旧 武蔵国豊島郡練馬石神井
現 東京都練馬区
何故、いにしえは、豊島郡であったのか?

15世紀後半、戦国時代初期の文明年間に、武将太田道灌との江古田沼袋の戦いに敗れた桓武平氏末裔の平塚城主豊島泰明は弟泰経の石神井城(現在の東京都練馬区石神井町所在の三宝池石神井公園)に撤退挽回を期するも落城。照姫は、泰明と共に三宝池に入水。姫塚殿塚の遺跡が現存します。

弟泰経は、兄泰明の計らいで相模国小机城(現在の神奈川県横浜市港北区小机町所在の平山城趾)へ落ち延びました。
下って、17世紀、江戸時代には豊島氏一族や遺臣は、帰農して練馬石神井の大地を開拓開墾しました。沢庵上人の教示による健康食材大根栽培と沢庵漬けが普及し、有名な「練馬大根」が、令和元年の今日まで伝承されています。
練馬農業は、先祖伝来の偉大な世界遺産です。
写真は、立派な練馬大根と、取り分けて希少な練馬赤大根です。赤大根は、何故、赤色なのでしょうか?

初夏、東京練馬の石神井公園で「照姫祭」が開催され武者行列が練り歩きます。