このタイトルですが、これは1932年、物理学者アインシュタインが国際連盟機関から依頼され心理学者フロイトに宛てて書いた書簡と、フロイトがその問いに応えて書いた往復書簡の本です。実に、現在いま世界で起こっている出来事に一矢を投じる内容でしたので此処に披露したかったのです。アインシュタインがこの命題を取り上げたのは、彼が心ならずも平和主義者でありながら、「いつの時代にも戦争を避けられないのはどうしてか?」という疑問を物理学者では手に負えないのでこれを心理学者のフロイトに投げかけたのです。フロイトは心理学者らしく、人間に本能的に備わる「生の欲動」と「死の欲動」という二つの相反する概念を持ち出しました。つまり、「生の欲動」は、生を統一し、保存しようとする欲動のこと、これはエロス的欲動とも言います。また、「死の欲動」は、破壊し、殺害しようとする欲動のことです。日常生活に見られるおびただしい限りの残虐行為をみれば人間の心にとてつもない強い破壊欲動があることがわかります。こういったことへの解決策を二つ例をあげて述べています。一つは、「人間がすぐに戦火を交えてしまうのが破壊欲動のなせる業だとしたら、その反対のエロス欲動を呼び覚ませばよい」という。つまり、エロス欲動の現れ、これは人間の間の「感情の絆」だから、これをつくり出すのがいいと言うのです。彼はこれを恋愛に限ることなく隣人とのつながり合うこと、対話することと捉えています。

そして、二つ目は「一体感や帰属意識」を掲げます。すなわち「同一化」のことで、「相手の感情や行動を取り入れ、相手の身になって考えられるようになること」を意味します。相手の文化や背景を理解することが重要なポイントになると言います。一般的に文化的に洗練されていない人ほど差別主義になりやすいということです。

異文化を理解することは、文化の多様性を理解することであり、この「文化力」を強調しました。結論に近づきつつありますが、彼はこの「文化力」に着目しました。「人間は欲動から自由になれないけれど、文化を獲得することで、知性の力が強くなり、そうした欲動がコントロールされるようになっていく。その結果、攻撃の欲動は内面に向かうようになります」と。最後にこう言いました。

 「文化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩み出すことができる!」と。

早計ですが、ここでこの本のタイトルに書かれた内容を終えます。 果たして皆さんにどれくらい真意が伝わったか疑問なのですが、今のこの地球は一つです。この地球に住む人間が角付き合って破壊活動に終始すれば、地球は消滅します。お互いの気持ちを察し得るのが人間の智慧ではないでしょうか。これからも私たちは人類の平和への道を一人一人さぐって行かなければなりません。                   

前作『医の旅路はるか』に続く第2弾の新刊本『医の旅路るてん』本が今月11月28日(土)に発売されます。
 近代医学に繋がる「仁愛」を基本にした李朱医学を高らかに唱え、室町時代後半から戦国時代に掛けて、信長・秀吉・家康の天下取りと交わり、京都においては医学塾をひらき、多くの門下生を育てた名医”曲直瀬道三と養嗣子曲直瀬玄朔”の物語りです。
 前半は、道三を中心に描きましたが、後半は玄朔の前途多難な人生行路を描きました。歴史を踏まえて、分かりやすく読みごたえのある長編小説に仕上げましたので、ぜひご購読いただければ幸いです。

<マララさんの演説に感動>

マララさんのニュヨーク国連演説でのニュースが報じられた。彼女の演説には、信念に裏打ちされた16歳の少女とは思えない力強さがあった。

 思えば、タリバン支配下の惨状を世界に告発したため、昨年10月下校中に襲われて銃撃弾を頭に打たれたのだった。しかし、その後の頭蓋骨修復手術を受けて奇跡的に回復し戻ってきた。その彼女が、2013年7月12日、おりしも自分の誕生日のその日に「この日は私だけの日ではない。教育の権利を訴えるすべての子どもたちの日だ」「すべての政府は無償の義務教育を保障すべきだ」と呼びかけたのだ。

 パキスタン・スワト地区はもともと風光明媚な観光地であったと聞く。ところが、過激派組織タリバンに占領されてからは平和な町は一転し、厳格な統治が敷かれ、ムチ打ち刑を導入したり、住民の迫害や人権無視の恐怖がつづく。学校へいこうとすると脅迫されるのが現実となっていたのである。

 世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)・1948年12月10日宣言の前文には、こう書かれている。

「加盟国は、国際連合と協力して、人権及び基本的自由の普遍的な尊厳及び遵守の促進を達成することを誓約した」そして、その26条1項には

「すべて人は、教育を受ける権利を有する」と。

なお、日本国憲法の26条1項にも、同じように

「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」

という規定があるのだ。

 また、「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」の第10条にもこれらの規定があるので参照願いたい。


なにはともあれ、彼女の言うところの、

「弱さ、恐怖、絶望が死に、強さ、力、勇気が生まれた」という堂々とした語り口には愕きを隠しえない。なおかつ、そのあとに言った、

「自身を銃撃したテロリストをも赦す。彼らを憎んではいません」

の言葉からは、慈悲の心がにじみ出ているではありませんか。

                -写真は、7月13日の朝日新聞・掲載記事です。

6月30日(日)太極拳指導研修に参加
場所は、台東区にあるリバーサイドスポーツセンター体育館である。
受付時間、午後1時30分、開始が午後2時とあるが自宅を早めに出た。

地下鉄銀座線の浅草駅で降りて雷門へ行くと、大勢の人並みでいっぱいである。でも話し声を聞くとどうも日本語ではなく海外の言葉であった。中国語、ハングル語、タイ語、英語、ヒンズー語、タガログ語などさまざまである。顔をみるとそれぞれのお国柄の表情が出ているから不思議である。そして、どの国のひとたちもこの雷門の前でカメラを向けて撮っていた。おそらくお国のネットにはこの雷門の絵が載っていたのであろうか。

 その後、浅草寺へお参りをしようと中央の参道に入ったが、これも超混雑振りでまるでお祭り騒ぎのようであった。まことに日本の東京観光・浅草がクローズアップされているのかが分かる。
 私は昼食を日本蕎麦で済ませたあと隅田川に出る。目前に見えたのは現在観光スポットNo1の東京スカイツリーであった。この高さでは、どの角度からでも見えてくるから頼もしい。そのスカイツリーを横目に見ながら川面に浮かぶ屋形船に目をやる。天気がいい日は、この船からツリーを見るのも楽しいだろうな、と思いながら川べりを歩く。数十分もするとスポーツセンターが見えてきた。
 今日のイベントの太極拳指導研修の旗も立っていたので、間違いなくここで行なわれるのだと実感する。午後2時開始から4時半までの2時間半びっちりでのスケジュールをこなし、帰宅は午後6時過ぎであった。今日は本当にいい汗をかき、感謝!感謝!の一日でした。

今日は高尾山健康登山の一日でした。
標高600メートルの高尾山には山岳信仰による飯綱大権現様を祀る薬王院があります。自然林に囲まれて小鳥や山野草が豊富、大自然の宝庫となっております。フランスのミシェラン・ガイドブックに掲載されたことと東京の都心から近いところにあるというわけで、外国人を含めた多くの方々が登山に訪れます。
 今日は朝からどんよりとした空模様で、午後から雨が降ると言う予報でしたので、朝早く家を出て高尾山に向かいました。薬王院でお参りを済ませ、「高尾山健康登山の証」の手帳にご朱印のスタンプをいただきました。これは21回登ると満行になりご褒美の精進料理が戴けるという仕組み
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です。               今日でまだ今年4回目の登山。まだそのご褒美にはありつけませんでしたので、下山してから下山口にあるお蕎麦屋さんでお昼を済ませました。汗をかいたあとの「冷やしせいろ蕎麦」の美味しかったことは言うまでもありません。

                               ー今日の感想よりー

6月10日(日)千葉市立美術館「仏像半島ー美しき仏たち」展示会に行く。

千葉の友達に誘われて千葉私立美術館に仏像彫刻を見に行くことになった。はじめ、わたしは地方でのこういった仏像彫刻展はそれほど大したことはないと思っていましたが、行って見てびっくり仰天。こんなにすばらしい仏像たちがわたしを迎えてくれるとは思いもしませんでした。房総半島の各寺に保存されていた白鳳時代、平安時代、鎌倉時代の仏像たちが堂々と陳列されていたのです。材質は分かりませんが、かなり朽ちかけていたとはいえ、その古さが造形美を物語っています。このような古いものがよくもの地に残っていたかと不思議に思えたのですが、考えてみるとこの房総半島では、京や奈良、鎌倉ほどには戦乱に巻き込まれては来なかったからだとも言えます。それにしてもよくぞここまで保存されて来たかと思うと各寺の長年の保管努力に感謝せざるを得ません。

 爛々と光り輝く太陽のもと、豊饒な海と森に囲まれた房総の地でのこうした一般公開は、わたしたち見る者にとってもうれしい限りでした。


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 -今日の感想よりー

「舟を編む」の映画化がされてもなかなか行く機会が訪れず、全国ロードショーの終わりに近づいた頃、やっと見に行けた。松田優作の息子の松田龍平氏が主人公であるが、宮崎あおいとのコンビがよかった。

 ひょうひょうとして演技するのは彼の得意芸かもしれない。今NHKの朝ドラにも出場しているが同じように訳のわからぬ風貌で出てきていて、それでいて妙に存在感もある。演技力のなせる技かもしれない。

 話は飛んでしまったが、はじめ「舟を編む」という言葉が私の耳に入って来た時は、これは何のことかいなといぶかった。まさか、「糸をつむぐように舟を作ることはできないな」と思う始末であった。

「言葉の海」を渡るには舟が必要になるだろう。大海原で迷わないように羅針盤付きの的確な舟があれば遭難しないですむ。そういう海を渡るのにふさわしい辞書を作るのが、この「舟を編む」ということらしい。

改めて、知らされた思いでこの映画を見た。

 私も長編の歴史小説本(「医の旅路はるか」)を作ったことがあるので理解できるが、本が完成するまでの産みの苦しみは大変である。私の場合、本が完成するまでに3年を費やし、最終的には校正は4校までであったが、この「舟を編む」は5校まで行なっているし、しかも15年の歳月を掛けた。実際にもこういう大辞典の場合はその位は掛かっているのだろう。

 面白いのは「右」という説明だ。私も調べてみたが、広辞苑や小学館・国語大辞典などは、「南を向いた時、西に当たる方」と言ってる。明解国語辞典には「日の出るほうに向かって、南のほう」と言う。三省堂・国語辞典には「この辞典を開けたとき偶数ページのある側」と出ていた。この映画では、「体を北に向けたとき、東にあたるほう」と言わせている。

 それにしても言葉というのは時代を反映するので、新作を出しても、その後は改訂、改訂の連続で行かなければ、生きた辞典にはならないから、これまた難儀な仕事であるし、長期間掛かるという意味でも
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後継者を育てていかなければ成り立たないことがよく分かった次第である。

                                      -映画を見ての感想よりー