今朝、我が家の花壇にチューリップ🌷の花が健気に咲きました。
花の「生存」は短いですが、来年も球根から開花します。球根さえ永久に生きていれば、毎年繰り返し開花します。その意味では、花の「生命」は短くありません。むしろ、人の「生命」より長いと言えます。勿論、新型コロナにも感染しません。
「チューリップを観て想う花心」
「生命」とは?
健常に日々を生きる人々にとり、無認識の二文字であます。
しかし、「生存」は、永久不滅でない事を今改めて再認識させられます。
新型コロナで天国に旅立たれた無名多数の方々、志村けんさんは、生きたくても生きられなかった
のであります。
病魔に突然、「生命」を奪われました。
「生命」とは?
当たり前でない現実を、今我々は、再び東日本大震災以来、目の当たりにしています。
さて、新型コロナの連日の報道から、「生命」でなく「生存」の二文字ばかりが強調され、個々人が食料品、生活必需品の買い貯めに追われて、生存競争にならない事を危惧します。
勿論、「生存」とは、その意味で例えれば、チューリップの「花」であり、重要な二文字であります。
そして、「生命」の二文字は、その意味で例えれば、チューリップの「球根」であり、最重要な二文字であります。
しかし、「球根」には、「水」が必要です。
では、人の「生命」.に何が必要でしょうか?
それは、「心」です。
人は、この世に出生して爾来、唯我一人生きているようで、実は親を初め己以外の人様に一人生かされています。
生かされている事に感謝する「心」が必要です。
人が、感謝の念を持ってこそ、己以外の家族、友人、他人と相身互いに共存共栄していけると言えます。
新型コロナは、難病であります。
先ずは、感染予防を徹底することが大事ですが、実社会生活では、相身互いの精神を心懸け、不要不急で感染拡大予防を徹底することも車の両輪のように大事であると実感します。