震災後「ポニョ」を正視出来ないという不幸 | モノゴトをオモシロくスルドく見る方法「かふてつの方丈記 」

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How to look everythings essentially
or
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先ほどNHKで「あの日 わたしは~証言記録 東日本大震災~」が放送されていました。(毎日やってるけど)

 

その中で、東日本大震災から5年経過して、その記憶をみんなが忘れかかっている、或いは忘れたがっている、と証言している人が居ました。

 

で、思ったのですが、

 

あの震災を経験して以降、私は「ポニョ」を正視出来なくなってしまいました。

 

私自身はその時東京に居たので、会社から帰れなくなった程度しか直接の経験は無いのですが、津波が街を飲み込み流し去り、多くの人命が失われてしまった事実を、TVを通じてではありますが繰り返し見てしまいました。

また、震災に直接見舞われた人が福一原発事故も含め、如何なる目に遭ったのか、それから5年の間に如何に大変なご苦労をされたか、5年を経た現在でもご苦労をされていることもTVを通じて目にしています。

 

「ポニョ」には潮位上昇により海に沈んだ町のシーンが出てきます。

(ポニョの悪戯により月が接近してきて潮力が強まったためとは説明されているけど)

 

また、波の上をポニョが走ってくるシーンは、津波じゃないのかも知れないけど、震災を経験した後ではどう見ても津波に見える。

 

なので、今の私は「ポニョ」のこれらのシーンを正視できない。

ファンタジーと割り切っても正視できないのです。

現実にそれが起こるとどうなるかを見てしまったから。

 

東日本大震災により様々な不幸が生じましたが、”「ポニョ」を正視出来なくなった”というのも、震災による不幸の一つのあり方だと思います。

 

また、(ファンタジーに比して)「現実」と言う物の恐ろしさを改めて思い知らされた想いがするのです。