結局は料理だって「過程」よりも「結果」。「“さしすせそ”だの何だの調味料入れる順番がひとつふたつ間違ったって、最終的に『美味い』と言えればそれでイイの」。


 この結論に辿り着くまで何年かかったかな。(平野レミさんはたった一言、誰よりもわかりやすく「自分のベロ(舌)を信じなさい!」とおっしゃってましたが)


 この春から入学だ就職だ、新生活それも「一人暮らし」となって「自炊」というものにアタマ抱えてしまってる方も多い事でしょう。もちろんオッサンだって20ウン年前はその一人でした。

 「他にやりたい事やるべき事に追われてそれどころじゃねぇ!!」、なんて気持ちだって痛いほどわかります。「とりあえずメシの炊き方と味噌汁の作り方だけ教わった通りにやって、後は納豆かカプメン」、そんな日々を何年過ごしたでしょうか。


 三十路も過ぎてから酒飲むのが習慣のようになって、「スーパーの惣菜コーナーだの冷凍食品だのツマミにするのも何か味気ないなぁ。変わり映えしないなぁ」と、やっと「料理」に本格的に興味を持ち始めたのがそのあたりでした(そこで郷里(くに)のかーちゃんに本気で“きちんと”教わったのが肉じゃがときんぴらごぼうよ)。


 まぁ「アドバイス」とか「メッセージ」なんてご大層なもんでもないし、まして「しくじり先生」とか大上段から構えるつもりもないですが、時期柄季節柄イイ感じにハマれたような気がしたものでオッサンの経験即から言わせて頂くなら


「料理とか自炊は、やりたくなった時がやり時。必要に迫られてで無理してやるもんじゃない」

「最低限、米の研ぎ方メシの炊き方、味噌汁の作り方だけ覚えておけ」

「若いうちは納豆とカプメンだけで何とかしのげる」

「料理番組でもYouTubeでも、自分の好物レシピだけでも良いからひたすら観ろ」

「その中で、自分にとって『先生』とか『師匠』と言える方を見つけろ」

「でも一番の師匠は、『あなたにいつも三食メシを作って食わせてくれた人』だ」


となるのでしょうか。


 オッサンも一人暮らし始めた頃、「コンビニ弁当ばかりじゃ体に良くない」なんてあちこちで言われてた時代も相まって、必要に迫られてやってはみたけどいつも失敗ばかり。しかも作って食べて洗い物して… いつだって時間に追われてる感覚に襲われて気ばかり焦って、包丁で指切って段取り狂ってなんて事があったり、せっかく作ったチャーハンを盛り付けたところで手を滑らして洗い桶(洗剤入った水の中)にドストライクでブチ込んじゃってムダにしてetc.を重ね続けて段々イヤになって、それこそ半年持たずに挫折して、先にも書いての通り「とりあえずメシ炊いて味噌汁(具はいつも豆腐と乾燥わかめオンリー)だけは作って、後は納豆、味噌汁作らない日はメシとカプメン」なんて日々を何年も続けたもんでした。

 人並み外れて貧乏暮らしを余儀なくされた事情も重なって(むしろそれが条件で青森出る事を許してもらったようなもんで)(そこから俺が選んだ道も道、大したしくじりも良いところさ)、外で美味い店を探す、食べ歩きみたいな事もできない状況でもあった… というのはさて置いて、


 「調理実習」「男子ごはんごっこ」でブログ上げるのも、「半備忘録」としてが基本ではあるけれど、もし何かの手違いか偶然か、こんなブログに辿り着いてしまった若者がいらっしゃるなら、「料理って、いざやってみりゃそんな小難しいもんでもないよ」「小難しく考える必要なんてないよ」というのは伝えたい、ってのが心のどこかにあるからなのかなぁ…?



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