政治的な行き止まり

こうした国民の不満を吸い上げて来たのが、イランの改革派だった。改革によって、イランは穏健なまともな国になるとの期待があった。そして、まともな国になれば国際社会に受け入れられるだろう。そうなれば、イランの経済も良くなる。そうした期待に応えるかのように、2015年にイラン核合意が結ばれた。

この核合意とはイランが核開発に制限を受け入れるのと引き換えに同国への経済制裁を撤廃するとの内容である。15年にイランと6大国の間で結ばれた。6大国とはドイツと5つの安保理の常任理事国、つまり、アメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシアである。合意が結ばれた時のアメリカの大統領はバラク・オバマだった。

イランでは保守穏健派とされるローハニ大統領が政権を握っていた。改革派の支持を受けた大統領だった。だが、18年にトランプ大統領が一方的に合意から離脱しイランに対する経済制裁を再開し強化した。イランも対抗措置としてウラン濃縮を大規模に再開し、核兵器の製造に必要な量の高濃度濃縮ウランの獲得に近づいている。

このアメリカの離脱によってイラン国内の改革派は梯子を外された格好となった。信頼してはならないアメリカを信頼して合意を結んで裏切られたのだから。そして21年、イランで大統領選挙が行われイブラヒーム・ライースィーが当選した。保守強硬派の人物である。1980年代にイラン・イラク戦争の停戦が成立した頃、イラン国内に収監されていた政治犯を千人単位で処刑する判決を下した判事の1人である。ライースィーの当選の背景は、体制が改革派の大物政治家の立候補を一切認めなかったからである。出来レースでの「大勝利」である。

これで経済的な閉塞感に政治的な行き詰まり感が加わった。もう、だれも体制内での改革が可能だとは思わなくなった。そうした鬱積した不満の中で9月にスカーフのかぶり方が十分にイスラム的でないとしてマフサ・アミニという名の若い女性が拘束され殺害された。

これが充満していた不満に火をつけた。イラン各地で大規模な反体制デモが起こっている。抗議している若者は体制内の改革を求めているのではない。体制そのものの打倒を訴えている。体制と抗議する若者たちの間で力一杯の綱引きが行われているのが現状だ。問題はスカーフではなく、スカーフに象徴される体制の抑圧的な政策である。

この綱引きの行方を予想するのは、むずかしい。ただ、ここまで述べて来た背景にある構造の理解が、体制側が直面している課題の大きさを推し量る手助けとなるだろう。そして体制側は、もう一つの不可避な問題を抱えている。それは最高指導者の後継問題である。現在の指導者のアリ・ハメネイは1939年生まれの高齢である。ハメネイは第3代目の、つまり、次の最高指導者に、その地位と権力を無事に委譲できるだろうか。

イランのイスラム革命体制はみずからが育んだ教育をうけた世代の反乱を目の当たりにしている。そして、その革命の第1世代が世を去ろうとしている。

-了-
 

経済的な閉塞感

こうしてイランは、世界でも最高水準の教育を受けた若年人口を誇る国となった。しかし問題は、こうした優秀な若者たちに十分な雇用を政府が確保できていない点である。イランの経済は十分に成長しておらず、世界最高水準の教育を受けた若者を吸収するだけの雇用を生み出していない。なにが原因なのだろうか。

まず指摘されるのは、アメリカの経済制裁である。これによってイラン経済の生命線ともいえる石油の輸出が大きな打撃を受けている。だが、イラン国民の認識によれば、少なくとも他に、二つの要因がある。

一つは政権の腐敗だ。経済がきびしい中で、政権幹部の子息などが周辺のドバイ、イスタンブールあるいはヨーロッパで豪遊をしているのは、良く知られている。SNS上にそうした写真が散見される。また、中には外貨事情が苦しい中でも、ドルやユーロを手に入れて、欧米に子息を留学させている政権の上層部の人々も少なくないようだ。イラン国民の怒りの源泉である。

もう一つの要因は、イランの外交政策である。イランは隣国イラクのシーア派勢力、シリアのアサド政権、そしてイエメンのシーア派のフーシー派などの支援を行っている。また、シーア派ではないが、パレスチナのイスラミック・ジハードやハマスなどの対イスラエル抵抗勢力を支援している。その資金的な負担は、相当なものである。イラン国民にしてみれば、国民の生活が苦しいのだからパレスチナやシリアの支援ではなく、たまには、政府は自国民の支援をしたらどうだという感情もある。

>次回につづく