窓の外は

 

まだ暗い中、午前一時を表示する。

起き掛けに、自室を見渡すと、時計が目に入る。

 

しばらく天井を仰ぎ、体を起こす。

階下へ水を補給し、また二階の自室に戻る。

 

再起動のあと、そのままに放置したパソコンを思い出し、早朝に起動。

 

するといきなり、見慣れない画面が。

「Spotify」

 

しばらく、音楽に浸る。

めったに利用しないソフトだが、今回は一時間ほど聴く。

 

勝手気ままに流れるままにすると、時々、懐かしいメロディーに出会う。

 

どこかで聞いた「マホガニーのテーマ」

ふと思い出そうと記憶をたどる。

 

終了後に、また聞きなれた竹内まりやさんの声がして、我に返る。、

 

一昨日に電報が届き、友からと分かり、ほっとした。

手紙の返事で、数日前に投函したばかりだった。

 

さっそく、急ぎ折り返しの下書きに取り掛かる。

少し気がかりの文面に、考えてみてもいいアイデアは浮かばない。

 

ここは、素直に正直に書くのが良いと勝手に思い、書き出してみた。

 

中頃まで書き記したところで、見直して見ると、何だか気が騒ぐ。

 

全面的に書き直すことに決め、まっさらな気持ちで書こうと決めた。

 

<今日の良い出来事>

フランク永井、大橋純子、菊池桃子さんと、立て続けに聴いた。

違和感を抱く顔面神経を忘れて、しばし、楽しめた。

今日の出だしは、まあまあと朝食の支度に取り掛かる。

 

記憶ははかなく

 

薄っすらと影に寄り添う。

 

高齢化は、囲碁棋士も例外ではない。

もちろん、競技人口は少なくない。

 

NHK杯も、すでに70回を超えた。

昭和の初期に始まった中継は、ラジオからテレビに変わり、古い歴史を物語っている。

 

杉内寿子八段、朝刊一面に写真付きで掲載され、最年長対局で97歳だった。

 

新聞報道によると、杉内八段の夫、杉内雅男九段の記録を僅かに超える記録になった。

 

「この日を迎えることができて、感無量でございます。ファンの方には、いつも応援していただいてありがとうございます。これからも目の前の一局一局を大事にしてまいります」

 

とコメントした。

 

杉内八段は1942年にプロ入りし、女流名人4連覇などの実績がある。

 

その杉内さんの姉妹である、故本田幸子八段、楠光子八段(84)も、そろって囲碁棋士として活躍している。

 

50年程前、入院経験したころ、はじめて囲碁を学び、それ以来、たまにネットなどで対局を楽しでいた。

 

最初に指導してもらった人が、当時の婦長さんで、仕事の合間といっても時間外のとき、いろいろと遊びを教えていただいた。

 

麻雀もそのひとつで、しかし、花札はじめ、ゲームの成績は

ほとんど負け越しが多く、いまだにその癖はなおっていない。

 

そうそう、パチンコも患者に誘われ、はじめての経験をしたが、あっという間に球は手元から消えてしまい、楽しむ間もなかった。

苦い思い出も、今では記憶の中からあらわれては、懐かしんでいる。

 

将棋、囲碁も、NHK杯をよく見ては、解説を聞いて、そんな手があったのかと感心していた。

 

当時の棋士は、今でも覚えている。

その中に、杉内さんご夫婦が記憶されている。

 

将棋の大山、中原はじめ、様々なエピソードがうかんでくる。

 

将棋、囲碁とも、初段を目指したが、いまだ達成できず、ただ、テレビの前で一手一手の意味を追っては、うなずいたり、たまに羽生マジックのような手に驚く、シロウト名人と

悦にいっている。

とうてい、AIや棋士には及ばないと、人間の脳の不思議、離れ技に、驚嘆するただの人間として生きている。

 

ところで、藤井聡太、羽生善治、井山裕太、一力遼、各人の脳をのぞいてみたら、何が出てくるか興味は尽きない。

 

<今日の良い出来事>

月を観察している。

買い物の行き帰り、外出時の余裕のある時など、空を見上げている。

先日は、見えなかった日の翌日に、やっとの思いでみつけた。

半月に近く、まだ細い三日月の姿をしていた。

かすかな光、まるで透けるような白色を、辛うじて発見できた。

幸運と言えば言える。

しかし、決して偶然とは思えなくなってくる。

やはり必然、神のみぞ知る。

 

 

 

 

普段、自然と眠くなるはずが

 

「ラジオ深夜便」を聞いている。

「思い出のスクリーンミュージック 映画の中に降る雪」

夜も更け、覚醒レベルは高値で停滞し、いつになっても寝付けない。

 

音の強弱、高低、流れが美しく、感性を揺り動かす音楽が、

私のこの上ない友で、傍らで楽しませてくれる。

深夜便はじめ、幾つもの番組に聞き入っては、極上の時間をいただいた。

 

AM、FMも、時には薄っすらと眼を潤す、カタルシスとなって、こころに迫り静かに通り過ぎて行った。

気取った表現だが、自分にはこれが恩恵にたいする感謝だ。

 

小学生の頃、同級生にアマチュア無線の愛好家がいた。

それにつられ、いつの間にかラジオに興じるようになった。

 

やがて、歌謡曲や、当時はやっていた洋曲に、楽しみを見出した。

 

「アイドルを探せ」、「砂に書いたラヴレター」、「青いカナリヤ」、「第三の男」、「いとしのクレメンタイン」、「テネシーワルツ」、「ひまわり」、「この胸のときめきを」、「ミスター・ベース・マン」、「ムーン・リヴァー」、「シャレード」、「10番街の殺人」、「スター・ダスト」と数えれば十指を軽く超えてしまう。

 

いずれもラジオから流れてきた曲で、おかげでオールディーズはじめ、映画やテレビドラマの一シーンが目に浮かぶように、からだに沁みついてしまった。

 

エレキサウンドも懐かしく、思い出される。

 

聞くところによると、竹内まりやさんも、お若いころ、ラジオでよく洋曲を聞いて育ち、後の曲作りに大いに影響を受けたとおっしゃっていた。

 

半世紀ほど前には、アイドルという言葉が登場し、日本も海外も、熱狂的ファンもいたようです。

そういう私も、ビートルズファンには負けますが、少しばかり夢中になって歌詞やメロディーを覚えた記憶があります。

 

形容詞を付けて表現しましたが、ここはご勘弁を。

年甲斐もないと言われそうで、それをかわすためだ。

 

思い出すと、いくらでもと言っても有限ですが、懐かしさにあふれる。

 

レコードも、その頃初めて購入し、今でも大事に取ってあります。

 

プレーヤーも、今ではCD再生機にとってかわり、ステレオで聞いた当時が懐かしく思い出されます。

 

すでに処分してしまいましたが、あの音はもう聞けないのかと、さびしい思いです。

過去を懐かしむ、記憶を読みがえらせ、歌も歌えば認知症予防になるとも言います。

 

しっかりと歌詞を間違えず歌える曲もあり、青春の証が蘇ります。

 

名司会も聞こえてきそうです。

 

そろそろお暇時です。

では、私も司会者に倣って、「ごきげんよう」。

 

<今日の良い出来事>.

図書館に予約していた本が届き、読んでいる。

二週間では圧倒的に足りないが、時間を作っては楽しんでいる。

最近は、「バイアスの心理学」に関心があり、雑誌などの特集に注目し、借りてきては繰り返し延長して、少しずつ読んでいる。

無料で読めるのは、大変助かる。

分厚い高価な本も、タダで読めるしありがたい。

また、放送大学では、テレビ、ラジオでの授業もタダで視聴でき、本当にありがたく、しかも入学試験など不要で利用できる。

今日の生涯学習には、もってこいの優れもので、これも社会貢献になっている。

利用しない手はない。

皆さんも、一度視聴してみればいかがでしょう。

ただし、テキスト代がやや高めなのが難点。

しかし、内容はよくまとまって、どちらかというと分かりやすく、これも助かる。

あとは、コツコツと勉学に励むことだ。

挫折しても再挑戦もできる。

あとは、やる気と根気。

ご健闘を

朝からゴソゴソと

 

昨日は、朝から気分がすぐれず、何をやってもうまくいかない。

起床してすぐ、パラパラと本を見るも、サッパリ。

頭はまだ眠った状態、ちっとも頭に入らない。

 

真っ先に浮かんだのは気分転換、さっそく体操まがいの運動をはじめた。

 

多少は、改善したか。

 

そこで今度は、過去にうまくいった例を思い出し、できるだけの資料を集めてみた。

 

ざっとこんなものだ。

「文藝春秋」(今年の新年特大号)

「きみは変われる、夢をもって世界に羽ばたこう(廣田和子著)

「User's Voice、人間の思考は無限大」

「My Personal Planner 2014」(井上久美著)

「WRAP、元気回復プラン」

「今日が人生最後の日だと思って生きなさい」(小沢竹俊著)

「たたかわない生き方」(大下容子著)

「小平邦彦、人と数学」(日本数学会編)

 

集めに集めたものだ。

最後の本は、今図書館から借りて読んでいるもので、人に関心があり、昔、高校生の時に読んだ雑誌に載っていたのが、まさに小平氏だった。

 

ただ集めただけでは、単なるコレクターになってしまう。

それぞれを手に取り、有効に利用するかは自分次第。

 

そこで、一番バッターとして、「文藝春秋」に所収の、「朝起きた時に、その日の小さな目標を決める、カタリン・カリコ」、執筆者は生化学者でノーベル賞受賞者です。

 

今日の自分の小さな目標とは

「姿勢を正す」

最近、腰が曲がり、背中は丸まり、気になっている。

腰痛はするし、たまに困っては背伸びして何とか凌いでいる。

もうひとつ、からだだけでなく、「姿勢」つまり生き方も正す、これまでの生き方の総ざらい、何分、今までが迷惑のかけっぱなし、これでは先は地獄行きともなりそうで、ご免被りたい。

無理して天国とは言わないが、身の丈に合った分でよいので、あとは天の裁判官にお任せして、公正な判断を望むだけだ。

 

ただし、冤罪はご免だ。

 

自室は暖房なしで凌いでいたが、やっと姉の提案でコタツの恩恵にあずかっている。

やれやれ、これで今年の冬は何とか快適に過ごせそう。

 

拷問からの解放

 

手がかじかみ、からだは震え、零下の冷凍庫の中にいたようだった。

 

ネットに注意してると、急に「バレンタインデー」という言葉が目に入り、今日はそんな日かと、少しむかしを思い出して感慨にふけった。

 

チョコレートなど、自分で自分に買い与え、或いは姉に頂いた記憶しかない。

しかし、思い出や思いは、今現在でもいっぱい抱えている。

 

夢中になって、何かに打ち込むことはないが、密かな夢、目標、平和やしあわせの希求は、人一倍持っている。

 

<今日の良い出来事>

前々から処分しようと思っていた、三面鏡、運よくリサイクル業者から電話があり、引き取ってもらうことにした。

しかし、目の前で査定してもらうと、タダ同然となった。,

やむおえず、自治体の粗大ごみにして出すことにした。

処分費用、1000円。

今の時代、ゴミを処分するのもタダではない。,

コストがかるのだ。

何事にも金がついてくる世の中。

はたして、しあわせな世界と言えるのか、疑問を感じつつ、きょうも経済活動に必然的に参加することになる。

今は、平和だけでもありがたい。

この奇跡を維持し、この世が万人に等しいく恩恵が行き渡ることを願いたい。

昨年はドタバタと、過ぎ去る

 

あちこち出かけたり、調べもの、結果は芳しくなかった。

 

しかし、自分の思いを最優先にしてよいものかとの疑問にとりつかれる。

 

疑問だらけで過ぎた、昨年だった。

しかし、この問いは、果たして正解があるのかとも思う。

 

迷うことも、実際、必要な時もあると思う。

 

今年は、その占い時、或いはズバリ正解にたどり着く好機、しかし、疑問に果てはない。

 

いつしか、晴ればれとした天気に巡り合えたらと、こころ細く思う。

 

<今日の良い出来事>

昨年は紅白、ご来光は諦め、計画的に年末年始を過ごすはずだった。

実際は、大幅に変更を迫られ、深夜まであれこれと過ごした。

紅白の結果は知らず、富士山の日の出も知らない。

しかし、年明けに知人あてにお詫びのメールを書き、どうにか新年は始まった。

今年こそ、何らかの結果に期待したい。

ところで、忘れ物があった。

年賀状だ。

さっそく、取り掛かろう。