娘が学校に行けなかったとき、
やったこと、やらなかったこと、
色々あります。

でも、
「なにかをやる」ことより、
「なにかをやらない」ことの方が
実は難しい。
特に、子どものことに関しては。

娘が学校に行けない間、
私がやらなかったこと、
やらないように心がけてたこと、
をまとめてみました。


① 干渉

結局、全てはこれに尽きるのかな、
って気もしますが

不登校の子どもが何をやってるか、
何時に寝るのか、何時に起きるのか、
学校行くのか、行かないのか、
夜中、何やってるのか、
何考えてるのか、
めちゃくちゃ気になりますけど、
イライラもしますけど、
立ち入らない。

子どもが自分で直面すべき問題は
親がとやかく言っても解決しない。

色々気になるし、聞きたいし、知りたい。
けど、干渉しない。
問題に立ち向かっている子どもの
邪魔をしない。


なかなか難しかったけど、
これを一番、心がけました。

最初はすっごい、きつかった滝汗
今までそれだけ干渉してきた、ってことです。

そのうち、子どものことだけじゃなく
自分自身のことに目を向け始めたら
自分の立ち向かうべき問題も
見えてきて。

これはもう、
子どもに干渉してる場合じゃないな、
と。



予測・期待・悲観

◯◯すれば〜になるだろう、とか
こんな状態じゃ◯◯になっちゃうとか
◯◯したら〜してくれるかな。とか。

明日こそは学校
行ってくれるんじゃないかな
とかも含め。

先のことはきっと予想通りにはならないな
と、これも途中で気付き、
いいことも悪いことも
予測しないようにしました。


その代わり、
今、この瞬間の娘の姿を
ありのままに受け入れる。

今は学校行けないんだねー。
今はYouTube三昧がいいんだねー。
今は返事したくないんだねー。
今は夜、寝られないんだねー。

オッケーい。リョーカーイパー
的なノリで口笛

で、先がどうなるかは
もはや、深く考えない!
そう!
考えても仕方ないことは
考えない!

じゃないと、
結局、真実ではなく、自分の妄想に
自分が苦しめられるという、
意味のわからない状態に滝汗




③ 心配

これ、②の悲観と似てますけど。
量子場観察で、心配される感じを
体験させていただいたんですが、
誰かに心配されてる時って、
なんだかそわそわというか、
モヤモヤというか、
すごい、居心地悪い感じでした。

私が心配するだけで、
娘は無意識に
この不快感を味わってる…
そう思ったら、もはや恐ろしくて
心配なんてできないです爆笑

心配なんて、なんの役にも立ちませんし、
なんの解決にもなりません!
子どもにとっても、親にとっても。


④ コントロール

娘を言いなりにしよう、とか、
こうなってほしい、とかは
もう、なしで。

自分の言いなりにならないことで
子どもを悪く思うなんて
ほんとに馬鹿げてる!
と、やっと思えるようになりました。

かくいう私も、本当にずっと、
子どもを支配し、自分の思い描くような
大人になっていくことを
望んでいたし、強いてました。

大人になること=成長すること
ではないのです。

放っておいても、
命があれば、大人にはなるけど、
成長ってやっぱり、時に
心に波が立ったりもするもの。

その波を上手く乗りこなしながら
本当の意味での大人になって
いくんですよね。

だからおばちゃんはパワフルDASH!
なんですちゅーきっと。




娘は11ヶ月間の不登校の後、
自らまた学校に通うようになりました。

今でも私は、
「やること」より
「やらないこと」を意識して
接するようにしています。

他にもあるのでまた書きます♪