このブログを訪問してくださるみなさんは、いわゆる「厄」を信じますか?
私は信心深い方ではありませんが、還暦を迎えての後厄を、この節分で無事に過ぎることができました。
(本来なら数え歳ですが、今回は満年齢で計算してます。また新年でカウントする方式もありますが、私は節分を区切りとしています。)
前厄はそれほど大きなことも、ありませんでしたねえ。
コロナ禍の真っ最中でしたし、世の中全体が「厄」に浸かっていましたから。
ただ、この歳の暮れに孫2号の誕生がありました。
全ての災厄を取り払ってくれたのでしょうね。
本厄の歳を迎えての三月末、無事に定年を迎えることができました。
(私は3月生まれです。)
お伊勢さんにも参拝して、親父の故郷のお墓にも定年の報告を済ませて、新しい仕事にも慣れてきたお盆過ぎの頃、第一の事象です。 コロナ感染です。
10日の間、苦しみました。(過去ブログ参照)
その後は、目に見えない体力の低下が続きそれは今も続いています。
定年後の再就職先での、鬱屈した思いが出始めてきたのもこの頃でしたねえ。
後厄の直前に孫3号の誕生がありました。
その直後から娘や孫たちの関係で、超絶忙しくなって厄の事は頭から消し飛んでいました。
それでも職場近くの神社三社への参詣は、必ず行っていました。(忍陵神社 国中神社 国守神社)
そしてこの年の(昨年)5月末、生まれて初めての入院を経験しました。 大腸憩室炎です。
大腸は母親も以前に大腸ポリープ癌を患ったこともあり、母の末の弟も腸閉塞で緊急入院したこともありました。
話は少し外れますが、私の幼馴染のことですが、その幼馴染のお父さんは、いわゆる能卒中で亡くなっています。
その際に、遺伝的に血管系の病気に注意する様なアドバイスを受けていたそうです。
でも、幼馴染は心筋梗塞で逝ってしまいました、、
話を戻します。
私も同じですね。母も叔父も腸が弱いのに、深酒をやめられません。
入院したときだけです。
叔父はこの年の8月頭に大腸癌で亡くなりました。
この年は、仕事でも行き詰まりを強く感じる時期でしたねえ。
いわゆる嘱託職員としての採用でしたので、わかってはいたのですが、私たち嘱託員の意見は全く採用されません。企画も完全無視です。
一番腹が立ったのは、他の正規がやった事故案件を暗に私がやったことにされていたことです。
これは私の心を許す同僚から聞き及び、それを直に上司の課長に問いただしましたが、言葉を曖昧に濁すだけでしたので、間違いないと確信します。
そしてお盆過ぎのことでした。
いつもの様に忍陵神社への参詣を終えた直後、先輩から転職の誘いを受けたのです。
(以前のブログ記事参照)
再就職の誘いは無事に採用となり、研修も終えて4/1の採用待ちです。
この年の秋に大腸憩室炎の再発がありましたが、かかっていた病院が開いてなく、仕方なく藪の中の藪で有名な診療所で、最初の問診で大腸憩室炎の再発の様な痛みがあると言うと、ほぼ診察もなく薬を処方してくれて、無事?に収まりました。
そして今年、後厄を終える直前にまたもや大腸憩室炎の症状を覚えました。
今回はちゃんと、かかりつけ医で診察してもらいました。結果的には投薬でしたが、安心感が違います。
そして節分過ぎの2/5、仕事中に異様な脱力感を感じました。熱はありません。
様子を見ることにして翌日はダルさはあるものの、普通に動けるので仕事に行きましたが、昼で終わらせて病院に行きましたが。
結果はコロナ、インフルエンザとも陰性。
熱も低く咳も軽いもんで、薬もありません。
異様な倦怠感の薬はないそうです。
仕方なく翌日と翌々日も出勤しましたが、翌々日の午後は動くのもダルくて早退しました。
この感じは一昨年のコロナ感染の感じと似ています。
が、娘からインフルエンザ感染の報告を受け、陰性ながらもインフルエンザであったと確信しています。
後厄最後の災厄で、私に健康には油断するなよとの注意喚起だったのかもしれません。
以上に話が長くなりましたが、私が厄歳を迎えての事象を書き連ねました。
思ったのは人それぞれに差異はあるとは思いますが、厄はあるものだなと言うことです。
決して恐れるものではないと思いますが、備えることはできるものですよね。
そして、私がこの事象を書き連ねることができているのも、この厄を乗り切ることができたからと思います。
最初に信心深い方ではないと言っているにも関わらず、ずいぶんと調子のいいことを書き連ねていますが、日本の神道は日本人の心根であって信心以前の事柄であるとの私の認識ですので、あしからずご了承下さい。m(_ _)m
兎にも角にも私の健康は二の次として、家族や孫たちの安寧を祈らずにはいられません。
最後になり誠に申し訳ございませんが、このブログをご覧になられる皆さん方へのお幸せを、合わせてお祈り申し上げます。
さて。闘病後のお酒の美味いこと😋笑