これまでこのブログにて「バカ」についていくつか論じてきました。
(このブログのテーマは「バカ」だったのか!? ←違うから誤解しないで欲しい)
「バカ」にも「良いバカ」、「悪いバカ」がある事を記述してきました。
「良いバカ」とは、赤塚不二夫の世界に登場するような「愛すべきバカ」たちです。
ジャージャービンクスなんかも、バカで皆に嫌われてるけど、肯定的に評価しました。
「悪いバカ」とは、特段の考えも無く戦争に荷担してしまったような「思考停止したバカ」や、高橋是清に銃口を向けたバカのような「バカな思想に染まっちゃったバカ」などです。モンティパイソンも知らずにオリンピック閉会式を中継してしまうNHKアナウンサーなんかは極悪の極致にいる「悪いバカ」だと、(個人的には)私は言いたい。
一方で「バカ」ではあるけど「良い」「悪い」を簡単に決めつけてしまうのは憚られる「バカのあり方」もあります。
# 具体的には特攻で命を散らした太平洋戦争末期の青年達です。 #
「特攻」は今となって見れば「バカな行為」であったことは明白だと思います。
成功率は11%程度だったしで、成功したとしても敵に与えたダメージは高がしれた物で、こんな行為に命(及び戦力としての航空機)を掛けてしまうのは、やっぱり「バカ」だと思う。
しかし、「きけ わだつみのこえ」なんかを読むと特攻に身を挺した青年ひとりひとりは決して「バカ」では無かった事が判ります。鹿児島の知覧特攻平和会館なんかに行くと、ますます皆「バカ」では無かった事を実感します。
こんな、「一人一人は決してバカでは無い」のに、特攻という「バカな行為」に至ってしまう状況をどう表現すれば良いのか・・・・
と、考えあぐねていたところ、浮かんで来たのがこんなコトバです。
『切ないバカ』
これを「バカ」の第三のカテゴリー(BAKA of the Third Kind 【注】) としたいと思います。
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【注】
「未知との遭遇」の原題を意識している事に気づいて貰えるヒトがいたら、ちょっと嬉しい。