この連休は、多くのボラさんが飯舘に入って、給餌、保護、TNRなどに奔走されたことでしょうねえ。今年一番の猛暑の中、本当にお疲れ様です。
私は、最初のうちは、神戸からは後方支援なら出来ることだと思って、シェルターさんや個人ボラさんを支援していました。
しかし、現地に入るボラさんの不足を聞き、止むに止まれずめちゃめちゃ非効率だけど現地に行くことにしました。それは先輩ボラさんのご指導があったからできたのですが、これまで6回の飯舘村入りをして給餌活動をしてきました。
神戸からはいかにも遠いです。新幹線、レンタカー、現地調達のパターンで飯舘村内を這いずり回ってきました。一回の飯舘行動には、諭吉さんが10人お足が生えて飛んでお行きになります。
飯舘など原発避難地域の再生は長期の課題です。放射能の常識からすれば、政府の言う数年などと言うことはまやかしだと思います。
長く原発事故・放射能と取り組んでいるチェルノブイリの実態を見れば明らかです。
チェルノブイリは、事故後26年たちました。30㎞以内は居住禁止、北東350㎞範囲内のホットスポットと言われる高濃度地域では農業・畜産業が禁止されて、500以上の町や村が地図上から消えたそうです。小児・思春期甲状腺がんの発生も深刻さを増しているのです。http://www.cher9.to/jiko.html
飯舘の支援は長期戦です。私はもう古希に手が届こうとしています。しかし幸いなことに健康体のようです。まだお役にたてられそうですから、朽ち果てるまで努力したいと思っています。
長期戦にはそれなりの構えが要ります。そのために、人生の全てと言っても過言ではない45年間の神戸での人生を終えて、福島に移住することにしました。
この連休は、いつ行っても飢えているあのワンコのこと、道端で出会ったあのニャンコのことに胸を痛めながら、家探しに専念して福島を歩き廻っていました。結果、東北自動車道郡山南インターの近くに移住することに決めました。
一ヶ月後に引っ越しができるように、諸般の整理と区切りと切り捨てをしないといけません。難題が山盛りです。でも「成せばなる」です。
引っ越しした暁には、ボラのみなさんのオアシスとしても利用していただければ嬉しいですね。住所・地図など詳細は、引っ越してからお知らせする予定です。