「悪魔の仕事だ。
だが、ほかの悪魔が先につくったらどうする?」
米国の原爆製造プロジェクトを描いた小説で語られる開発責任者のうめきは、
科学者の葛藤と苦悩を代弁する言葉なのでしょう。
そして、人間の原罪をも問いかける被爆者の声。
運命に生かされたというその命は、命の究極は鬼のような「生」への本能だったと哀咽する。
戦没者を追悼し、敗戦の教訓を胸に刻み、恒久平和を祈念するこの日が巡ってきました。
戦争を早く終結させたとして原爆投下の正当性を主張してきた米国の代表、
そして国連事務総長も、8月6日に行われた広島平和記念式典に初めて出席しました。
科学技術がはらむ二律背反生によって産み落とされた、
最悪の負の遺産を廃絶する機運は高まり、少しずつ顕在化しています。
ただ日本には、無謀な戦争に走った経緯を徹底的に検証することも必要です。
歴史と当時の背景を受け、国際情勢を甘く分析して驕りに狂い、
決定的に誤った進路を思い上がった姿勢で傲慢に選択した日本。
恐怖の致死率に達する悪魔の閃光によって、甚大な被害を受けたこの国は、
同時に加害者でもあるという事実の存在も消すことはできない。
深く反省し、その教訓をこれからの日本のありかたに反映させなければならない。
国家間の認識の違い、正義と悪に対する根本的な尺度、決断をする責任の重み。
国の安定と繁栄を危うくするような、理想と綺麗事だけでは整理できない、
様々な課題と思想が複雑に絡み合う難題であるのは確かです。
現実を置き去りにした外交を優先し、情緒と願望に押し流されただけの対外政策では、
国際協調のもと平和を構築していくことは難しい。
それでも知るべきは、被爆者の訴えが憤怒と憎悪を超え、内省にまで至った祈りであることです。
国の為という大義名分のもと、多くの人々がその身を捧げたその時。
日本の未来を信じることで、不条理の死の慰めとしたその「未来」は、
それぞれがかけがえのない人生を生きている、今この時なのです。