先日は10回目の3・11だった。
10回目が巡ってきただけであったが、節目だとか区切りだとかと何かが変わったわけでもないのに、TVに新聞に雑誌にと騒がしかった。
そう云う私自身も喜寿をむかえたこともあり、人生の「節目」と絡めて「区切り」として振り返ったりもした。(飯舘村でのイヌとネコのレスキュー | aihamalteseのブログ (ameblo.jp)
騒がしい仲間入りか、私ごときも雑誌のインタビューを受けて、2月には刊行されて店頭にあった(雑誌「これでいいのか福島県」)
しかしそれも過ぎてしまえば報道は一気に減り(無くなり)、今も4万人以上の避難者がいることも、毎日150トンの放射能汚染水が発生していることも、除染後の汚染土が再利用されることも、それこそ潮が引いたように忘れ去られてしまう。10回目が過ぎただけで事故は終わったわけではないのだから、報道としては「思慮深く」なければと思う。そして福島の教訓からいち早く脱原発に舵を切ったドイツなど世界の動向を、世論を、リードするべきではないか。そんなことを考えるある出来事があった。
8年前の2013年6月14日に飯舘村に残された犬猫のレスキュー活動について「週刊文春」さんの取材を受けた。内容は、知る人ぞ知る著名なライターさんとカメラマンさんとの飯舘村同行とインタビューだった。それはその年の8月8日号の巻末グラビアページに3頁の記事となり掲載された。
この記事も原発事故で放射能に汚染され、全村避難している福島で起きている過酷な状況を訴える力になった。その当時は、福島はまだニュースバリューとしては「旬」だったかもしれないが、広く現実を知ってもらうには大事な機会であり、取り上げていただきありがたかった。
神戸に戻って1年以上が過ぎたこの3月15日、8年の時を経て再び「週刊文春」さんのインタビューを受けた。我が家にお迎えしたのは8年前と同じお二人だった。わざわざの来神だった。
3・11が終わったこの時期に、飯舘村での活動もやめている私をフォローされて、どういう意図があるのだろう?週刊誌での3・11関連の記事は、もうその時期を過ぎてしまっているので、キャンペーンではなさそうである。
3・11が過ぎれば、例年のように報道も少なくなり、震災はともかくとして、原発事故については世の中から忘れ去られ、なかったことにされるのがこの間の動きだった。だからこそ今の「静かな」時期に、原発事故絡みでの諸活動をしている(いた)人物の生き様を伝えることに意義があるのではと推敲して今回のインタビュー企画となった・・・。きっとそうだろうと勝手に思った。さすが数々のスクープをモノにしている「週刊文春」さんだ。刹那に終わらせない取材力を感じる。
さて、どんな読み物になるのか、はたまたボツになるのか、どっちにしても記事が楽しみだ😊(予定は4月中の刊行らしい)
<資料>
「これでいいのか福島県」マイクロマガジン社