厄介痛快!飲んだくれオヤジ 誰に言われた『キチガイ西武ファン』t.hamaです。
皆様いかがお過ごしでしょうか

この書き出しも何年ぶりか、こちらアメブロでは初めてになりますでしょうか。


さて


もし僕に子どもがいたなら、『しくじり先生』みたいな父親になるのでしょうか。
自分の経験談、それも失敗談をもとにいろいろ教えて、伝えていくような。

でもそれも「程度」「サジ加減」を誤ったら、子からナメられる親になりそうだし
そんな態度取られたら、間違いなく手を上げる親父になりそうだし…

いやはや、子だ親だ言う前に、そもそも「結婚なんてできる気がしません」と
30代半ばくらいに察して、悟っておいて良かったとつくづく思います。


若い頃(物心ついてから20代前半あたりまででしょうか)
「やりたい事」とか「なりたい自分」なんて夢とか理想とか
そんなのはつまり『無いものねだり』とか『隣の芝生は青い』でしかなかった、
結局はその辺の履き違えでしかなかったような気がします。

例えるなら、普通自動車として生産された乗用車が
(もし人と同じ心を持っていたとするならば)
「いつかはF1の舞台で走りたいなぁ」とか
各駅停車のために造られたような電車の車両が
「将来は新幹線になりたい」と思ってしまうようなものでしょうか
自分の身の程・身の丈を理解しないまま
長い事そこに気づけぬままズルズルと年月ばかり過ぎていってしまった
そんな人生だったように思います。

「気づいた時すでに遅し」
後になってから「もうちょっと早く気づけ」と
昔の自分言ってやりたい
40も過ぎて、たまにそんな事をふと思います。

そんな今の僕が思う事、痛感している事、自覚している事、

「僕は言わば最高時速60km/hしか出せない原付だ
 ちゃんと自覚してるさ
 別に100km/hで走りたいなんて夢も願望もないさ
 だけど周りがそれ以上も平気で出せる車やバイクばっかりだからね
 そのくらい出せなきゃ頑張ってるとか精一杯やってるなんて思ってくれないのさ」

といったところでしょうか。



わ牡牛座のB型だはんで
たげもメンドくせ奴だばって堪忍の