最終日は「ワット・アルン」へ行くことにする。三島由紀夫の「暁寺」で有名な場所だ。
朝のカオサンは閑散とし静かだ。
しばらく歩きていると途中、中年男性が英語で話しかけてきた。
おじさんは「あんた日本人か?地図を見せてくれ」と言う。
「君はどこに向かってるんだ?ワット・アルン?あっちだぞ」
と向かってる方向と違う方向を指差し
「連れてってやるから俺について来い」と言う。
ワット・アルンへはなんとなくの感覚で向かっており、多少ルートが間違っていようが構わないと思っていたので、
「サンキュー」だけ言い振り切った。おじさんは「待て!そっちは違うぞ!」と叫ぶ。
そのまましばらく進む・・・目の前にワット・ポーが見えた。
「合ってるやん!!![]()
![]()
」(ワット・ポーとワット・アルンはすぐ隣)
あのおやじ、俺を騙して悪徳な店でも連れて行こうとしてたのか
。危ないところだった。と改めて気を引き締めた。
ワット・アルンはチャオプラヤー川の対岸にあり、舟で渡る。3バーツ(だったと思う)払い舟に乗ると、
日本人ばかりだ。さすが有名な場所である。川を挟んでのワット・アルンはとても美しい。
川は50mほどの幅ですぐ対岸に着く。
とても清掃がいき届いており、神聖なオーラが漂っている。
ワット・アルンはトンブリー王朝の寺院で造りはヒンドゥー教の聖地カイサーラ山をイメージして造られたらしい。高さは70m、神様の乗り物エラワン象や、インドラの神の像もある。塔の急な階段を登るとチャオプラヤ川越しに王宮やバンコクの街が一望できた。
滝川クリステル似のフランス人、ララア似のインド少女、関西弁の双子。写真を撮りあった。こうゆうコミュニケーションはとてもおもしろい。
船乗り場で看板を見ているとおばちゃんが話しかけてくる。
「舟乗りたいの?うちは細い水路を案内する舟あるよ」
値段は800バーツだと言う。
一瞬で高いと感じ
「ベリーエクスペンシブ ディスカウント
」
600バーツにしろと伝えると
おばちゃんは650までしか下がらないと言う。
…650で手を打った。
少し歩き舟に乗り込むと自分一人しか居ない、座っていると舟にエンジンがかかる。
「俺、一人なん?!?!?
」
舟は俺とおじさんの二人きり。どんどん細い水路へと入って行く。
「・・・これヤバいんちゃうん・・・![]()
」
最悪の場合に備え、財布の一万円と1000バーツを靴下の中にそっと分けた。
無一文にはならないようにだ。
川沿いには家が建ち並ぶ。川に杭を打ち家を建てているが、杭が腐食し傾いている家も多い。壁がなく中が丸見えの家がほとんどだ。日本との生活レベルの違いをここでも感じた。
ガイドブックを開くと、舟の相場が書いてあり、我が目を疑った!
「舟はチャーターしても上限300バーツ???」
支払ったのは650バーツ。ボラレた・・・![]()
。しかもこの怪しい舟でである。
益々警戒心を強くした。
もし人気のない所に連れて行かれ拳銃でも向けられたらアウトだ。
その気配があれば川に飛び込んで逃げることも考えた。
しばらく進むと案の定
多くの舟が集まってきた。売り子の舟で「買え!買え!」としつこい。
「ノー!!
」とだけ言い放つ。ここで物を買うと、
鴨が葱を背負って、自ら鍋に入るのと同じ行為である。
ここでは「このツーリストは金持ってないし、頑固そうで厄介だ」と思わせるようにした。
勧誘は15分ほど続くが断固「ノー!!
」で通した。
しばらくするとチャオプラヤー川に出て、カオサン近くの岸で下ろしてくれた。
あそこでもし買い物をしていれば第2・第3の勧誘があったのだろうか・・・
船代は高い買い物だったがいい勉強にはなった。
フライトが22時だったので、夕方までカオサンの屋台風カフェでビール・タイ料理に舌鼓して過ごし、
翌6時に無事帰国する。
タイはみな生きていくのに必死で、物はないが精神的なつながりは強く、日本の昭和30年代にタイムスリップしたような感覚だった。
人と人と、隣近所の助け合いで支え合っている時代なのだろう。
カオサンはパワフルな町で戦後直下のドヤ街のようだった。