(続き)
インダストリアがハイハーバーを攻めた理由は特に語られていません。が、ちょっと考えると、以下のようなものと思われます。
①ダイスの反逆によりエネルギー源の供給がストップし、
②右翼のレプカが実権を掌握して軍備にエネルギーを無駄使いするから、
③エネルギー不足で社会の維持が困難になった。
(同所では住民を地下に住まわせて、養う必要があったが食料もエネルギーから合成されるのである)
で、「無ければあるところから持ってくれば良いのだ」と、植民地確保に踏み切った。
これって、第二次大戦に向かっていったニッポンと全く同じ状況ですよね。(特に経済封鎖で原油備蓄が尽きて太平洋戦争に打って出ざるを得なかっとことか)
また、”大津波”も多少ご都合主義的ではありますが、世界中(特にアメリカ)を敵に回したニッポン軍が見るも無惨に自己瓦解していていく様子を象徴しているように思います。
ついでですが、軍備を過信して侵攻してくる圧倒的な敵を、村人がゲリラ戦で一泡吹かせるところなんかも、ベトナム戦争を想起させます。
宮崎駿は本質的にマンガ映画の人です。
塚本晋也の「野火」みたいなリアルで悲惨で残虐な戦争シーンをマンガ映画にするべきではないと、宮崎さんは思うでしょう。
マンガ映画として描く戦争は、コナンでやり終えたか
らもう良い…と、それでも改めて戦争に想をとるなら、と言うことで出てきたのが「風立ちぬ」になったのだと思います。
(それでも「風立ちぬ」の”釈然としない感”は拭えないのですが…)
なので、宮崎駿が描く戦争(戦闘シーン)を見たい人は未来少年コナンを是非見ること。
なお、未来少年コナンを見るならやっぱり26話続けて見て欲しいので、よろしくお願いいたします。(←かなり無理なお願い)
追記)
「風立ちぬ」はゼロ戦の前で話が終わっているのでゼロ戦は出てきません。(夢の中にチラッと出てきますが。) ゼロ戦がどうなったかを知りたい方は鹿児島の知覧特攻平和会館に足を運ばれることをお奨めします。堀越二郎も「ゼロ戦は好きではない」と言っていたそうですが、解ると思います。
「風立ちぬ」の”釈然としない感”の正体は、反戦主義者であると同時にミリタリーマニアという、宮崎さん御自身の自己矛盾じゃないかとも思っていますがどうでしょうか?
※本稿は個人の感想であり、宮崎先生がどう考えておられるかはあまり考慮しておりません。悪しからず。
(宮崎駿と戦争について つーか、未来少年コナンはやっぱり凄かったの巻 終わり)