ところが深夜零時過ぎ、ぐっすり寝ていた私の耳元で、「あい」のゲロゲロの音が。目が覚めた。
その後は一時間おきにいつものようにゲロゲロ・・・、朝までに三回もどした。出発が大幅に遅れ、出だしから計画は無理が見え見え、昨日の休みが悔やまれた。
それでも山木屋交差点の給餌場を手始めに、順調に比曽を廻っていた。比曽坂下のお宅から、中比曽のワンニャンのお宅、ビビリワンコのお宅、一人ニャンコのお宅、傷ニャンコのお宅、そして下比曽に行って、左右餌場のお宅・・・。
ところが、♡の尻尾のニャンコ(名前はマメ)お宅で大誤算。1時間以上留まることに。(注意:この後にちょっと厳しい画像があります)
(山木屋交差点の餌場。給餌するとすぐに現われた)
(比曽坂下のお宅の餌場:一昨日の餌は残っていた。ウエットを置く)
(ビビリワンコ)
(傷ニャンコのお宅。玄関左側と前の小屋の高所とに餌場あり)
(下比曽のニャンコ宅。お母さん帰宅中で野菜を収穫されていた)
♡の尻尾のマメのお宅。お父さんが帰宅中だった。家の前には給餌BOXが転がっていた。お父さんが『「まーみ」が入ってる。退治しなあかん、いいとこに来た手伝ってくれ』。私は初めて見る動物だった。タヌキとも違う、キツネとも違う、ハクビシンでもない。BOX内のドライフードをいっぱい食べて出られなくなっていて暴れていたのだろう、BOXごとひっくり返っていたところを、運悪くお父さんが帰ってきて、さらにタイミグ悪く私が訪れたというわけである。
「まーみ」とは正式名ではなさそうだ。調べたが分からない。しかしお父さんは「山の動物で最悪で田畑を荒らし農家は痛めつけられている」という。「放してあげませんか?」と云う私の言葉は馬耳東風、これまでの生活の体験からその処分を決めている。しかたなく退治のお手伝いをする羽目に。お父さんはハンマーと鉄棒で撲殺しようと一生懸命、私は鉄棒で動物の口を押える役割。可哀そうだった。今も「キーキー」「キーキー」と甲高い鳴き声が耳についている。お父さんは何事もなかったかのようにBOXを洗っていた。そして役場に持っていくからと亡骸を袋に入れました。
この間1時間以上かかった。一段落した後、冬は帰ってこれるか聞いた。松川の仮設住宅には軍治さんと同じなので週に2回ほど車に乗せてもらって通うとのことだった。マメもそれなら大丈夫だろう。お互いの連絡先を交換した。
計画はもうめちゃくちゃなので再考して、久保曽、割木から小宮と蕨平の厳しそうなところを廻って、家にほったらかしてきた「あい」のこともあり、急ぎ働きをして帰宅することにした。
ところがここでもまた予想外のことが・・・。(このあとも悲しい画像があります)
(久保曽のニャンコ:TNR)
(仮餌場に来たニャンコと家人からのメッセージ)
(初めて訪れた長泥との境界に近いお宅の老犬。放し飼いだった)
(小宮から蕨平への道で出会ったニャンコ。前回も同じ場所で出会い道端給餌した)
(蕨平の「栗の碑」バス停のニャンコ。今日も待っていた)
風兼ダム近くのワンニャンのお宅。17日に犬舎をプレゼントしたがその後の状況確認のためとニャンコの飢えが気になり寄った。
犬舎は充分に有効利用されていた。ただニャンコは今日も飢えていた。パウチをいっぱい食べていた。
ワンコの水を換えに水道のある場所に行くときに、悲しい光景に出会った。バスタブが放置してあったがその中で子猫が水死していた。
引き上げて毛布にくるみ庭に埋めた。その事をメモにして家人にわたるようにした。
帰りの山道で鳴きながら寄ってきたニャンコ。ガリガリであった。
帰路に寄った小宮の老犬。庭にいた。犬舎の前に「さや」とニャンコ用パウチを用意した。ニャンコが出てきて食べ始めたので、ニャンコ用を急きょ用意、初めて見る子猫だった。老犬も寄ってきて二人仲良く食事しだした。その姿を見ながら帰路を急いだ。
今日は、何とも云いようのない気分です。辛い日でした。
「あい」は留守中にも二回「ゲロゲロ」。その痕跡が居間に残っていた。しかし晩御飯を軽く食べたから回復だろう。それもいつものパターン。