西宮のおばさんに邪険にされ肩身の狭い想いをする中、
お母さんのお金があったのと、ニテコ池の横穴という住処を見つけたため、
子供二人でも生きていけると思い、自ら社会との関係性を断ち切っちゃった。
これが真の死因です。
子供が子供なりに頑張っても所詮子供は子供、栄養失調になってしまいます。
そして節子(4歳)は栄養失調を起因として何らかの疾病を生じて亡くなってしまいます。(餓死だともっとガリガリになるはず。もしそうだとすると高畑監督はリアルに表現するはずなので、餓死では無いと思う)
清太(14歳)がニテコ池から三ノ宮駅で死に至る過程は描かれていませんが、私は虚無感が死因だと思う。
社会から隔絶されているため情報が無く、銀行に行った際に終戦と連合艦隊が壊滅した(つまりお父さんも死んじゃった)事を知り、戻ると節子も死んでしまう。
こういった複数の不幸に一挙に見舞われ、虚無感に陥り、自ら生きる気力を無くしてしまう。
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これは、「戦時下」という特殊な状況を割り引いても、今でも起こり得る話です。
現に、アパートの中でお年寄りが孤独死していたり、希には餓死していたりと言ったニュースを時々聞くことがあります。
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つまり、「火垂るの墓」に於ける清太と節子の死は、社会的な孤立死であり、これは現在に通ずる問題なのである、と言うのが私の結論です。
そして高畑監督がこんな話をマンガ映画化(敢えてアニメとは言わない)したのは、4歳で亡くなった節子が、短く幸薄い「生」をいかに活き活きと生きたかを活写したかったがためと思います。
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因みに、
「火垂るの墓」で提起された宿題の回答が「となりの山田君」なのだと思ってます。
【追記】
この話は、敢えて清太に感情移入させない事で「戦時中にもかかわらずワガママなガキがワガママ故に自滅するサタイア」と、イジワルな受け止め方をすることも可能です。そんなところにも高畑作品ならではの奥深さを感じるのであった。
(高畑勲「火垂るの墓」について 終わり)