお顔がお通夜の日と違って、お花に囲まれて固さが取れて柔らかく少し微笑んでいるように見えました
母が
おばあちゃんの顔、昨日と全然違うね
なんか…笑っとうみたい…
そう言った時はビックリしました。
オシャレに気を遣い、キレイな物が大好きだったおばあちゃんは、キレイなお花をたくさん飾ってもらって嬉しいのかなぁと思いながら見ていました。
葬儀が少し早めに進んだのか、お別れの時間はたっぷり取っていただけました。
祖母を亡くした母がどうなってしまうか心配でしたが、母は祖父の時ほど憔悴することもなく、少し涙を流しながら、祖母にたくさん話しかけていました。
最後に私もおばあちゃんのお顔のまわりにお花を置かせてもらい、お花を整えて…最後におばあちゃんのお顔に触れました。
おばあちゃんの顔に触れたのは私だけだったので、何となくみんながハッとした雰囲気を感じました
母も私の隣に来ておばあちゃんのお顔に触れました。
冷たいねぇ…凍ってしもたみたい…
おばあちゃんのお顔を忘れないように、おばあちゃんのお顔をじっと見ながら触れていました。
そして最後に
おばあちゃん、よう頑張ったね
心の中でそう言って、おばあちゃんがそうしてくれていたように頭をポンポンと撫でました。
おばあちゃん会うまでは、お別れがとても悲しいものになり、自分がどうなってしまうのか不安でした
おばあちゃんの棺が閉じられる時と、斎場で最後におばあちゃんを見送る時に、
おばあちゃん、行かんとって
と一瞬衝動的に強い感情が湧きましたが、それ以外は終始前向きな感情でお別れができました
最後はおばあちゃんにさよならではなく
行ってらっしゃい
と、自然にそう声をかけて見送りました。
自分と母にとって特別な存在である祖母とのお別れは、今まで経験したことがないほど明るいお別れでした
おばあちゃんは天国へ行ってしまったけれど、おばあちゃんが今までと変わらず側にいてくれるのを感じます
斎場からお寺へ向かい、初七日の法要を済ませて全てが終わりました。
新幹線の時間まで少しあったので実家でまた母と話しました。
燃えてしもたら、いなくなってしまったんやなぁ…って思うね
コロナになっておばあちゃんに会えなくなって、その間にどんどんおばあちゃんが弱っていって…。
後半は意識があるのに体が思うようにならないのも可哀想、意識がはっきりしないまま生きているのも可哀想…見ているのが辛かった…
と初めて祖母に対して「辛かった」と言う言葉を母から聞きました。
私はコロナの流行で晩年のおばあちゃんに会えませんでした。
最初はそれが悲しかったけど、今はかえってそれが良かったのかもしれないと思います。
私が知っているおばあちゃんは笑顔がお茶目で、冗談を言っては恥ずかしそうにフフッと笑う、そして頭をポンポンしてくれるおばあちゃんです
会えなかった時間は私をおばあちゃんと自然にお別れさせてくれました。
だから…これで良かったのだと思いました
長々とおばあちゃんとの思い出にお付き合いいただき、ありがとうございました
おばあちゃんは亡くなって、私と母の一部になったような気持ちで毎日を過ごしています。
空から見守ってくれるのではなく、私と母の中にいるのだと思います。
温かいコメント、ご心配いただいた皆さま、改めてありがとうございました
これが私とおばあちゃんのお別れです。
また次からは通常の記事に戻ります。
これからもどうぞよろしくお願いします