多様性という名の逃げ道… | ひでっちのブログ

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カバン屋のオヤジです。仕事関係もですが、旅行や食事など、個人的な趣味趣向を中心に感じた事をとりとめもなく書いていきます。

先日、友人と食事をしていた時の事だが、彼の娘さんの話を聞かされた。

娘さんから「友達が学校に来たくない。」と相談され、「どうして?」と聞いても理由は話さずに「今って学校に行かなくてもテレビに出てる人だっていっぱいいるし…。」と言われたそうだ。

評論家なども、必ずしも行きたくない子どもを学校に行かせる必要がないとか、ある意味無責任な発言をメディアでする為、子供たちがそれを鵜呑みにしている可能性もある。

子どもには様々な可能性があるとか、きれいごとを並べているが、それって基本的な事の上に積み上げてこそ光るものではないのだろうか?

娘さんの友人は、学校に行かなくても成功した方をイメージしているようだが、学校に行かないで大失敗している人だって大勢いる事はイメージできているのだろうか?

どちらが正解かなどという回答を私も持ち合わせてはいないが、もし同様の相談を子どもから受ける事があれば考え方をしっかりと聞いたうえでおそらくはこう答えるだろう、「義務教育と高校生活で、人間関係と社会性を学んでみたらどうか。もちろん勉強もだが…。その後はあなたがやりたい事があれば自由にしたら良いと思う。今の日本では18歳になれば成人扱いになったのだから。ただし、反社会的な活動をする場合は全力で止めるよ。」。

私の中に正解がない以上、これ以上の事は言えるとは思えない。

ただ、メディアや評論家には、様々な可能性(多様性)を考えさせてくれるのは良いが、無責任に何でもありのような事を簡単に言わないでもらいたいのだ。

社会には多様性を信じ、大成功した人もいれば、そうでない人も少なからずいるはずなのだから。